福岡県北九州市にある小倉東篠崎教会

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今週の教え - Page 6

6月19日 ≪聖霊降臨第3主日礼拝≫ 『愛という名の…』 マタイによる福音書23章25〜39節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■外と内

 23章から25章は、十字架の受難を目前にしたイエスさまの教え、「遺言」のようなものです。その冒頭23章に繰り返される言葉が、「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたちは不幸だ」という言葉でした。「不幸だ」、ウーアイという呻くような嘆きの言葉が今日も繰り返されます。25節から26節、

 「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。ものの見えないファリサイ派の人々、まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる」

 ここで問題になっているのは、衛生上のことではなく、どのような器が宗教的な意味で汚れており、どのようなものが清いのかということです。ファリサイ派の人々にとってそれは、あくまでも器の外側に関わるものでした。それら清い器の中に入れられるものが、たとえ、悪辣な手段で手に入れたものであっても、あるいは、自分の貪欲な欲望を満たすためのものであったとしても、器そのものが汚れていなければ、何の問題にもなりません。律法学者、ファリサイ派の人々にとって大切なのは、人の目にどう映るか、外面でした。

 しかしイエスさまは、「外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦に満ちている…内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる」と言われます。

 さらに続きます。27節から28節、

 「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。このようなあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている」

 当時は土葬でした。墓の中で遺体は腐敗します。死体は不浄とされていたので、仮に墓に触れたり、足が付いたりすれば、その人の体も汚れると考えられていました。そこで、ユダヤの人々は、過越の祭のときなど大勢の人々がエルサレムにやって来るとき、誤って墓に触れて汚れることのないよう、その時期、路傍の墓をみな白く塗りました。春の日の光を受けて白く輝く墓は、当時の美しい風物の一つであったとさえ言われます。がしかし、その美しさとは裏腹に、内は死体や骨に満ちていました。そんな墓の有様とユダヤ教の指導者たちの姿が似ている、とイエスさまは言われます。

 イエスさまは今、外面を重んじて内面を問うことをしない、偽善を問題にしておられます。どんなに外面の形式や装いを整えたとしても、内面がそれとは裏腹に「強欲と放縦で満ちている」、見せかけだけのものであることを手厳しく批判しておられるのです。

 そうした外面へのこだわりは、外面によって内面をごまかすことができるという思いから生まれてくるものです。それは、内面を何もかもすべてご存じのお方、神の目を些かも意識せずに、日々を過ごしているということに他なりません。神の目は内面をことごとく明らかにします。その内面が、「強欲と放縦で満ち」、「死者の骨やあらゆる汚れで満ちている」と言われます。他人事ではありません。生ける神の目を畏れる日々がどれほど厳しいものであることか、そう思わずにはおれません。しかしそのことはまた、外面によってしか人を判断しない世間の目が、たとえ、わたしをどれほど悪意に満ちて判断し、誤解することがあったとしても、内面のすべてをご存じの神の目はわたしを正しく理解し、わたしを一切の誤解から守ってくださるのですから、生ける神の目こそが実は、慰めに満ちた確かな歩みを、わたしたちに約束するものであることを忘れてはならないでしょう。

 

■黒い罪の血

 そして最後、七つ目の嘆きの言葉が語られます。29節から30節、

 「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりしているからだ。そして、『もし先祖の時代に生きていても、預言者の血を流す側にはつかなかったであろう』などと言う」

 死んだ預言者の墓を建てたり、正しい人たちの記念碑を飾り立てたりすることを、イエスさまはなぜ非難されるのか。むしろ、よいことではないのでしょうか。たとえば、預言者イザヤは鋸(のこぎり)でひかれて死んだと言われ、エレミヤは石打ちにされたと伝えられています。彼らがその墓を建てたり、記念碑を飾り立てたりするのは、その償(つぐな)いのためでした。償いの礼拝堂と呼ばれて聖者崇拝が行われることもあったようです。ヘブライ人への手紙11章32節以下に、「他の人にあざけられ、鞭打たれ、鎖につながれ、投獄され…石で打ち殺され、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊の皮や山羊の皮を着て放浪し、暮らしに事欠き、苦しめられ、虐待され、荒れ野、山、岩穴、地の割れ目をさまよい歩く」経験をした、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル、また預言者たちのことが語られています。彼らが、先祖の犯した罪の償いとして墓を建て、記念碑を飾り立てるとは、実に感心なことだ、と人々の目には写ったはずです。

 しかしイエスさまは、彼らが墓を建て、記念碑をつくって、「もしも、(わたしたちが)先祖たちの時代に生きていたら、殺人者の側、罪なき人の血を流す側にはつかなかっただろう」と自慢している、そこに彼らの偽善が露わになっている、と言われます。

 この言葉は十字架の死の直前に語られたものです。「殺人者の側、罪なき人の血を流す側にはつかなかっただろう」と嘯(うそぶ)く彼らが、今まさに、罪のない正しい人、預言者中の預言者であったイエス・キリストを十字架につけて殺そうとしています。その偽善が、彼らがあの祖先の子孫であることを証明している。彼らの中には、預言者を殺した先祖の黒い罪の血が流れている、とイエスさまは言われます。

 イエスさまの告発と嘆きは頂点に達します。32節から33節、

 「先祖が始めた悪事の仕上げをしたらどうだ。蛇よ、蝮の子らよ、どうしてあなたたちは地獄の罰を免れることができようか」

 

■わたしたちもまた

 しかしこれほどまでに、十字架を目前にイエスさまが「不幸だ」と激しい言葉を語り、さらに締め括りとして34節から38節の言葉を語られるのは、ただ律法学者やファリサイ派の人々を批難し、裁くためではありません。そうではなく、幸いと災い、いのちと滅びの決断をなおも迫り、悔い改めを期待しておられたからです。35節から36節、 Continue reading

6月12日 ≪聖霊降臨第2主日/こどもの日・花の日「家族」礼拝≫『いっしょに!』 『一緒に喜びなさい』フィリピの信徒への手紙2章12〜18節 沖村裕史 牧師

お話し【こども・おとな】『いっしょに!』

 5月のある日、ひとりの男の子が生まれました。予定より三ヶ月も早く生れたその子は、他の赤ちゃんの半分にもならない944グラム、両手の中に入ってしまいそうなほどの、小さな、小さな赤ちゃんでした。お医者さんはおかあさんに言いました、「いのちがもつか、まず三日ほど待ってください」。保育器の中で、サランラップを巻かれ、管を何本もつけられた、今にも消えてなくなってしまいそうな小さないのち。でも生まれて三日、その小さな心臓は動き続けました。それが凛太郎くんでした。

 凛太郎くんは、体が小さくて、弱かったので、何年も病院に行かなければなりませんでした。頭を強く打つと危険だから注意するように、命取りになるから風邪やインフルエンザには気をつけてください、お医者さんからそう言われながらも、凛太郎くんは四歳になりました。

 教会の幼稚園に入った凛太郎くん。優しい先生たちに見守られて、幸せな二年間を過ごしました。その頃、凛太郎くんはテレビや絵本で俳句という詩があることを知りました。誰が教えたわけでもないのに、気づけば凛太郎くんは、五・七・五の十七文字で詩をつくるようになりました。凛太郎くんの口から次々と溢れだす十七文字を、おかあさんとおばあちゃんは驚きながら、うれし涙を流しながら、ノートに書き留めていきました。

 さて、幼稚園を卒園する頃には、凛太郎くんの体もようやくみんなとおなじくらいにまで大きくなりましたが、足や腕の力は弱いままで、目も悪かったため、交通事故にあわないようにと家族と一緒に学校に行くことになりました。ランドセルを背負う凛太郎くんの後姿を見て、おかあさんは、ここまで育ってくれたことを喜び、神様に感謝をしました。

 ところが、学校で思わぬ目にあうことになります。いじめです。

 凛太郎くんは足が弱かったで、ぎごちない歩き方でした。バランスを取るため、両手をひらひらとさせながら歩くのを、「オバケみたい」とからかう子どもがいました。それからというもの、朝、学校に行くと、「凛がきたあ!」と友だちが教室の戸を閉めて、中に入れてもらえません。ようやく入れてもらえたところで、寄ってたかって、手でつついたり、足をひっかけたり、腕を雑巾を絞るようにして後ろからねじ上げたりして、凛太郎くんがこけたり、泣いたりするのを笑うのです。「凛ちゃん、いじめられて毎日泣いてる。見てられへん」と女の子がある日、おかあさんにそっと教えてくれました。

 入学して一週間目。突然、後ろから突き飛ばされて顔を強く打ち、目が開けられないほどに腫れました。迎えに行って驚いたおかあさんに、担任の先生は、「一人でこけました」と言います。凛太郎くんは勇気を振り絞って言いました、「違うよ、後ろから誰かに突き飛ばされたんや。あんまり痛かったから起き上がれずにいたら、誰かは分からへんけど、女の子が職員室に先生を呼びに言ってくれたんや」。でも、担任の先生は何もなかったことにしました。

 そんなことが何度も続きました。

 おかあさんと一緒にお風呂に入った時、お腹に大きく真っ青な跡を見つけて、おかあさんは悲鳴をあげました。もう少し上なら腎臓。腎臓の弱い凛太郎くんにとっては、いのちの危険があるところです。「どうしたん?」とおかあさんが尋ねます。すると「男の子に突き飛ばされて椅子の角で腰を打った」と凛太郎くん。そのことを、すぐに担任の先生に伝えましたが、「その男の子は自分ではないと言っています。周りの子にも聞きましたが、誰かやったのか分かりません」。

 心配でたまらなくなったおばあちゃんが、ある日、担任の先生とお話をすることになりました。でも、先生はただ黙って下を向いて、おばあちゃんの話を聞くだけ。三十分も経った頃、担任の先生はようやく顔を上げ、初めておばあちゃんと目を合わせ、こう言いました。「凛太郎さんも鉛筆を落としたり、時間割を教えてもらったり、周りに迷惑かけてます」。

 それからしばらくたった日曜日の夜、凛太郎くんが初めておかあさんに訴えました。「僕、学校に行きたくない。友だちが僕の顔を見るたびに空手チョップするねん。僕、机の下に隠れるねん」。心配をかけまいと、決して弱音を言わなかった凛太郎くんの初めての訴えでした。おかあさんとおばあちゃんは、いっしょうけんめいに学校にお願いをしました。でも、光が見えないまま一学期が終わりました。そして二学期に入っても、何も変わりませんでした。

 「先生は、僕がいじめられてる言うても、“してない、してない”言うて、全然言うこと聞いてくれへん」。二年生の秋を迎える頃、凛太郎くんは学校に行かないことにしました。その時、凛太郎くんはほっとした顔をして、まじめな顔でこうつぶやきました。「学校って残酷なところやなあ」。

 その後も、いじめは続きました。友だちの体がさらに大きくなる連れて、小さいままの凛太郎くんへのいじめはますますひどくなっていました。「もう、学校をやめる」。そう凛太郎くんが宣言したのは五年生の時のことでした。

 見るのも嫌になった学校でしたが、凛太郎くんが「一番好き」という友だちがいました。同じクラスのヒロシくんです。祭りの日、凛太郎くんとおかあさんとおばあちゃんと三人で見物に行った時のことです。はっぴ姿で、綱を持って走る子どもたちの中から「凛ちゃん!」という声が聞こえてきます。見るとヒロシくんです。ヒロシくんはおみこしから離れて、見物している凛太郎くんのそばに駆け寄って来て、声をかけてくれました。

 「凛ちゃん、また、学校に来て。いっしょに遊ぼう!」

 「いっしょに」という言葉に胸が熱くなりました。おばあちゃんはヒロシくんを抱きしめていました。(『ランドセル俳人の五・七・五』小林凛、ブックマン社より)

 「いっしょに!」

 いい言葉ですね。今日は、こどもの日・花の日のお礼拝です。みんなの前に、お花がいっぱいに飾ってあります。このたくさんの花には、いろんな色や形があって、ひとつとして同じものはないけれど、どれもみんなきれいです。いえ、違っているからこそ、とてもきれいだとは思いませんか。神様がそうしてくださったのです。だから、みんなも違っていいのです。違っているからこそ、みんな素敵なのです。神様が、イエスさまがどんなときにも、いつも「いっしょに」いてくださいます。だから、みんなも違っているままに、「いっしょに」仲良く遊んでほしい、心からそう思います。

 

説教【おとな】「一緒に喜びなさい」

■苦難の時 Continue reading

6月5日 ≪聖霊降臨第1主日/ペンテコステ礼拝≫ 『喜びで満たしてくださる』使徒言行録2章14〜28節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■嘲笑の中で

 春の桜や秋の紅葉が風に吹かれて、その花びらや葉っぱが一斉に踊るようにして舞うのを見ると、うっとりとします。夏、汗をいっぱいかきながら、自転車をこげば、顔に当たる風が暑さを吹き飛ばしてくれます。白い雪を運んでくる冬の風はとても冷たいけれど、身も心も引き締まるようです。

 誰も、その風を目で見ることも、手でつかむことも、鼻でにおいをかぐことも、口で味わうこともできません。でも、木の枝が揺れ、雲が流れ、花が舞い、葉がざわざわと音を立て、この頬に当たるのを感じれば、風が吹いているのだとわかります。不思議です。神様のようです。神様も、風のように目には見えませんし、手に触れることもできません。それでも、神様がいつも、わたしたちと一緒にいてくださり、どのようなときにもわたしたちを支え導いてくださっている、そう感じることができます。目には見えず、掴めもしないからこそ、いつでも、どこででも、わたしたちに吹いてくる、それが神の働き、神の霊、聖霊です。

 その聖霊が人々に注がれた、ペンテコステの日のことです。

 麦の刈り入れを祝う祭のためにエルサレムに帰ってきていた、つまり異郷に暮らしていたユダヤ人たちは、驚き、そして戸惑います。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか」(2:7-8)。驚きと戸惑い、それは、人知を超える神様の力にわたしたちが揺さぶられる時の自然な反応です。

 その一方、パレスチナを離れたことのないエルサレムの人たちには、ガリラヤの人々が語る外国語それ自体がまったく理解できません。「『あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ』と言って」、皮肉たっぷりにあざ笑います。その皮肉には、ガリラヤの人々に対する特別な感情が込められていました。イエスさまと同郷のガリラヤの人々は、エルサレムに住む人々から見れば、パレスチナの辺境の地で汚れた異邦人の間に暮らす、律法を守ろうともしない、貧しく罪多き人々でした。

 自分たちこそ救いにふさわしいと奢(おご)り、聖霊を注がれたガリラヤの人々を皮肉たっぷりにあざ笑う、そのエルサレムの人たちにペトロはこう語りかけます。

 「この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません」。なぜなら、「今は朝の九時」だからです。

 ユダヤの人々は朝昼晩の三度お祈りをしていました。「朝の九時」は朝の祈りの時刻です。しかも、朝の祈りが済む十時ごろまで一切食事をとりません。ペトロはまず、朝食前から酒に浸るような人がそのような朝の祈りにやって来る筈はないではないかと、エルサレムの人々の皮肉たっぷりのあざけりに何の根拠もないことを示します。

 聖霊―神様の働きは、何か理性を失って酩酊状態になるというようなことではありません。また、聖霊の奇跡を目撃した人々がすべて、それを福音として受け入れるわけでもありません。

 聖霊に満たされたペトロは、人が理解することのできない言葉―異言を語ったり、人を驚かすような奇跡を行ったりするのではなく、誰にでもわかる言葉で、「これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです」と、ペンテコステの出来事が神様の御旨によるものであることを、静かに語り始めました。

 

■三つの大切なこと

 ここで、ペトロは大切な三つのことを教えてくれています。

 その一つは、旧約聖書では、特定の「神の人」だけが神様の霊の賜物を受けると書かれているのに対して、ここでは、神の国が成就する「終わりの日」に、「すべての人に」聖霊が注がれる、と書かれていることです。

 男も女もありません、老いも若きも、つまり、おとなもこどもも関係ありません。ましてや、身分も地位も問われることなく、いのち与えられたすべての人に聖霊は注がれるのです。事実このとき、聖霊は特別な人たちだけに注がれたのではありません。むしろ、誰からも省みられることのなかったガリラヤの人々に注がれました。聖霊は「すべての人に」、しかも、「一人一人の上に」注がれます。それは、聖霊によってわたしたちすべてが、それぞれの言葉で、それぞれの考え方のままに、それぞれの立場とそれぞれの持ち場で、ただ一方的に招かれ、新しく生かされる、神様の恵みを指し示すものでした。

 もう一つの大切なことは、「主の名を呼び求める者は皆、救われる」という言葉にあります。「主の名」とは「イエス・キリストの名」ということです。

 聖霊による救いは、イエス・キリストの名によって神を呼び求める者、つまりイエス・キリストの言葉と行いによって父なる神を知るすべての者に約束されているのだ、ということです。神様は目には見えない、知ることのできない、隠されたお方です。しかしその天の父の御心が、イエス・キリストの言葉と行い、十字架と復活を通してわたしたちに示されたのでした。とはいえ、呪いの十字架の上で殺されたイエスという方を、キリスト・救い「主」と認め、あの死にわたしの罪が関り、あれはわたしの救いのための死であったと受けとめることなど、常識では到底考えられない、およそ自分の力で納得できるようなことではありません。それはただ、聖霊の働きによってのみ知らされることです。そのことをペトロは、イエス・キリストを「主」と呼ぶ者こそ聖霊の注ぎを受ける者なのだ、と人々に教えます。

 そして何よりも、このヨエルの預言で注目いただきたいことは、その「主の名による救いの約束」の前に、「上では、天に不思議な業を、/下では、地に徴を示そう。血と火と立ちこめる煙が、それだ。主の偉大な輝かしい日が来る前に、/太陽は暗くなり、/月は血のように赤くなる」という、およそ救いとは真逆の、暗黒と破滅と絶望のイメージが語られていることです。

 真っ暗闇の絶望するほかないようなところに聖霊が注がれ、イエス・キリストの真実に気づかされる。そのようにしてすべての人々に救いと希望が与えられる。それは、イエス・キリストが十字架の上で死んだことに絶望した弟子たちが、復活、そしてペンテコステの出来事を通して、新しいいのち、永遠のいのちに生かされているという希望に満たされた、その体験をなぞるかのようです。

 天の父は、「聖霊によって」キリスト・イエスを示してくださり、暗闇に光を照らし出してくださり、もはやどうすることもできない絶望を希望へと変えてくださったのです。事実、弟子たちはその時、人々の蔑みの中にあり、十字架の時からわずかに五十日余り、いまだユダヤ人指導者たちによる迫害の危機の中に置かれていました。しかし、父なる神は決して、闇の中に放ったままではおられない、絶望の中に苦しむだけではおかれません。 Continue reading

5月29日 ≪復活節第7主日礼拝≫ 『何が不幸で、何が幸せ?』マタイによる福音書23章13〜24節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■「幸い」と「不幸」

 「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ」という言葉が、13節から36節の間に六回も繰り返されます。16節の「ものの見えない案内人、あなたたちは不幸だ」を含めれば、「七つの不幸」が語られていることになります。

 思えば、イエスさまの福音宣教は5章から7章に記される「山上の説教」から始められました。その冒頭、イエスさまは「心の貧しい人々は…悲しむ人々は…柔和な人々は…義に飢え渇く人々は…憐れみ深い人々は、心の清い人々は…平和を実現する人々は…義のため迫害される人々は、幸いである」と告げ、最初と最後の言葉に「天の国はその人たちのものである」と続けられました。この八つの「幸い」、「祝福の約束」をもって始められた宣教活動が終わりを迎えようとしている今、イエスさまが七つの「不幸」を宣言されます。

 この言葉が語られたのは、過越の祭の時、春の季節でした。ガリラヤ湖畔に集った大勢の人々相手に山上の説教を語られたのも、ちょうどこの季節でした。「不幸」を宣言されるイエスさまの言葉を聞いていた弟子たちと多くの群衆も、山上の説教を聞いて喜びに満たされたその時のことを想い起しながら、イエスさまが宣言される「不幸」の言葉を、訝(いぶか)し気(げ)な表情で聞いていたことでしょう。誰しも、慰めに満ちた言葉、救いの約束だけを聞きたいと願うものです。しかし、豊かな祝福の言葉をもって宣教活動を始められたイエスさまが、寝食を忘れて福音の言葉を語り続けた結果、最後にこの嘆き呻くような不幸の言葉を宣言せざるを得ませんでした。そこに、わたしたち人間の罪の現実が現れていたからです。暗澹たる思いにさせられます。

 しかしそれでもなお、いえ、だからこそ、一体、何が幸せなのか、なぜ、不幸なのかを、考えないわけにはいきません。

 

■ハッピーとラッキー

 聖書に従ってお話しする前に、ご紹介したい一冊の本があります。鷲田清一の『死なないでいる理由』という本です。「消えた幸福論」という章に、こう書かれています。

 「いつごろからだろうか、幸福な気分に包まれたとき、この国のひとびとは「ラッキー」と、Vサインを送るようになった。片手で、そしてもっとハッピーなときには両手で、「今日、なんかついてる」「当ったりぃ」というように。その姿に、幸福もえらく軽くなったものだと、戦中派のひとなどは嘆かわしくおもっているかもしれない。「幸福」と「幸運」、「ハッピー」と「ラッキー」。この二つの外来語は、この国の語感からすれば、あるいは現代人の語感からすれば、意味を異にする。だが、もとをたどれば意味はほとんど重なるらしい。…それが、いつごろからだろうか、かなりニュアンスを異にするものとなった。「グッド・ラック」はたまたま運がよければ訪れるものであるのにたいして、幸福というのはじぶんが努力してたぐりよせるものというイメージが強い。それは、「人生設計」という言葉もあるように、じぶんの存在はじぶんでデザインするものだという近代の思想と深くかかわっているようにおもわれる。そのためには勤勉でなければならぬ、各人が自立した強い存在でなければならぬ、そしてそういうひとだけが幸福に近づける」

 ところが、「いまどきのひとは、ちょっといいことがあるとすぐに「ハッピー」という。じぶんのこの小さな幸福には、歴史も社会も関係がない。たまたま今日は運がよかっただけのことだ、といわんばかりに、だ。…幸福のイメージが、「歴史」、つまりは他者たちとの共同生活の来し方行く末につながらないで、「わたし」ひとりの小さな幸福をしか思い描けなくなった…。それは、人間が幸福になるためにつくった生産装置や社会組織が、ひとりの人間の想像力を超えてはたらきだすようになって、ひとはもはやじぶんの生活のあるべき姿ですら、じぶんひとりのイマジネーションではまとめ上げることができなくなったからではないか。だから、ハッピーはラッキーになる」

 幸福のイメージを思い描くことの大切さを語った上で、こう続けます。

 「そのためには「生きる」ということがまず肯定されていなければならない。生きる理由(動機ではない)がないときにでも、それでも死なずに、生きている、生きつづけるのはどうしてか。生きる理由がどうしても見当たらなくなったときに、じぶんが生きるにあたいする者であることをじぶんに納得させるのは、思いのほかむずかしい。そのとき、死への恐れははたらいても、倫理ははたらかない。生きるということが楽しいものであることの幸福な経験、そういう人生への肯定が底にないと、死なないでいることをひとは肯定できないものだ。そういう生の肯定はしかし、浮遊する孤立的な生のなかでは不可能である。「いいんだよ、おまえはそのままで」―。じぶんがこのままで他者によって肯定されることに渇くひとびと、そういう他者による(条件つきのではない)肯定。そういう他者による〈存在〉の贈与に、ひとは焦がれだしているのかもしれない」

 いかがでしょうか。「あなたのままでいい」「あなたがいてくれて嬉しい」と互いを受け入れ合うことが、幸福のイメージにとってとても大切だと言います。その通りだと思います。しかし、そうしようとしてそうすることがなかなかできないのがわたしたちの現実です。であればこそ、人や自分がどうあろうと、いわば絶対的他者としての神様による「無条件での肯定」と、神様による〈存在〉の贈与、存在の根拠としての「いのちを与えられているということ」が、幸福、幸せを考えるための大切な前提になるのではないでしょうか。この鷲見の言葉を心に留めて、今日のみ言葉を味わってみたいと思います。

 

■なぜ不幸なのか

 「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。人々の前で天の国を閉ざすからだ。自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない」

 「天の国」。そこは、死んでから行く場所ではなく、「神様の支配」のことです。イエスさまが、「天の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と語られた福音とは、「神のご支配が、神様の御手が、今ここにもたらされ、差し出されている。だから、今までの生きる向きを変えて、神様の支配を受け入れ、神様の御手にお委ねするように」というメッセージでした。ところが、律法学者やファリサイ派の人々は、人々の前で天の国を閉ざし、自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない、と言われます。

 天の国は、わたしたちの努力や行いによってもたらされるのではありません。わたしたちは、神様によっていのち与えられ、そのいのちを生かされ生きています。そのいのちゆえに、誰であれすべてのひとが神様に愛されています。その神様の愛ゆえに、天の国の扉は、すべての人に開かれているのです。鷲見の言う、「無条件の肯定」「〈存在〉―いのちの贈与」です。

 それなのに、律法学者やファリサイ派の人々は、自分たちのように律法のすべてを正しく守り、厳格に行っている者だけに、天の国の扉は開かれ、救いはもたらされると信じ、教えていました。鷲見の言う「幸福というのはじぶんが努力してたぐりよせるもの」ということです。彼ら自身、そう信じ、教えることによって、自分たちだけでなく、人々が今ここにもたらされている天の国を受け入れる道をも閉ざし、神様の支配を、神様の御手が今ここにさしだされていることを認めない、認めさせないのです。そのことを指して、彼らは「不幸であり、災いだ」、と深く嘆き、呻くようにしてイエスさまは言われたのです。

 続く15節も同じです。

 「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。改宗者を一人つくろうとして、海と陸を巡り歩くが、改宗者ができると、自分より倍も悪い地獄の子にしてしまうからだ」

 熱心がいけない、余り熱心にならずにほどほどが良いというのではありません。問題は、熱心さが何のためのものか、どこに向かっているのかということです。パウロが「割礼を受けている者自身、実は律法を守っていませんが、あなたがたの肉について誇りたいために、あなたがたにも割礼を望んでいます」(ガラテヤ6:13)と言っているように、彼らの熱心さは、ただ自分を誇るため、自分の業績を上げるためでした。改宗者を得ることは、人々を救いに導くためでもなく、ただ改宗者を得ること自体が目的となっていました。そうして改宗者が出ると、自分よりも倍も悪い地獄の子にする、その熱心さが不幸なのです。 Continue reading

5月22日 ≪復活節第6主日礼拝≫ 『何もかも知った上で』ヨハネによる福音書21章15〜19節 沖村裕史 牧師

≪説 教≫

■椎名麟三のこと

 大学で妻と出会い、親しさを増し始めた頃、互いが読んでいる本を交換し、その内容について語り合うようになりました。その時に妻から紹介された作家に、椎名麟三がいます。読んで魅せられ、すっかり嵌りました。

 椎名麟三は、1911年(明治44年)、兵庫県姫路に生を享けました。生まれた三日後、母親が、夫や夫の家族との間がうまくいかず、自殺を図ります。幸いにもいのちを取り留めましたが、9歳の時、両親は別居。父は別の女性と大阪で暮らし始めました。父親からの送金も途絶えがちとなり、母親、麟三、ふたりの妹たちは極貧の生活に苦しみます。母に言われ、大阪の父のもとへお金の無心に出かけますが、断わられた彼は家に帰らず、そのまま家出をします。母もまた別の男性と暮らし始めていました。姫路中学も中退することになり、職を転々としました。彼の人生、彼の作品の根っこには、そんな幸薄い、愛に飢え、生きることの不安にいつも捉われていた、辛い体験があります。

 18歳の時、彼は山陽電鉄の社員となります。当時の多くの勤労青年がそうであったように、彼もまたマルクス主義に理想を抱き、労働運動に身を投じ、共産党員になります。しかしその2年後、検挙され投獄された彼は、厳しい拷問を受ける中で自分の同志愛の弱さ、もろさを痛感し、転向します。釈放された後も職を転々とし、生きる希望を失った彼もまた母親と同じように、自殺未遂を図ります。

 その彼が27歳になったとき、ロシアの文豪ドフトエフスキーの作品に出会い、衝撃を受け、文学の道を志します。10年後、それは敗戦の翌々年にあたりますが、彼は『深夜の酒宴』を発表。以後、敗戦直後の廃虚の中にあって、人間存在の意味を真っ向から問う作家として、話題作を次々に発表することとなります。その頃、日本キリスト教団上原教会の牧師であった赤岩栄と出会い、1950年39歳の時に洗礼を受けますが、48歳の時、信仰の非神話化を強める赤岩と対立し、三鷹教会に転会します。その彼が、自分の信仰体験について記した著作の中で、「愛」について触れています。

 わたしは、愛する人、妻や恋人から、わたしのことを本当に愛しているかと問われれば、愛していると答えるだろう。重ねて、本当に、本当に愛しているかと問われると、しばらく躊躇しながらも愛していると答えるかもしれない。しかし、三度重ねて、本当に、本当に、本当に愛しているかと問われると、わたしは愛していると答えることができない。人間には、結局のところ「本当に、本当に、本当に」と問われて、こうだとはっきりと言えるものは何もないのだ。

 牢獄の中で、労働運動に身を投じる仲間たちへの同志愛が揺らぐ自身への嫌悪、何も信じるものを持たない、確かなものが何もないというニヒリズムに捉われていた、彼の苦悩が重なって見えてきます。そんな苦悩の中、獄中で出会ったひとりの売春婦のことを、彼は回想しています。金のために、生きていくために、自分の体を切り売りして暮らさざるを得ない、およそ愛とは程遠いところにいる女性の、しかし懸命に生きるその姿に、彼は深い感動を覚えます。

 わたしたち人間は、本当の、本当の、本当の意味で、人も、自分も愛することのできない存在、何一つとして確かなものをもたない存在だけれど、そのようなわたしたちのために、イエス・キリストが自らのいのちを捨ててくださった。イエス・キリストは、そんな何の価値もないわたしたちをそのようにまでして愛してくださっている。どこまでも相対的な存在でしかないわたしたちの虚しさ、人間のヒニリズムは、そのような、絶対的な神、イエス・キリストの愛によってのみ克服される。わたしたちの愛、自由、生きる意味は、十字架と復活に示された主の愛の中にこそある。真実の愛も知らないし、そんな愛などあるはずもないと思っている者にとって、わたしたちにとって、神様が、イエスさまが示し、与えてくださった愛は、驚くべきものであり、まさに希望ではないか。椎名はそう書きます。

 

■悲しくなった

 この椎名の言葉は、今日の場面、イエスさまとペトロとの間に交わされた会話に基づくものです。

 イエスさまがペトロに向かって、三度、「あなたはわたしを愛しているか」とお尋ねになり、そのたびにペトロが「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と答えます。そして三度目に問われた時、「ペトロは、イエスが三度目も、『わたしを愛しているか』と言われたので、悲しくなった」と書かれています。

 「悲しくなった」という言葉をニュアンスのままに訳せば、「情けなくなった」となるでしょう。自分の言うことを信じてもらえないのか、という思いからでしょうか。あるいは、イエスさまに問われ、イエスさまに答えている間に、ペトロは、かつて自分がイエスさまに語った言葉、そして自分のとった行動を思い出していたのかもしれません。

 それは、イエスさまが十字架につけられる前の晩のこと、最後の食事を弟子たちと共にとっていた時のことでした。イエスさまはペトロに向かって、「わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる」と言われました。それに対して「ペトロは言った。『主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます。』イエスは答えられた。『わたしのために命を捨てると言うのか。はっきり言っておく。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう』」(13:37-38)。

 事実は、イエスさまの言われた通りであった、と聖書は証言します。

 「イエスさまを知らない」と言ったのが三度。

 「わたしを愛しているか」と問われたのも三度。

 「ペトロは…悲しくなった」というこの言葉には、そのことを思い出したペトロの、身のすくむような思いが込められているのかもしれません。

 「この方は覚えておられる」

 自分が今、イエスさまによって「裁かれている」という思い、イエスさまに「試されている」という思いであった、と言ってもよいでしょう。 Continue reading

5月8日 ≪復活節第4主日/母の日「家族」礼拝≫ 『欠けてなんかない!』ルカによる福音書4章1〜13節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■母の日の意味

 「母の日」は、アメリカではクリスマスイヴやイースターに次いで、たくさんの人が礼拝に集う日です。ただわたしは、この「母の日」の礼拝の準備をするとき、いつも一抹(いちまつ)の不安と危惧を覚えざるをえません。

 「母」という言葉に対して、誰もが良いイメージを持っているとは限らないからです。母親から虐待を受けた経験を持つ人がいるかもしれません。自分が良い母親になろうとして、苦しみ、傷ついている人がいるかもしれません。母になることを望みながら、そうできない人もいるかもしれません。母になることを望まない人もいるかもしれないからです。

 そもそも、「母の日」はどのようにして祝われるようになったのでしょうか。

 起源は、17世紀初頭、イギリスやアイルランドで、レントの第4日曜日に祝われていた「マザリング・サンデイ」と呼ばれる日に遡ります。これが広く「母の日」として祝われるようになったのは、ウエストバージニアのアンナ・ジャーヴィスという女性が、1907年5月12日、亡き母が長年にわたって日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもったとき、白いカーネーションを贈ったことがきっかけであった、と説明されます。

 しかし実は、最初にこの日が公にアピールされたのは、それよりも30年以上も前の1872年、ジュリア・ウォード・ハウという女性によって、でした。南北戦争中に北軍兵士たちの間で歌われ、後に教会の讃美歌となった「リパブリック賛歌」―Glory, glory, hallelujah! ―の作詞者として良く知られている人ですが、その彼女が、南北戦争終結直後の6月2日、さきほどのアンナ・ジャーヴィスの母アンが敵味方を問わず、負傷兵の衛生状態を改善するために始めた「母の仕事の日」に刺激を受け、夫や子どもを再び戦場に送ることを拒否しようと立ち上がり「母の日宣言」を発表しました。平和を祈念し捧げる日としてこの日を祝いたいとの願いからです。これが母の日の始まりです。

 母の日は、ただ母性をたたえる日というのではなく、愛する者を戦いで失った女性たちの悲しみから生まれた平和への切なる祈りの日でした。そして今も、イギリスやアメリカでは、人の母だけでなく、あらゆるいのちを育むものに感謝を捧げる日となっています。母の日は、いのちを育んでくださる方の、その計り知れない愛に感謝する日なのです。

 愛が、神様の愛が、いのちを育み、人を生かす。このことを心に刻んで、今日のみ言葉に耳を傾けて参りましょう。

 

■何ひとつ欠けていない

 イエスさまが繰り返し教え示してくださっていることは、ただひとつ。「あなたは愛されている」という福音、良き知らせでした。そして今日の聖書の言葉もまた、様々な試練や誘惑に遭って苦しみ悩むあなたへの、神様からの福音です。

 今、「試練や誘惑」と言いましたが、聖書では両者に大切な違いがあります。苦しみが「誘惑」となるのは、苦しみに打ち負かされそうな自分に気づいているときです。しかし、この苦しみを自分の揺るがぬ確かさを示す機会とすることができれば、それは意味をもった「試練」となります。

 イエスさまも様々な誘惑を受けられました。イエスさまは、その誘惑を試練に変えて、そのすべてに打ち勝たれました。その勝利は、十字架と復活によって完成するのですが、イエスさまは、ご自分の歩みを始めるにあたってまず何よりも、悪の本質と向かい合われます。

 悪魔がやって来て、イエスさまに三つの誘惑を持ちかけます。そのひとつひとつにいろいろな説明がされますが、ここでは、ひとつのことを強調したいと思います。それは、この三つともが要するに、「あなたには今、欠けたものがある」という誘惑だ、ということです。あなたは足りない、あなたは持っていない、あなたは愛されていない、と。だから、それをパンで満たせ、権力や富で満足しろ、本当に愛されているのか試してみろ、そう誘惑するのです。

 それはまさに、わたしたちが今まで、そして今も受け続けてきている誘惑です。「わたしは足りない」、「わたしは欠けている」、「わたしは値しない」。悪魔は、その欠けをあおり、その欠けをこの世の富や力、虚栄心や偽りの心で満たさせよう、と誘惑するのです。

 それに対するイエスさまの答えは、とてもシンプルです。

 欠けは、神様が満たしてくださる。いや、もうすでに神様はあなたを満たしておられる。あなたは何ひとつ欠けていない。神様からいのち与えられた神の子どもなのだから。あなたは何も求めなくても、試さなくても、もうすでに神様の愛の中を生きている、と。

 そんな、言うならば、全面的な神様の愛への信頼こそが、信仰によって与えられる恵みです。

 

■「よし、よし」

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5月1日 ≪復活節第3主日礼拝≫ 『キリストの福音』マタイによる福音書22章41〜46節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■二つの主

 イエスさまを罪に陥れようと仕掛けられた一連の論争も、今朝最後の「もはやあえて質問する者はなかった」という言葉によって終わりを告げようとしています。最後のこの場面で、イエスさまは自分の方からお尋ねになります。

 「ファリサイ派の人々が集まっていたとき、イエスはお尋ねになった。『あなたたちはメシアのことをどう思うか。だれの子だろうか』」

 「メシア」と訳されている言葉は、ギリシア語の「クリストス」、救い主「キリスト」のことです。ファリサイ派の人々は即答します。

 「ダビデの子です」

 彼らは、ダビデの末からキリスト・救い主が出ると教えていましたし、多くのユダヤ人もまたそう信じていました。旧約聖書の多くの箇所にも、メシア・救い主はダビデの子として生まれる、と預言されています。そのことは、旧約聖書に親しんでいるユダヤの人々にとっての常識でした。

 ところが今、イエスさまはその常識を覆すようなことを言われます。

 「では、どうしてダビデは、霊を受けて、メシアを主と呼んでいるのだろうか。『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着きなさい、/わたしがあなたの敵を/あなたの足もとに屈服させるときまで」と。』このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのであれば、どうしてメシアがダビデの子なのか」

 いったい何のことか。分かり難い言葉です。イエスさまがここで引用しているのは詩編110篇です。王が即位するときに歌われていたこの詩編を、ユダヤの人々はダビデの作と信じていました。その冒頭、

 「わが主に賜った主の御言葉。『わたしの右の座に就くがよい。わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう』」

 救い主の勝利とその支配を主なる神ご自身が告げておられると歌われていますが、問題は、イエスさまの「主は、わたしの主にお告げになった」です。詩編では「わが主に賜った主の御言葉」となっています。いずれにも「主」という言葉が二度使われています。イエスさまが語られた「主」と訳されている言葉は二つとも同じギリシア語ですが、詩編の原文、ヘブライ語ではこの二つは全く別の言葉になっています。「主の御言葉」の方の「主」は「ヤハウェ」あるいは「ヤーウェ」と読まれる、イスラエルの神の名を指す固有名詞です。それに対して、「わが主に賜った」の「主」は「主人」という意味の普通名詞です。つまり元の詩編では、「イスラエルの神ヤハウェが、わたしの主(あるじ)にこうお告げになった」となります。

 この詩を歌ったのがダビデ自身だとすれば、ダビデ自身が、来るべき救い主のことを「わたしの主」「わたしのご主人様」と呼んだということになります。イエスさまはそのことを指摘しておられるのです。このように、ダビデが救い主キリストを「わたしの主(あるじ)」と呼んでいるなら、キリストはダビデの子ではなく、ダビデの主(あるじ)であるはずではないか、と。

 

■十字架のキリスト

 イエスさまは、何のために、このようなことを言われたのでしょうか。

 すぐに考えられるのは、ファリサイ派の人々が「キリストはダビデの子なのだから、イエスはキリストではあり得ない」と言っていたのではないかということです。

 この福音書の冒頭にある系図は、アブラハムからダビデを経て、父ヨセフに至るものです。ルカ福音書3章の系図もやはり、ヨセフからダビデ、そしてアダムまで遡っていくものです。父ヨセフはダビデの末裔です。しかしマタイもルカも、イエスさまが厳密な意味では、ヨセフの子ではないことを証言しています。ヨセフの許嫁(いいなずけ)であったマリアは、ヨセフによってではなく、聖霊によってみごもってイエスを生んだ、そう語っているからです。「聖霊によって」、そのことを信じようとしない人々にとっては、イエスさまは不義密通による子どもです。ファリサイ派の人々もその噂を盾に、イエスという男はダビデ家の子孫などではない、どこの馬の骨とも分からない者が神からの救い主キリストであるはずはない、と言っていたのでしょう。そういう批判、疑いに対して、イエスさまはこのように反論なさったのではないか、ということです。

 でも早合点をしないでください。「お前はダビデの子ではないからキリストではない」と批判されたイエスさまが、「ダビデ自身が言っているじゃないか。救い主キリストはダビデの子じゃないよ」と開き直りとも言える弁明をされたというのではありません。イエスさまは、神殿にいた大勢の人々に、ファリサイ派の人々がキリストについて抱いている根本的な思い違い、姿勢の間違いをはっきりと指摘し、教えようとしておられるのです。では、キリストについての根本的な思い違いとは何でしょうか。

 先程の詩編110篇1節の先に、こう記されています。

 「主〔ヤハウェ〕はあなた〔キリスト〕の力ある杖をシオン〔エルサレム〕から伸ばされる。敵のただ中で支配せよ。…主〔ヤハウェ〕はあなた〔キリスト〕の右に立ち/怒りの日に諸王を撃たれる」(2,5節)

 詩編が描くキリストの姿は、権力と武力を揮(ふる)ってユダヤ人の周辺の敵国を撃破し、かつてのダビデ王国の独立と栄光を取り戻す戦士の姿です。イエスさまの時代のユダヤ人の間では、キリスト理解をめぐって様々な見方があった中で、最も有力だった「ダビデの子」という見方は、まさに軍事的、政治的、民族的なものでした。 Continue reading

4月24日 ≪復活節第2主日礼拝≫ 『最も大いなるもの』マタイによる福音書22章34〜40節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■好きと嫌い

 電車やバスに乗っていると、こんな女学生の声が聞こえて来ることがあります。

 「だって好きなんだもん、しょーがないじゃん」

 「嫌いなものは嫌い、わたしはあんなのゼッタイいや」

 何も確かなものが見当たらないように思えるこの時代、好きか嫌いかだけは大声で叫ぶことが許されているかのようです。好き嫌いをはっきり言えることはよいことだ、そう育てられます。

 しかし、「好き」「嫌い」なんて、そんなに胸張って言えるようなことでしょうか。少なくとも「ゼッタイ」なんて使わない方がいいはずです。好き嫌いほど、一見確かそうに見えてその実、いいかげんなものはないからです。死ぬほど好きだったあの人のことを、手のひらを返すように遠ざけたり、嫌っていたはずのものの虜(とりこ)になったり…。なんとも見苦しい、そう言われても、やはり好みは変わります。変わるのが人間です。そんな自分の曖昧さやいい加減さを見つめることもなく、無邪気に好き嫌いを振りかざして世界を切り裂いていく姿は、あまりに悲しく、とても愚かです。

 とりわけ「嫌い」は質(たち)の悪い言葉です。物であれ人であれ、嫌いの一言で切って捨てる。だってしょうがないじゃない、あの人、生理的に合わないのよ、と言ってのける。嫌いに理由なんかない、相手のせいだと思っています。

 そんな好き嫌いによって切り裂かれた世界に生きるわたしたちの誰もが、多少なりとも「自分は愛されていない」と感じる体験をし、「自分は愛されるに値しない、その価値がない」という不安を抱え込んでいます。だからこそ、人は、自分を愛して全面的に受け入れてくれる相手を求めて、切ない求愛を繰り返すのではないでしょう。ときに親に無意識に反抗してみたり、ときに社会に過剰に適応したり、ときに友人に幼稚な甘え方をするのは、結局のところすべて、本当の愛を求めてのことです。けれども、現実の世界は決して、人を完全には受け入れてくれず、わたしたちはただ好きと嫌いを繰り返しながら、不安と孤独、傲慢と自己卑下に囚われ、苛まれるばかりとなります。

 そんなわたしたちに、今朝、驚くべき愛の言葉を告げ知らされます。

 

■律法の中心

 「ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった」

 イエスさまを十字架に架けようとするファリサイ派の人々が「一緒に集まった」、そのきっかけは「イエスがサドカイ派の人々を言い込められた」と聞いたことでした。利害関係や主義主張の違いから、同じユダヤ教の中にありながら激しく対立していたサドカイ派とファリサイ派の人々が、イエスさまを十字架に架けるために手を結びます。そして「一緒に集まった」その中から、ひとりの人が立てられます。

 「そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた」

 「試そうとして」。「試す」「試みる」というこの言葉は、荒れ野でイエスさまが悪魔によって誘惑された時に出てきた「誘惑する」と同じ言葉です。この時、律法学者が準備した問いは、イエスさまを陥れるための、悪い方向へと誘う毒の入った質問でした。

 「律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか」

 実は、律法の中心は何かというこの問いは、決して特別なものではありません。当時、人々がよく、律法の教師であるファリサイ派や律法学者たちに尋ねていたものでした。ユダヤ教の聖典はもちろん旧約聖書ですが、それ以外に、聖書の中心となる律法を時代に適応させた613にも及ぶ行動指針としての戒め―ミシュナと呼ばれる口伝律法があり、そのミシュナについての様々な議論や解釈を記したタルムードと呼ばれるものがありました。そこに記される膨大な条文をすべて正確に記憶し、具体的な場面すべてに正しく適応することは、まず不可能です。「律法の中心は何ですか」という問いが出てくるのは、至極当然のことでした。

 タルムードに、当時の最も高名な指導者であった二人の教師―シャンマイとヒレルと、ひとりの異邦人とのこんなやり取りが記されています。異邦人が尋ねます。「わたしが片足で立っている間に、トーラー(律法)の全体を教えてください」。厳格に律法を守ることを求めるシャンマイは、棒切れを振り回してこの不遜な質問をする異邦人を追い払いましたが、比較的自由な律法解釈をしていたヒレルは、「あなたが好まないことを隣人にしてはならない。これがトーラーの全体で、残りは、この教えの注解である。行って学びなさい」と答えた、とあります。

 「律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか」というこの問いは、そうしたファリサイ派内の二つの学派の対立を背景に、あなたの立場はどちらか、とその立場を鮮明にするよう迫ることで、イエスさまを「試そう」とするものでした。何を一番大切にするかによってイエスさまの本質が明らかになり、批判の糸口がつかめる、そう考えたのです。

 

■神を愛すること

 ところが、イエスさまの答えは、彼らの考えをはるかに超えるものでした。イエスさまは、ふたつの掟について教えられます。そのひとつ、 Continue reading

4月17日 ≪復活節第1主日/イースター「家族」礼拝≫ 『さあ、新しくやり直そう!』ヨハネによる福音書11章17〜27節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■ラザロは、今もここに座っている

 島崎光正という詩人をご存じでしょうか。日本現代詩人会会員である彼が、八十歳になった自分の生い立ちを書き残しています。

 「私は1919年、大正の半ばに福岡の市(まち)でこの世に誕生をみた者である。父は、そちらの大学を出て間もない若い医者だった。ところが、父はそれから一か月後には早くも世を去っている。患者から感染したチブスが原因だった。それからの私は、長崎から嫁いできていた母とも生別れとなって、父親の遺骨と共にその郷里であった信州の田舎に帰り、祖父母によって、ミルクで育てられた。厩(うまや)の跡が平屋の一角に残っていた農家である。

 父の私への遺産とては何もなかった。ただ、…どうしたわけか父が使っていたらしい医療器具のメスのセットが福岡から誰かが持ち帰り残されていた。それは大正時代の古い様式のもので、柄(え)は木製のものだった。少年時代となってそれを見つけた私は、生れつきに負った二分脊椎(にぶんせきつい)の障害から、変則的な歩行がもとで足の裏に出来やすかったマメを、玩具(がんぐ)がわりのそのメスを使って削った。ふとそれも、父の遺産を感じた。

 こうして、足を引きながら成長した私だったが、村の小学校に通うようになってから、そこでキリスト者の校長と出会い、村人の言い慣わしに従えばヤソの名前を知った。厩の跡に近い軒下(のきした)には季節になると燕(つばめ)がしきりに出入りしては雛(ひな)を育て、歳月をつもらせる。のちに、松葉杖と長靴に頼ることとなり白樺人形を刻むようになった私は、育ての親であった祖父母とも死に別れた時期に遭遇する。つくづくと人間の弱さと頼りなさを味わったあげくを、ヤソの校長がなお健在でそこにいた松本の教会で洗礼を受けた。敗戦後の、三年目の夏のことである。

 それは私にとって、古い罪の人間に死に、墓から呼び出された出来事であったに相違なかった。

 けれど、それからの歳月の中で、いくたびその墓の中に帰ってゆくことを繰り返しがちであったことだろうか。人からは見られない、洞穴(ほらあな)の心安さもそこにはあったからである。だが、その都度呼び戻されたのは、よく気がつかないままに、先達(せんだつ)としてのラザロの姿が重なっていたためかも知れない。

 私は今も、足の裏のマメが何時しか褥瘡(じょくそう)にかわって包帯に親しむこととなり、治療のためにそれをほどきながら、そのことを思う。ラザロが布をほどかれた時にも、そのように墓の外で、光にさらされていたのだと。」

 島崎は、自らの詩を記した後、こう付け加えます。

 「ラザロは、今もここに座っている。」

 その島崎が七十七歳の時、ドイツで開催された二分脊椎国際シンポジウムで講演し、その締め括りにと作った詩があります。

 「自主決定にあらずして/たまわった/いのちの泉の重さを/みんな湛(たた)えている」

 この詩が大切なことを教えてくれます。

 わたしたちは「みんな」、「自主決定にあらざるもの」―自分で決めることのできない様々なもの、思いもよらない災害や事故、どうしようもない人間関係のもつれやいろいろな失敗、与えられたと言うほかない出会いやいのち―を負って生きている。そのようにして、「いのちの泉の重さを湛えている」。「自主決定にあらざるもの」を受け止めて生きるのが、人間の本来の姿なのだ。それなのに、わたしたちはそれが分からなくて、それを避けて生きようとして、かえって苦悩を呼び込み、救いを求めている。救いは、「自主決定にあらざるもの」を避けるところにではなくて、それを「たまわったもの」として受け止め、そこを生き場所として、そこで咲こうとするところにある。それは、諦めの弱い生き方ではなく、生かされていることに対する誠実な生き方なのだ。

 島崎の言葉が、ラザロの姿と重なってきます。

 

■あなたの兄弟は復活する

 そのラザロの物語です。

 ベタニアに暮らしていたマリアとマルタが人を遣わして、弟ラザロの重病をイエスさまに知らせました。ラザロのいのちを救いたい。藁(わら)にもすがるような切実な思い、願いでした。

 しかしイエスさまは、すぐには動こうとはされませんでした。イエスさまがようやくベタニアに着いた時、ラザロはすでに死んでいました。「墓に葬られて既に四日もたっていた」とあります。ラザロが葬られたその墓からは、死臭があたりに漂い始めていました。今はもう悲しみを受け入れるべき時、慰めを受けるべき時…。たくさんの人がそのために集まっていました。イエスさまのあまりにも遅すぎる到着に、人々は冷(ひ)ややかな、そして非難を込めた視線を向けます。マリアは家の中に座ったままで出迎えようともしません。誰も、何も期待をしていませんでした。もうすでに終わってしまったことでした。

 今日の出来事は、その「終わった」ところから「始まり」ます。 Continue reading

4月10日 ≪受難節第6主日/棕櫚の主日礼拝≫ 『それでもあなたはわたしの愛する子』マルコによる福音書1章9〜11節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■愛の神の子

 マルコによる福音書の特徴は結末にあります。最後16章9節以下の箇所が括弧で括られているのは、それが後の時代に付け加えられたものであることを示しています。他の福音書がそれぞれに復活の出来事を印象深く書き留めているのに対して、マルコによる福音書は復活に何ひとつ触れません。復活は仄めかされるだけで、十字架で終わっています。十字架こそがこの福音書のクライマックスであり、最も伝えたいことだということです。

 このことから、最後の十字架の出来事まで読み終わって、もう一度振り返ってみたときに初めて、一つひとつの事柄の本当の意味が分かるように書かれた福音書だ、と言われます。この福音書が「イエス・キリストの福音」を洗礼(バプテスマ)の場面から描き始めているのも、単にそれが歴史的事実であったからというのではありません。イエスさまの洗礼のときに一瞬垣間見えたこと、密やかに聞こえてきたことを、十字架の出来事からもう一度読み直すことを、わたしたちは期待され、また求められています。

 では、イエスさまの洗礼のときに垣間見え、密やかに聞こえてきたこととは何だったか。ここに、天が裂け、聖霊が鳩のようにくだり、天から「あなたはわたしの愛する子」というみ声が聞こえてきた、と記されています。

 「あなたはわたしの愛する子」

 聖霊と共に宣言されたこの言葉が、最初のこの洗礼の時にも、中ほどの山上の変容の時にも、そして最後の十字架の時にも記されています。神様が愛の神であること、そしてイエスさまが父なる神に愛される神のひとり子であり、わたしたちに父なる神の愛を注ぎいでくださり、その愛に生きることの幸いを教えるために来られたお方であるということが、繰り返し、繰り返しわたしたちに示され明かされます。この福音書がわたしたちに語っていることは、そのことでした。

 ところが、イエスさまのもとに押し寄せていた群衆も、また弟子たちでさえ、イエスさまのみ言葉とみ業に直に接しながら、イエスさまを信じることができず、その真実の姿に気づくこともありませんでした。そしてついには、愛そのものである神様のひとり子であるイエスさまを、どこまでも愛し抜いてくださるイエスさまを、人々は、そしてわたしたちは、十字架につけてしまいました。

 なぜか。なぜ、わたしたちは愛の神の子を殺してしまったのでしょうか。

 

■その人こそがまことの愛のお方

 今日は棕櫚の主日。イエスさまが、十字架につけられることになるエルサレムへと到着し、沿道に敷き詰められた棕櫚の葉の上を、人々の歓呼の声の中に入城された、そのことを記念する日です。「ホサナ―主に栄光あれ」という勝利を賛美する、凱旋の声に包まれるイエスさまの姿はしかし、奇妙なものでした。勝利者らしく、たくましい馬に跨って威風堂々と進んで来たというのではありません。地面に足がつきそうなほどの小さな驢馬に乗って、とぼとぼと、いかにも頼りない格好で、人々の歓呼の声の中を進み行かれます。まるで、痩せこけた馬ロシナンテに跨り、従者サンチョ・パンサを引きつれて遍歴の旅に出かけたドンキホーテのように、イエスさまの姿は、とても滑稽なものでした。

 しかし、滑稽と見えるその人こそが救い主、まことの愛のお方でした。

 その滑稽な姿を冷ややか見ていた人たちがいました。彼らは心ひそかに嘲笑っていました。「驢馬に跨ってやってきた、あのみすぼらしい男が、救い主であるはずがない、その正体を白日のもとにさらしだし、歓呼の声を上げている人々の目を覚ましてやろう」。律法学者やファリサイ派、祭司長たちです。

 彼らのもくろみは成功し、イエスさまは、衣服をはぎ取られて裸にされ、その上に赤いマントを着せられ、いばらの冠を頭にかぶり、右手に葦の棒をもたせられて、「ユダヤ人の王、万歳」という歓呼の声の中を歩まされました。栄光をたたえるその声は、エルサレムに入られるときとは全く異なる、嘲りと侮蔑以外の何ものでもありません。

 ゴルゴダの丘へと引かれて行くイエスさまにぶどう酒が差し出されます。それは、当時しばしばなされていたように、罪人に与えられる気つけ薬でした。十字架の上で受ける槍の痛みがもっと強いものとなるように、という悪意から与えられるものでした。「ユダヤ人の王」という罪状がイエスさまの首にかけられ、二人の強盗と同じところへ引き出されます。それは、まことの王だ、救い主だとあなたたちが信じたこの人は、ただの強盗と同じ者だ、ということを意味していました。これらすべてことが、嘲りと侮蔑以外の何ものでもありません。

 しかし、嘲りと蔑みに包まれたその人こそが救い主、まことの愛のお方でした。

 イエスさまのみじめで、弱々しい、無力なその姿を見た人々は、期待が大きかっただけにその失望も大きく、祭司長たちと一緒になって、イエスさまに嘲笑と侮蔑の言葉を投げつけます。

 「神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い」

 「他人は救ったのに、自分は救えない。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから」

 この言葉にハッとさせられます。神様が「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言われた、その言葉を嘲笑し、否定する言葉そのものだからです。

 しかし、罵倒、嘲笑、侮蔑に満ちたこれらの言葉を投げつけているのは、イエスさまを歓呼して迎えて人たちであり、そしてわたしたち自身だと思わざるを得ません。自分のことをさておいて、他人のことを愛し、他人のために祈り、他人のために持っているものをすべて差し出す人を、わたしたちは愚かな人だと考える、そんな世界に生きています。他人の借金の保証人になって財産を失ってしまった人を同情はしても、心の中では、なんてお人好しだろう、と呟いています。海でおぼれかけている人を助けようとして死にでもすれば、運が悪かったねと言いながら、一人で助けようとしたその人が愚かなのだ、と思ってはいないでしょうか。路上生活をしているけども立ち直るために故郷に帰るお金がないから貸して欲しいという人に、その度、大切なお金と時間を費やす人をいい人だねと言いながら、でも戻ってくることのないお金と時間をそんなに使うなんて信じられない、と馬鹿にしてはいないでしょうか。 Continue reading

4月3日 ≪受難節第5主日礼拝≫ 『生きている者の神』マタイによる福音書22章23〜33節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■死ぬこと

 今、ここを生きているわたしたちの誰も、自らの死を経験した者はいません。経験したこともないわたしたちが、死をどのように理解し、受け入れることができるのか。それは、愛する者の死を通して、です。それ以外に方法はありません。

 愛する家族を、かけがえのない友を失った。大切なものをなくしてしまったという経験は言葉にならない大きな悲しみ、苦しみです。わたしたちはその痛みから容易に解放されません。時に生きる気力、生きる意味を奪い去ってしまいそうになります。

 その一方で、天に召された方たちの「記憶」は、時とともに確実に削ぎ落とされていきます。寂しさと後ろめたさを感じるとしても、そのことはどうしようもないことです。いえ、むしろ大切なことだとさえ言えるでしょう。記憶が徐々に削ぎ落とされていくことで、逆に、一緒に暮らしていたときには隠されていたものが見えてきて、本当に大切で、かけがえのないことだけが、わたしたちの心の底に、深く、さらに深く沈み込んでいくように刻み込まれていくからです。

 先に天に召された方のことを思い起こすことでわたしたちは、誰も避けることのできない死を、自らの死をしっかりと見つめるようになります。そして、生きていることの意味、神から与えられた「いのち」の、生かされ生きている「いのち」のかけがえのなさに気づかされ、真実の希望に導かれます。死や苦難ゆえの疑いや苦しみのただ中にあってなお、そのすべての思い煩いを神のみ前に投げ出し、いのちの神にすべてを委ねる、その信仰に生きることの深い恵みを味わうことができるようになるはずです。

 とは言いながら、神にすべてを委ねることは決して容易なことではありません。そうできないばかりか、苦難や死の出来事に直面するとき、わたしたちは、目に見えるものに囚われ、自分の経験に縛られて、果ては、神などいないと言わんばかりに、現実をただ自分たちに都合よく解釈し、ただ自分の理解できる枠の中で説明し、何とかしてやり過ごそうとするばかりです。

 

■復活はあるか

 そんなわたしたちに、イエスさまが今、こう語りかけられます。29節、

 「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている」

 「思い違いをしている」プラナーオーという言葉は、もともと「迷い出る」「横道にそれる」という意味で、単なる勘違いというのではなく、大いに誤っている、大きな過ちを犯している、といったニュアンスを持つ言葉です。よくご存じの、百匹の羊の内の一匹が「迷い出た」というたとえ話の「迷い出る」という言葉が、この「思い違い」と訳されている言葉と同じです。「いのち」「復活」について、とんでもない思い違いをしているために、とんでもないところまで迷い出てしまっている、大きな過ちを犯している、そう言われます。ここでイエスさまとやり取りをしているのは、もちろんサドカイ派と呼ばれる人たちですが、この言葉は、今ここにいるわたしたちにも向けられています。

 「復活」という教えほど、つまずきとなるものはありません。イエスさまの言葉や行いは感銘深い、考えさせられ、また聞き従うべきものだと思うけれど、「復活」ということだけはどうもいただけない。これさえ外してもらえれば、イエスさまの教えを学び、生き方を模範として歩もうということなら、自分もクリスチャンになれるのだが、と思っている方は少なくないでしょう。すでに洗礼を授けられた方の中に、今もそう思っている人がおられるかもしれません。

 サドカイ派の人々も復活などないと考えていました。サドカイ派はファリサイ派と並ぶ、ユダヤ教の主流派の一つです。二つの派閥はもともと対立関係にあり、その対立点、争点が「死者の復活はあるか」ということでした。

 サドカイ派は、「モーセ五書」と呼ばれる旧約聖書の最初の五つの書物、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記だけを信仰の規範としていました。その後成立した父祖伝来の口伝を受け入れず、預言書すら二次的な価値しか認めません。そして霊の存在も、天使の存在も、死後の裁きも、復活も否定していました。モーセ五書に何一つ触れられていないから、彼らはそう主張しました。言われて見れば確かに、創世記もそうですが、死とは人の存在が消えてしまうこと、滅びるようにして土に帰ることだ、と書かれています。

 それに対しファリサイ派は、モーセ五書以後に書かれた歴史書や預言書、また父祖以来の数々の言い伝えを受け入れていました。それらの中には、死者の復活を語っているものが数多くあります。そのことを根拠に、ファリサイ派は復活があると主張していました。

 

■つまずく本当の理由

 しかし、復活をめぐる対立の根本には、何を正典、信仰の基準とするのかということだけにとどまらない、彼らが生きていた世界の違い、見つめている事柄の違いがありました。

 サドカイ派は、「祭司職」を担う貴族階級です。祭司たちは、神殿での定められた祭儀をきちんと行なうことを第一に考えました。また自ずと支配者、権力者とのつながりも深く、保守的で、現状維持の姿勢を持つようになります。彼らは、今、自分たちが得ている高い地位や豊かな生活を守るために変化を嫌います。そんな彼らにとって、復活によって与えられる新しいいのちよりも、現在の生活と秩序の方が大切です。彼らが復活を否定するのは、それが聖書に書かれていないからというよりも、関心が現在の生活と秩序にあって、死後の復活に興味がない、いえむしろ、この世の生活、現在の秩序ではなく、死後の世界、新しい秩序を期待する復活信仰を危険視さえしていたからでした。

 一方、「律法学者」でもあったファリサイ派は、律法を研究すると共に、律法に基づく生活を人々に教え、民衆が神の民イスラエルとしての自覚と誇りを持って、神に従って生きる者となることを目指していました。イスラエルの民は、何世紀にもわたる様々な大国による支配の後、今はローマ帝国の支配による苦しみと屈辱の中にありました。その人々に神の民としての誇りと自覚を持たせようとする彼らの目は自然と、将来の救いへと向けられます。今は、神の力が隠されているけれど、来るべき世にはそれがあらわになり、イスラエルの救いが完成する。そういう将来への希望を抱く彼らは、救いの完成のときに死者が復活することを信じ、受け入れるようになりました。

 復活をめぐる問題は、その人がどこに身を置いて、何を大切にして生きているかという問題だということです。サドカイ派が復活を否定するのは、それが非科学的だからではありません。現世の生活と秩序を優先し、この世における人生のことだけを考えているからです。信仰も、この世での幸福に役に立つかどうかという目で見ています。そういう現世主義、この世の利益だけを求める信仰であれば、死者の復活など受け入れられるはずもありません。

 わたしたちが復活のことを避けて信仰を考えようとする時にも、そういう現世中心の思いが働いてはいないでしょうか。復活が信仰のつまずきになるのは、わたしたちの思いがこの世の人生だけ、目に見えるものだけを見つめているからです。死者の復活など科学的にあり得ないというのは、実は本質的な問題ではありません。自分にとって、それが本当に必要なことだ、それこそが真実だ、なくてはならないものだと思えば、科学的であるかどうかということとは全く関わりなく、わたしたちは信じるのです。復活が信じられないのは、復活などいらないと思っているからです。この世の人生が、目に見えるものがすべてだと思っているからです。 Continue reading

3月27日 ≪受難節第4主日礼拝≫ 『すべてを神に返す』マタイによる福音書22章15〜22節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■仕掛けられた罠

 21章23節に「イエスが神殿の境内に入って教えておられると、祭司長や民の長老たちが近寄って来て言った」とあります。その場面が続いています。過越の祭りでごった返す神殿の境内で、祭司長や長老たち、ファリサイ派の人々に、イエスさまは三つのたとえを語られました。「二人の息子」のたとえを聞き、また「ぶどう園と農夫」のたとえを聞いた彼らは、イエスさまを捕らえようとしますが、イエスさまを預言者だと信じる群衆を前にすぐには実行できません。さらに「婚宴」のたとえの最後に、「『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」という言葉を聞いたとき、彼らははっきりと殺意を抱いたに違いありません。

 「それから、ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた」

 「罠にかけよう」。イエスさまを捕え、殺すためにです。それも合法的にやらなければなりません。自分たちが法を犯すわけにはいきません。どうするか考えるために一旦、イエスさまの前から姿を消したかれらは、相談の結果、自分たちの代わりに弟子たちをヘロデ派の人たちと一緒にイエスさまのもとに遣わし、狙いを定めた猟師が銃を撃ちやすい所に獲物を誘うように「言葉じりをとらえ」、罠を仕掛けることにしました。

 遣わされたのは「ファリサイ派とヘロデ派」です。驚きです。

 そもそもヘロデ派は領主ヘロデ・アンティパスと結びつくことで利益を得ていた人々です。ヘロデはローマ帝国からガリラヤとペレアの統治権を委ねられていた人です。当然、親ローマの立場です。一方、ファリサイ派はその真逆の立場にありました。律法を厳格に守ろうとする彼らは世俗的なヘロデ派には批判的で、言わば、水と油のような両者です。その彼らが結託して、イエスさまのところにやって来たのです。普通であれば、まずあり得ない組み合わせです。それだけイエスさまの存在が我慢ならなかったのでしょう。目の前にいる共通の敵であるナザレのイエスを葬り去ることで意見がまとまり、手を携えてやって来たのでした。

 「敵の敵は味方」ということです。皮肉にも、イエスさまを前にした時、対立していたはずの人間どうしの間に一致が生まれました。しかしそこで明らかになるものは、神を神として受け入れることなく、自分が神となり、自分の思いによって生きようとする罪の姿です。誰であれ、すべての者に神の愛が、赦しが、救いが差し出されていると告げるイエスさまの福音は、自分だけを愛し、自分が主人となり権力を握って生きようとしている者にとっては、神からの挑戦、告発となります。その告発の前で人は、様々な不和や対立を超えて一致していきます。

 「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです」

 慇懃無礼なほどの陰湿な言葉で、仕掛けた罠から獲物に誘い込み、逃れられないようにします。

 

■律法に適っているか
 
 そして、こう問いかけます。

 「ところで、どうお思いでしょうか、教えてください」

 毒を盛った杯をイエスさまの口元に差し出すようにして、用意してきた質問を投げかけます。

 「皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか。適っていないでしょうか」

 「律法に適っているか」は意訳で、本来は「許されているか」です。ユダヤ教の信仰からは「正しいことかどうか」、「可能かどうか」ということです。「税金」は人頭税の意味です。ラテン語では「住民登録」を意味します。その調査に基づいて人頭税が課せられました。ユダヤ、サマリア地方では、ローマの直轄領になった直後、シリア総督キリヌウスが指揮して住民登録を行っています。紀元6年のことです。それに基づいて人頭税が徴収され始められます。

 ローマ帝国によって人頭税が徴収されたとき、その地方に反対運動が起こりました。人頭税は一人1デナリオン、まる一日分の労賃に相当します。所得税とは別に、収入に関係なく納めなければなりません。貧しい人々にとっては重い負担です。そして何よりも、それは民族としての存立を否定され、奴隷になることを意味しました。ガリラヤ出身のユダとファリサイ派のサドクが中心になって始められた反対運動は、この後、66年の第一次ユダヤ独立戦争まで続くことになります。

 税金はどの時代にあっても、自分たちが望んだ支配体制によるものであれば、多少の我慢はできても、それが押し付けられた体制・権力によるものということになれば、到底耐えられるものではありません。しかもその反抗、抵抗を支える信仰がありました。ファリサイ派の人々を支えていたメシア信仰です。神がイスラエルの民を救うためにメシア—救い主を送ってくださる。そのメシアがもうすぐ来られる。事実、イエスさまは自分がその救い主であると弟子たちに繰り返し告げ、そのことが周りの人々にも聞こえていました。

 人々は、メシア・救い主の到来によってローマ帝国の支配から解放されると期待していましたから、イエスさまが皇帝に税金を納めることは正しいことで、神の道に適っていると答えれば、人々のメシアへの期待を裏切ることになります。イエスさま自身が自分はメシアでないと言うようものです。つまりここに仕掛けられた罠は、単にローマに人頭税を払うことは許されるのかどうかといったことではなく、イエスさまとは何者なのか、メシアであるかどうかを試そうとする、そんな問いかけでした。

 しかもそこで、仮にイエスさまが、わたしはユダヤ人をローマの権力から解放するメシアだ、もうローマ皇帝に税金を納めなくてよいのだと言えば、それこそ望むところとばかりに、この人はローマ帝国への反逆者だと直ちに訴えて死刑に処することができる。自分たちの手を汚さないで、自分たちの思惑通りとなる。周到に準備された罠でした。

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3月20日 ≪受難節第3主日礼拝≫ 『婚宴の礼服』マタイによる福音書22章1〜14節 沖村裕史 牧師

■十字架のたとえ

 都エルサレムに入城されたイエスさまは、「何の権威でこのようなことをしているのか」と詰め寄った祭司長や民の長老たちに向って、「『二人の息子』のたとえ」「『ぶどう園と農夫』のたとえ」に続いて、3つ目の「『婚宴』のたとえ」を語り始められます。

 「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている」

 イエスさまが教えられた「天の国」とは、死んだ後に行く場所というよりも、「悔い改めよ。天の国は近づいた」とあるように、もうすでに訪れている王なる神様の支配、今ここにもたらされている神様の愛の御手を意味します。その天の国は、王子の結婚のために王国が開く祝宴のようなものだ、とイエスさまは言われます。

 この「婚宴」という言葉は複数形です。当時のユダヤでは、婚宴が一週間も続いていたからです。その準備は大変です。そこで、招待する人々にはあらかじめ招待状を出しておき、いよいよ婚宴の会場や食事の準備がすべて整ったところで改めて、「準備ができましたので、さあ、どうぞおいでください」と呼びに行かせた、と言います。

 このたとえでも、王は家来に、「牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています」と言わせています。婚宴の様子が目に浮かぶようです。しかも、これは王子のための婚宴です。一生に一度あるかどうかのことです。どんなに豪華なものか計り知れません。これを断ることなどとてもあるはずがないように思われるのに、それが起こったと言います。

 誰も「来ようとしなかった」。

 家来たちの招き方に問題があったと考えたのでしょうか。王はわざわざ、招くときの言葉まで伝えた上で、もう一度、別の家来を遣します。王の熱い思いが伝わって来るようです。しかし結果は同じ。招かれたはずの人は誰一人やって来ません。どうしてか。招かれた人は何を考えていたのでしょうか。

 「人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった」

 自分たちの都合を優先したのです。仕事をしたほうが得だと考えました。そればかりか、王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺す人までいました。

 人々は王が送った家来の話を聞いたはずです。家来たちは王の熱い思いを知っていましたから、心を込めて丁寧に、「すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください」と王から聞いた言葉のままを「王からの声」として伝えたはずです。

 しかしそれを「うるさい」と感じたのです。煩わしく、耳障り、いい迷惑だと感じたのでしょう。「さあ、婚宴においでください」というその声を消すために、声を発する家来を捕まえ、殺してしまいました。

 それこそ、イエス・キリストの十字架でした。

 なぜ、イエスさまは殺されたのか。それは、イエスさまが「さあ、婚宴においでください」という神様の招きを伝えたからです。神様の言葉をそのままに語ったからです。神様の言葉は、わたしたちを救いに導く「よき知らせ」、福音のはずです。招かれた側はその招きに応じて、「本当にありがとうございます」と知らせてくれた方の手を握り、心からの感謝をもって応えてもいいはずです。しかし、そうはしませんでした。

 なぜか。招きに応じれば、自分の都合を脇に置かなければならないからです。自分の思いのままに生きる、その生き方を変えなければならないからです。それで、その声が聞こえないよう、その声を無視し、その声を伝える者を殺したのです。

 

■すべての人を招かれる

 さて、王はどうしたでしょうか。

 「王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った」

 「ぶどう園と農夫」のたとえが思い出されます。しかし、「ぶどう園と農夫」のたとえと今日のたとえには決定的に違っているところがあります。ここでたとえ話が終わっていないことです。今日のたとえには続きがあるのです。

 「そして家来たちに言った。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい』」

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3月13日 ≪受難節第2主日礼拝≫ 『主人はどうするだろうか?』マタイによる福音書21章33〜46節 沖村裕史 牧師

■すべてを整えて

 「もう一つのたとえを聞きなさい」

 「ダビデの子にホサナ」と叫ぶ人込みの中を、ロバに乗って入城したイエスさまは、そのまま神殿の境内に入ると、「祈りの家…を強盗の巣にしている」と怒りもあらわに、売り買いをしていた人々を追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛をひっくり返します。その翌朝、再び神殿に戻って来られたイエスさまが人々に教え始めると、その様子を見ていた祭司長たちや民の長老たちが近づき、罪に陥れ、殺そうとの意図をもって、「何の権威でこのようなことをしているのか」と尋問します。緊迫したそのやり取りの中、イエスさまは、前回の「二人の息子のたとえ」を語り、そして今日も、「もう一つのたとえ」として「ぶどう園と農夫のたとえ」を続けます。その冒頭、

 「ある家の主人がぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た」

 「ある家の主人」とは、ぶどう園の主人、農園の地主であり経営者のことです。当時、パレスチナに農園を所有していた地主の多くは、その地方の情勢が不穏であったことから、自分の土地を人に貸して、自身は他の土地に行って暮らし、そこから時々出てきては地代を集めていたようです。この主人もそんな地主の一人だったのでしょう。そしてイエスさまは、その主人が「ぶどう園を作った」と語るだけでなく、「垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て」と事細かく語ります。

 当時のぶどう園では、ぶどうの実そのものを出荷するのではなく、収穫されたぶどうからぶどう酒を造っていました。「搾り場」とはそのための施設です。岩を削って作るか、れんがを重ねて作った細長い二つの桶のような形のもので、一方は高く、もう一方は低くし、両方を繋いで、高い方でぶどうを搾るとその汁が低い方に流れてたまる仕掛けになっていました。茨の垣根や見張りのやぐらは、盗賊や畑を食い荒らす動物たちからぶどうを守るためのものです。ちなみにやぐらは、農園で働く人たちの宿泊施設にもなっていたようです。

 つまりこの主人は、十分な設備投資を行い、必要なもの「すべてを整えた」上で、農園を農夫たちに貸した後、旅に出たのです。後は実りを待てばよい。実りが約束をされたぶどう園を預けました。きちんと仕事をしさえすれば、収穫があがり、彼らの生活がこのぶどう園によって支えられ、主人にその取り分を支払うこともできる。そこまでして、主人は「収穫を受け取るために、僕たちを農夫たちのところへ送った」のでした。

 創世記の冒頭を思い出します。神様は造られたひとつひとつをご覧になって、そのすべてを「良し」とされた、「よい」と宣言されたとあります。そしてわたしたち人間を造られるときには、「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう」(1:26)と言われました。十分に豊かな実りを結ぶよう、神様がすべてを、本当に必要なものをすべて整えて、わたしたちに預けてくださったのです。たとえに出てくる農夫たちと同じです。

 神様がわたしたちに預けてくださったこの世界、わたしたちの人生は、決して不毛なものではありません。わたしたちはときに、宗教とか信仰というものは、「わたしたちが生きているこの世の生活が不毛で、実りのないものだから、この世を捨てて別の世界に移って生きなさい」と教えるものだ。そう考えるかもしれません。しかしそれは全くの誤解です。

わたしたちの誰もが、神様から与えられたいのちを、人生を生かされ生きています。自分のものだと思っているものの中で、自分一人で造り出したと断言できるものなど何ひとつありません。わたしたちのいのちも、家族や友人も、学校や職場も、信仰も教会も、みんなそうです。与えられたとしか言いようのないものです。神様が与え、神様が預けてくださっているのです。

 とすれば、わたしたちのいのち、存在、人生が、初めから干からびた不毛の野として、神様から与えられているはずはありません。聖書によれば、「神様が与えてくださったこのいのちゆえに、わたしたちを愛してくださっているのです」。それが、わたしたちが今ここに在ることの、生きていることのただ一つの根拠です。そのために神様は必要なもの「すべてを備えて」くださっているのです。

 

■神なきが如くに

 ところが農夫たちは、主人が「収穫を受け取るために…送った…この僕たちを捕まえ、一人を袋だたきにし、一人を殺し、一人を石で打ち殺し」てしまいます。主人にとっては思いもしない屈辱的な対応です。主人をないがしろにし、あたかも自分が主人であるかのような農夫たちの振る舞いです。それでも、主人である神様は僕たちを送り続けます。しかし農夫たちは、その僕たちも同じ目に遭わせます。旧約の歴史に現れた、数多くの預言者の受難と重なってきます。しかしそこにこそ、農夫たちとの関係の回復を、回心を、悔い改めをどこまでも願い続ける、愚かしいまでの神様の愛が示されます。

 行き着くところにまで行き着いたかのように見えたそのとき、この主人は、尋常ならざる決断を下します。

 「そこで最後に、『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、主人は自分の息子を送った」

 文頭に「最後に」という言葉が置かれています。「自分の息子」とは神の独り子のことです。父なる神からの「最後」の派遣。御子イエスが、この世に、わたしたちのところに来られたということは、そういうことでした。

 もう後はありません。

 主人は、「わたしの息子なら敬ってくれるだろう」と、最後の望みをかけます。「敬う」とは、「向きを変える、回心する、恥じ入る、そして敬う」という意味の言葉です。直訳すれば、「わたしの息子を前にして、彼らは敬意を抱き、恥じ入り、回心するだろう」です。逆らい続ける人々が、本来の関係に立ち返ることを、悔い改め、回心するようにとの、最後の、極限までの父なる神の愛が、ここに示されます。

 ところが農夫たちは、「これは跡取りだ。さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう」と相談し、その息子を捕まえ、ぶどう園の外にほうり出して殺してしまいます。

 このたとえは、祭司長や民の長老たち、あるいはファリサイ派と言ったユダヤ教の指導者たちに向って語られています。これは明らかに、御子イエスが、ユダヤ教の指導者たちによって、エルサレムからほうり出され、ゴルゴの丘で十字架に架けられ、殺されてしまうことを指し示しています。

 農園を自分たちのものとするために、神様の言葉を黙殺し、だから、その子まで殺す。もはや農夫たちは、「遠くにいる」主人の存在に何の遠慮もしません。主人の愛も、その存在さえも全く忘れ去られている、と言ってよいほどです。 Continue reading

3月6日 ≪受難節第1主日礼拝≫ 『さあ、一緒に!―聖餐(12)』コリントの信徒への手紙一10章14〜22節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■コロナウィルスの中で

 ウィリアム・ウィリモン『日曜日の晩餐』も最後の10章となりました。一昨年の信徒研修会以降、中止せざるを得なかった聖餐式に代わって毎月一回続けて来た「聖餐」の学びも、今日で終わりとなります。

 最後となる今日のタイトルは、“Let’s Get Together”「さあ、一緒に集まろう!」です。最も大切なことは「一緒に集まる」こと。そう語るウィリモンの言葉は、コロナウィルスのためにこの二年間、礼拝を始めとするすべての教会活動を132日間にわたって中止し、今も聖餐式を再開できないでいるわたしたちの教会にとって、とても意義深いものです。中止に伴い、礼拝説教を記載した「からし種通信」と週報を郵送し、ホームページで礼拝動画の配信をずっと続けてきました。しかし、それはそれだけのことです。一緒に集まって、顔と顔を合わせ、互いに言葉を交わすことが、どれほど大切なことなのかを思い知らされました。「教会は交わりである」という言葉の本当の意味、「交わり」のないところに福音も、福音伝道も成り立たないことを実感させられました。

 今日は、その「交わり」としての「聖餐」Communionについて、ご一緒に学ぶことができればと願っています。

 

■一人で食べる

 それぞれがそれぞれのグラスを使う現在の聖餐式のやり方は、スコットランドの長老派から受け継いだものです。長老派の人々は、「主の晩餐」の食事を再現するために、聖餐に預かる人に一杯の葡萄酒と小さなパンを配り、会衆を食卓につかせ、食事の場面に見えるように、また食事と同じように味わえるように聖餐式を形作りました。また、ペッタンコな白く味のないウエハウスを用いる習慣は、傷も汚れもない聖なるキリストの体としてのパンを用いた、中世で熱心に行われていたやり方を継承したものです。時代を経るに従って、そのグラスもウエハウスもだんだん小さくなり、教会は食べ物なしの見せかけの食事をするようになりました。これに加え、20世紀初頭の病原菌に対する過剰な反応から、今日、多くの教会で「祝われている」ような、指ぬきサイズの控え目なグラスとほんの小さな味のないパンによる「交わり」聖餐になりました。それは、最初期のクリスチャンたちがイエスさまと共に食事をした、聖書に記されているあの経験からは遥かにかけ離れた、現代のごく一般の人から見ても、食事とはとても思えないものになってしまいました。

 ウィリモンは、その典型的な例を挙げます。

 二年前「ウエスト」という雑誌の中で、主の食卓で一人ひとりにそれぞれのカップを配るのは時間の浪費で厄介であると考えた人が、そのための製品を売り出したという記事を読んだ時、わたしは「もう充分です」と言わずにはおれませんでした。

 その人は、クラッカーのような丸いものをつめた真空の小袋と、2グラムのグレープジュースの袋を作りました。それは、使い捨ての、必要なものが入っている、すぐに提供できる主の食卓―いわば「これはあなたのためにパッケージになったわたしの体です」といったものです。

 …わたしたちは車で教会に駆けつけ、祈りを打ち込み、メールで献金をし、テレビで説教を聞き、パッケージの聖餐にあずかります。それはまさに、自給自足の「交わり」聖餐ではないでしょうか。今や、このパッケージされたユニットのおかげで、他の誰かと接触する必要も、触れられる必要もありません。

 これは、アメリカのお話というのではありません。コロナウィルス感染拡大の中で、聖餐式を守るための「良い方法」として、日本の少なからぬ教会が、「パッケージされたユニット」での聖餐式を採用しました。ウィリモンは、そんな聖餐を「一人で食べる」聖餐と呼び、警鐘を鳴らします。

 聖餐と交わりは、電子的で、パッケージされた教会のために捨て去られてしまいました。すべての人が家にいて、他の人に煩わされることなく自分のことをする、そんなバラバラな「教会」になってしまいました。

 

■分裂

 パウロの手紙によれば、コリントの人々もまた、バラバラに分裂していました(1:1-2)。同じ手紙の12章で、パウロが「賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。…あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です」と言わなければならないほど、霊の賜物は「一致」よりもむしろ、「分裂」の源となっていました。パウロは、分裂の危機を回避するため、コリントの人々の目を主の食卓に向けさせようとします。

 パウロは、主の食卓と「悪魔の食卓」とを対比させます(10:21)。教会の分裂は、聖なる食事を堕落させてしまいました。何人かは食べ、酔っぱらうほどに飲んでいますが、他の人は飢えたままです。ただ一緒に集まって食べたとしても、それで主の晩餐を食べたことにはなりません(11:20)。パウロは彼らを告発します。普通の人のことに心を配らない人は、「主の体をわきまえ」ない者だ、と(11:29)。この「体」とは、教会、「キリストの体」のことです(cf.ローマ12章)。主の食卓で、それぞれがそれぞれのために食べることで、教会が求める一致を損なってしまっている。コリントの人々は、交わりとしての「主の食卓」を食べるよりもむしろ、利己的な「自分のための食事」を食べていたのです。彼らの利己的な食事は、主のあるべき食卓の交わりを冒涜し、嘲うものでした。

 わたしたちも、日曜日の朝を、自分と自分の願いのための個人的な時間だと思ってはいないでしょうか。各人それぞれにやってきて座席に座り、それぞれの思いで考え、それぞれに自分のパンを食べます。子どもたちのしゃべり声やオルガンの音の大きさや隣の誰かのささやきが、わたしの黙想を妨げると不満を言います。神との個人的な出会いは、それぞれの時で、それぞれの場所で持たれることになります。

 しかし日曜日の教会は本来、そのような時でも、そのような場でもありません。日曜日は「家族」の日です。共に集まる喜びの日であり、回心し、新しく造り直され、互いに出会い、また神に出会う日です。わたしたちは、孤立した個人主義から解放されて、「主の体」に繋がれます。思いがけず、ばらばらだった者たちが「家族」へと変えられます。わたしたちは立ち上がり、食卓の周りに集められ、親しい「家族」になります。

 日曜日の礼拝は「共同」の礼拝です。それがキリストの体を造ります。日曜日に、わたしたちは「個々の集まり」としてではなく、一つの思い、一つの言葉をもって祈る「キリストの体」として集まるのです。

 メソヂストの指導者、ジョン・ウェスレーが言ったように、「キリスト教は社会的宗教です。それを孤立したものに変えてしまうことはキリスト教を壊してしまうことです」。ウェスレーはこう言いたかったのではないでしょうか。 Continue reading

2月27日 ≪降誕節第10主日礼拝≫ 『後で考え直して』マタイによる福音書21章28〜32節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■読めばわかる?

 「あなたたちはどう思うか」

 「あなたたち」と呼びかけられたのは、前回、イエスさまと議論をしていた祭司長や民の長老たちです。この呼びかけに続けて、イエスさまは一つのたとえ話を彼らに語りかけられます。

 とてもシンプルなたとえ話です。ある人に二人の息子がいました。最初に父親は兄のところに行き、「今日、ぶどう園へ行って働きなさい」と言うと、「いやです」と答えます。それでも兄は、「後で考え直して」ぶどう園に行きました。それとは知らない父親は弟のところへも行き、同じことを言います。すると「お父さん、承知しました」と素直に答えます。しかし、弟はそう言っただけでぶどう園行にはかなかった、というたとえ話です。

 「読めば分かる」たとえ話です。では一体なぜ、イエスさまはこんなにも分かり易いこのたとえ話を彼らに語られるのか。その真意はどこにあるのでしょうか。

 そもそも、祭司長と民の長老たちはイエスさまからこう問いかけられていました。

 「ヨハネの洗礼はどこからのものだったか。天からのものか、それとも、人からのものか」(21:25)

 彼らは、洗礼者ヨハネを神様にから遣わされた預言者とは認めていませんでした。本当であれば、ヨハネに聞き従うことは神様の御心ではない、むしろ神様に逆らうことになるのだと教え、人々の間違いを正していくべきであったのに、そうはしません。大勢の群衆が、ヨハネを神様からの預言者と信じて、続々と彼からヨルダン川で洗礼を受けていたからです。「群衆が怖い」のです。彼らは、神様を恐れ、神様の権威に従おうとしているのではなく、人を恐れ、人の評判を気にしています。面子が保たれ、自分たちの権威と身の安全が守られることが何よりも大事でした。ああでもないこうでもないと、祭司長、長老たちの間に議論が始まり、議論の末に彼らが出した答えは、「分からない」でした。欺瞞に満ちた彼らの姿が露わになります。

 このやり取りに続いて、イエスさまの口から今日のたとえ話が語られました。そしてこのたとえ話の後で、イエスさまが再び問いかけられます。

 「この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたのか」

 父親の望みとは当然、神様の望みのことです。父なる神は何を望んでおられるのか。「この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたのか」とイエスさまは問いかけられます。それは、「神の望み、御心に生きる」、そういう生き方への招きでした。

 問われた祭司長、長老たちは「兄の方です」と答えます。

 正しい答えです。ただ、「読めばわかる」この物語が実は、自分たちの物語だということに彼らはまだ気づいていません。だからこそ、すんなり答えることができたとも言えます。もし、それが自分たちの話だと分かっていたのなら、簡単に答えることができず、ここでも前回同様、「分からない」と答えたかもしれません。

 

■後で考え直して…

 「兄の方です」という正しい答えを彼らから引き出した上で、イエスさまはその答えを彼ら自身に突きつけられます。

 「イエスは言われた。『はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。…』」

 徴税人は律法を守らず、同胞を裏切ってローマの手先となり、貪欲をほしいままにする人々でした。そのため、ユダヤ社会から完全に締め出されていました。娼婦と言えば、その存在そのものが汚れたもの、厳しく排除すべき存在と見做されていました。そのことは神の律法に定められていること、疑問を持つ者など誰一人いません。

 ところがイエスさまは、その「徴税人や娼婦たちの方が」、神の律法に対して敬虔な「あなたたちより先に神の国に入る」ことになると宣言されます。驚くべき救いの宣言です。

 この救いの宣言をさきほどのたとえ話と結びつけることによって、兄と弟がそれぞれ一体だれを指しているのか、このたとえ話に込められたイエスさまの願いがどのようなものなのか、明らかになります。

 「お父さん、承知しました」と言った弟は、律法を忠実に守り、神の民としての分を守ろうと心がけている敬虔な人、祭司長や長老たちを指しているのは明らかです。しかし実際には、前回、イエスさまから「天からのものか人からのものか」と問われたとき、神からの権威ではなく自分たちの権威に固執した彼らは、神様の御心を行うこともせず、御心にも従っていません。 Continue reading

2月20日 ≪降誕節第9主日礼拝≫ 『天からのものか、人からのものか』マタイによる福音書21章23〜27節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■欺瞞に満ちた問いかけ

 イエスさまが十字架で殺されることになる、三日前の火曜日のことでした。祭司長と民の長老たちが、イエスさまを問い質すように、こう尋ねます。

 「何の権威でこのようなことをしているのか」

 「このようなこと」とは、前日、イエスさまが神殿の境内で大暴した、「神殿きよめ」のことでしょうか。それとも、そのとき神殿の境内で教えておられたことでしょうか。そのいずれであれ、単に「ここはわたしたちが管理している場所です。勝手なことをされては困りますよ」と注意したということではないようです。

 「祭司長と民の長老たち」という言葉が、木曜日の最後の晩餐から金曜日の十字架までを描く26章から27章にかけ、三度も出て来ます。26章3節以下には「…祭司長たちや民の長老たちは、カイアファという大祭司の屋敷に集まり、計略を用いてイエスを捕らえ、殺そうと相談した」とあり、同じ26章47節には「イエスがまだ話しておられると、十二人の一人であるユダがやって来た。祭司長たちや民の長老たちの遣わした大勢の群衆も、剣や棒を持って一緒に来た」とあり、27章1節以下には「夜が明けると、祭司長たちと民の長老たち一同は、イエスを殺そうと相談した。そして、イエスを縛って引いて行き、総督ピラトに渡した」とあります。彼らは、イエスさまの逮捕・殺害を企て、それを実行した人々でした。

 その「祭司長と民の長老たち」からの問いです。この問いには、イエスさまへの敵意と殺意が込められていたはずです。これまでにも、繰り返しイエスさまを罠に掛け、捕らえようとした人々です。彼らは、イエスさまの権威を神からのものだなどとは考えてもいません。神殿に仕える自分たちは、十分な教育を受け、正式に任命もされ、神からの権威を与えられているが、この男はただのガリラヤの大工の息子に過ぎないではないか、という思いが見え隠れします。そのイエスさまへの「何の権威でこのようなことをしているのか」という問いかけは、その言葉尻を捕らえて、陥れ、群衆の気持ちをイエスさまから引き離そうとする、まさに欺瞞に満ちたものでした。

 

■問いかけるイエスさま

 イエスさまは、敵意と殺意を含んだ欺瞞に満ちたその問いかけに、直接お答えにはならず、逆に、こう切り返されます。

 「では、わたしも一つ尋ねる。それに答えるなら、わたしも、何の権威でこのようなことをするのか、あなたたちに言おう。ヨハネの洗礼はどこからのものだったか。天からのものか、それとも、人からのものか」

 「ヨハネの洗礼は天からのものか、人からのものか」

 天からであれば、それは神からのものであり、権威あるものです。それには聞き従わなければなりません。人からであればそれは人間が勝手にしていることで、従う必要はありません。つまり、「天からのものか、人からのものか」というこの問いかけは、天からの権威には従い、人からの権威には従わない、ということを前提としています。祭司長と長老たちは、イエスさまからこう問い返されることによって、「わたしの権威を問うからにはあなたがたは、天からの権威には聞き従い、人からの権威には従わない、という姿勢を持っていなければならない。その姿勢をはっきりと見せなさい」と迫られたのです。

 祭司長と長老たちは、普段は問われる側ではなく、人の罪を問いただす側にいる人たちです。思いもかけず問い返されて、戸惑う彼らは互いに議論を始めます。

 「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と我々に言うだろう。『人からのものだ』と言えば、群衆が怖い。皆がヨハネを預言者と思っているから」

 このやりとりから、彼らが一番気にかけていたこと、彼らの本音が見えてきます。それは、自分たちの面子と身の安全です。本当は、ヨハネを神に由来する預言者とは認めていないのに、群衆を恐れて、そのことをはっきりと口にすることができません。本当は、ヨハネに聞き従うことは神の御心ではない、むしろ神に逆らうことになるのだと教えて、人々の間違いを正していくべきなのに、そうしません。大勢の群衆が、ヨハネを神からの預言者と信じて、続々と彼からヨルダン川で洗礼を受けていたからです。「群衆が怖い」のです。ヨハネの権威などどうでもよいのです。彼らは、神を恐れ、神の権威に従おうとしているのではなく、人を恐れ、人の評判を気にしています。面子が保たれ、身の安全が図れることが何よりも大事でした。

 イエスさまの問いによって、彼らの本当の姿が明らかになります。これまで彼らが聞いていたイエスの教え、また働きは、どれもこれもが、権威ある彼らからすれば疑わしいものばかりだ、と思っていました。そのイエスが今、自分たちのお膝元、都エルサレム、それも神殿の境内で教えています。彼らはそのイエスを問いたださずにおれなかったのです。イエスを尋問しました。そして返ってくる答えを、正しいかどうか、権威ある者として、自分たちが判断しようとしたのです。

 ところが権威者である自分たちの質問に答える代わりに、イエスさまは逆に問い返して来られたのです。その結果、ああでもないこうでもないと、祭司長たち、長老たちの間に議論が始まり、議論の末に彼らが用意した答えは何かと言えば、「分からない」という答えだったのです。

 

■「分からない」との答え

 福音書はこれまで何度も、神としての権威がイエスさまに現れていたことを伝えています。例えば、山上の説教を語り終えた時の人々の驚きを、「彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである」と伝えています。また9章の中風の人の癒しの場面で、イエスさまは「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう」と言って、中風の人に、「起き上がって床を担ぎ、家に帰りなさい」と神の権威で宣言をされます。罪を赦す権威を主張されたのです。

 つまり、イエスさまの権威は、山上の説教で語られたような愛による生き方をもたらす権威であり、また、罪を取り除く権威なのです。このとき、イエスさまは神殿の境内で教えておられます。そして同じ権威をもって、神殿を清められました。神殿にかかわる罪の清めも、福音に生きることの喜びを語ることも、実は、神の権威がなければ成し得ないことでした。

 そこに居合わせていた人々は、イエスさまの姿からそのことを感じ取ったに違いありません。そして感じ取ったのならば、それを素直に受け入れればよいのです。ところが受け入れず、「何の権威でこのようなことをしているのか。だれがその権威を与えたのか」と問いかけたのです。 Continue reading

2月13日 ≪降誕節第8主日礼拝≫ 『疑わないで』マタイによる福音書21章18〜22節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■裁きとしての奇跡

 イチジクの話です。この出来事もまた、イエスさまがなさった奇跡のひとつです。しかしこの奇跡は、イエスさまの他の奇跡―特に直前に描かれていた「目の見えない人や足の不自由な人たち…をいやされた」奇跡とはずいぶん異なっています。言ってみれば、「裁き」としての奇跡です。いったい、この話は何を語っているのでしょうか。

 考える糸口は、直前の出来事にあります。エルサレムに来られたイエスさまは真っ先に神殿にお入りになりました。過越祭の最中です。神殿は巡礼の人々でごったがえしていました。それをご覧になったイエスさまは、何かに取りつかれたかのように、「そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを」ひっくり返されます。一種、異様な姿です。そして続けて、こう言われます。

 「こう書いてあるではないか。『わたしの家は、すべての国の人々の祈りの家と呼ばれるべきである。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしてしまった」

 神殿が今や祈りの家ではなく、強盗の巣になってしまっている。礼拝が行われていないのではありません。毎日、たくさんの犠牲がささげられ、多くの献金がなされていました。形の上では正しい、立派な礼拝がなされていました。しかしそれを「強盗の巣」と呼ばれます。形だけで心が込められていないというのでもありません。「強盗」とは、人間の貪欲の罪のことです。

 問題は、貪欲、貪りの場になってしまっていることです。人々がどのような礼拝をしているかが問われています。人々は、「律法」に基づいて「神殿」で正しい捧げものをして礼拝をすることで、自分は神様をちゃんと礼拝している、正しい者であることを確認・確証し、平安と慰めを得ようとしていました。しかしそうする中で彼らは、その礼拝に共に集っている他の人々、特に弱さや苦しみを抱えて、神様の救いを切実に求めている人々のことが目に入らなくなっていました。だからこそ「境内では目の見えない人や足の不自由な人たちがそばに寄って来たので、イエスはこれらの人々をいやされた」のでした。弱く、小さな人々が打ち捨てられている礼拝の姿を、イエスさまは「強盗の巣」とお呼びになったのでした。

 そして今、葉ばかりで実をつけないイチジクの木にも、神の民と呼ばれるだけで内実のない、イスラエルの人々の貪欲さが表れていました。

 

■空腹を覚えられた

 冒頭に「朝早く、都に帰る途中、イエスは空腹を覚えられた」とあります。直前17節に、「都を出てベタニアに行き、そこにお泊まりになった」とありますから、お泊りになったベタニアで、何も食べられなかったのでしょう。

 すでにお話したように、ベタニアという町の名は「悩みの家」「貧困の家」という意味です。エルサレムの人々が蔑んでつけた名前です。その「悩みの家」「貧困の家」に上がり込んで、ご馳走になろうなどとイエスさまは考えもされなかったでしょうし、どだい無理な注文というものです。受難の一週間、イエスさまがベタニアからエルサレムへと毎日のように通われたその歩みは、穢れた罪人として蔑まれていたベタニアの人々の悩みと屈辱を背負われる歩みであり、その飢えを背負われる歩みであった、と言うことができるでしょう。

 その途上に、葉のよく茂ったイチジクの木があったのです。「イエスは空腹を覚えられた」とは、マルコが書いているように、本当に「飢えておられた」のでしょう。本当に飢えていたからこそ、呪われたのでしょう。

 いやいや、飢えていたくらいで呪うなんて、イエスさまらしくもないと思われるかもしれません。しかし、聖書大事典の「のろい」の項目にこう書かれています。「呪いは、敵が誰かが不明なために自分で罰することができない場合、あるいは相手が強すぎるため、罰したいと思ってもできない場合に、至る所で用いられた」、また「権利を持たぬ者や暴力にさらされている者にとっては、呪うことが唯一の武器であった」と。そう、呪いとは弱者の武器、そしてその本質は、嘆き、悲しみ、怒りだったのです。イエスさまは、ベタニア村の嘆き、悲しみ、怒りを、そして飢えの苦しみを背負って歩まれました。その途上で、葉のよく茂ったイチジクに出くわしたのです。

 飢えた者にその果実を提供することなく、ただ見栄えだけは芳しい、そのイチジクの木。イエスさまはそこに何をご覧になったのか。そのイチジクこそ、弱く苦しむ人々を打ち捨て自分たちの平安だけを求める、欺瞞に充ちたエルサレム、神殿そのものでした。イエスさまはそのイチジクに、呪いをぶつけられます。ベタニアの嘆き、悲しみ、怒りをぶつけておられるのです。マルコに「イチジクの季節ではなかった」とあります。そんなことが問題なのではありません。せっぱ詰まった飢餓に苦しむ人に、まだその季節ではないから気長に待ちなさいなどとはとても言えません。むしろ、呪わざるを得なかったイエスさまの思い、ベタニアの思いをこそ、わたしたちは読み取り、受け止めなければなりません。

 

■呪われる者となって

 この時のイエスさまのお顔はきっと、子ロバに乗って入城された時の「柔和な」お顔ではなく、緊迫感に包まれた厳しいお顔だったに違いありません。

 イエスさまは三年の公生涯を歩んでこられました。弟子たちを育て、福音宣教に心血注いで来られました。しかし、「神の民」と呼ばれるイスラエルの民、エルサレムの人々はその福音を受け入れません。そして、この数日後には十字架が待っています。地上の生涯の清算の時です。だからこそ、イエスさまは目を覚まして欲しかったのです。自分の足元の危うさに気づいて欲しい。寝食を共にし、ご自身の心血を注いで教え育てて来た弟子たちすら分かっていないのです。気づいて欲しい。目を覚まして欲しい。そんな切なる願いから、彼らの目の前で呪いの言葉を告げられたのでしょう。

 「今から後いつまでも、お前には実がないように」

 イエスさまはイチジクの木に向かって呪いの言葉をかけられました。しかしこの呪いの言葉は、イチジクの木だけでなく、当時のエルサレムの人々、弟子たち、そしてわたしたちにも向けられています。わたしたちの誰もが枯らされても不思議のない、貪欲で罪深い存在です。しかしイエスさまは、そのわたしたちが朽ち果てていくことを良しとはなさいません。そんなわたしたちをご覧になり、わたしたちの呪いを自らが受け自ら呪われる者となってくださいました。パウロの言葉です。

 「キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。『木にかけられた者は皆呪われている』と書いてあるからです」(ガラテヤ3:13)

 イエスさまは木にかけられ、呪われた者となりました。わたしたちが身に受けるべき呪いを、すべて身に引き受け、わたしたちを生かすためです。イエスさまは、呪いから最も遠い、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という神からの祝福をもって歩み出されたお方です。祝福を受けるのに最もふさわしい存在、それがイエスさまです。しかしそのお方が、それにふさわしくない呪いを、一手に引き受けて死に逝く道を歩まれました。十字架への道です。そこに、イエスさまのわたしたちへの愛が示されました。 Continue reading

2月6日 ≪降誕節第7主日礼拝≫ 『主が共に食卓におられたとき―聖餐(11)』ルカによる福音書24章13〜16, 28~32節 沖村裕史 牧師

■神の沈黙

 作家遠藤周作の代表作『沈黙』は、島原の乱後、キリスト教への迫害が苛烈になっていく長崎・五島列島を舞台とする物語ですが、手元にあった新潮文庫の背表紙に、その内容がこう紹介されています。

 「島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制の厳しい日本に潜入したポルトガル人司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる…。神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、〈神の沈黙〉という永遠の主題に切実な問いを投げかける長編」

 「神の沈黙」という言葉が鍵括弧で括られています。沈黙、神の沈黙です。

 踏絵のすり減った銅板に刻まれた「神」の顔に近づけた宣教師ロドリゴの足を襲う、激しい痛み。その時、踏絵の中からイエスさまの声が聞こえてきました。

 「踏むがいい。お前の足の痛さをこのわたしが一番よく知っている。踏むがいい。わたしはお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ」

 苛酷な迫害の中で苦しみあえぎ、殺されてゆく数多くのキリシタンたち。神はなぜ手を伸ばされないのか。神はなぜ沈黙しておられるのか。そういう重く、切実な問いが全編を覆っているように思われます。その神の沈黙の重さに圧され、しぼり出されたかのような、踏み絵のキリストの声です。

 神はずっと沈黙されていたのでしょうか。

 『沈黙』最後の場面、踏絵を踏み、敗北に打ちひしがれていたロドリゴのもとに、裏切られ、蔑んでいたキチジローが許しを求めて訪ねてきます。すると今度は、そのキチジローの顔を通して、イエスさまが再び語りかけられました。

 「わたしは沈黙していたのではない。お前たちと共に苦しんでいたのだ」

 以前にもご紹介したことのある阪田寛夫の作品、『バルトと麦の花』という本の中の一節が思い出されます。

 「やっと歩き始めた赤ちゃんが、母親と手をつないで散歩に出た。

 この時手のつなぎ方に二通りある。赤ちゃんの方が、母親の手を固く握っている場合は、転ぶと手を離してしまう。

 逆に、お母さんが赤ちゃんの手をやわらかく握っている場合は、赤ちゃんが倒れそうになると、きつく握り直して引き上げてくれる。

 ゆえに、『わたしが神さまにおすがりする』と思うのは、いかにも不確実だ。確かなのは、『神さまが手を引いてくれること』の方だ」

 沈黙の神は、イエス・キリストを遣わしてくださることによって、苦難の時、暗闇を歩くような時、いえ、どのような時も、「インマヌエル(神は我々と共におられる)」の神となり、わたしたちの手を引いて共に歩んでくださるのです。

 

■エマオでの食事

 今日の御言葉、「エマオへの道」はまさに、主が手を引いて共に歩んでくださっている、そんな場面です。

 その日が終わろうとしていました。影がだんだん長く伸び、太陽が西の方に沈もうとしていました。暗い顔つきをした二人が埃っぽい道をとぼとぼと歩いています。その道はエルサレムから、エマオと呼ばれる小さな村へと続いています。

 二人の旅人の目は、歩く自分たちの足元にずっと注がれていました。二人は低く沈んだ声で語り合っていました。ふと、もう一人、別の人間がいることに気づきます。その男は、丘をもう一つ越えて行こうとしていた時から、彼らの傍を歩いていたのでした。

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1月30日 ≪降誕節第6主日礼拝≫ 『祈りの家』マタイによる福音書21章12〜17節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■激しく怒る

 「それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒された」

 エルサレムに入城されたイエスさまは、まっすぐに神殿に向かわれます。その神殿の境内で「事件」が起こりました。イエスさまが、そこで商売をしていた人々を「皆追い出し」、その「腰掛けを倒し」されたのです。マルコによる福音書は、腰掛けを「ひっくり返された」と表現し、ヨハネによる福音書は、「イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた」と記します(2:15以下)。

 まるで怒り狂っているかのようなイエスさまの姿です。一体、どうされたと言うのでしょうか。

 神殿は、ヘロデによって建設された神殿でした。今日まで残る多くの建造物をたてた、建築家としても著名であったヘロデの神殿の特色のひとつは、その境内に異邦人でも立ち入りが許される「異邦人の庭」と呼ばれる場所をつくったことだと言われています。事件は、その異邦人の庭で起こりました。

 そこに「売り買いをしていた人々」がいました。神聖な神殿で商売とは何事か、と思われるかも知れません。しかし、どんな商売でもよいというわけではありません。そこで売り買いされていたのは、神殿で神に犠牲(いけにえ)として捧げる牛や羊や鳩などの祭儀用の動物でした。ほかに両替をする人たちもいました。この両替人も、神殿に献金するために、人々が普段使っていたローマの貨幣をユダヤの貨幣(シュケル銀貨)に両替する人たちです。ここに登場する商売人は、いずれも神殿に礼拝のために訪れる人々の便宜をはかるために必要なものであって、それ自体は取り立てて非難されるようなことはなさそうに見えます。

 しかし、少し詳しく当時のことを調べてみると、裏の事情が見えてきます。たとえば両替ですが、手数料は十分の一から六分の一にもなりました。その一部は神殿にも納められ、また両替人の取り分もかなりのものになったようです。また犠牲の動物を売っていた店は「アンナスの店」と言われていました。十字架の前日、イエスさまを直接尋問した大祭司の名前です(ヨハネ18:13)。その店は大祭司アンナスの一族によって経営されていました。大祭司という地位を利用し、その利権を一族のために確保していたのです。

 たしかに神殿での商売は、多くの人々の必要を満たし、神殿礼拝のための便宜を計るためのものであって、それがなければ人々は大変に困ったことでしょう。しかしそれらが利権であることは明らかです。その利権を独占していたのが、神殿での祭儀・礼拝の責任者である祭司、律法学者、長老たちであり、とりわけ大祭司の一族でした。まさに宗教の名前でなされていた商売、銭儲けです。イエスさまの激しい怒りは、その貪欲に向けられたものでした。

 

■強盗の巣

 しかし、その貪欲さは、単に金銭に留まるものではありません。彼らの本質、罪に関わる貪欲さを、イエスさまは問題にされています。

 「そして言われた。『こう書いてある。「わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。」ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしている』」

 この言葉が、イエスさまの怒りの理由、神殿の姿、実態を明らかにしています。神殿―わたしたちにとっての教会―は「祈りの家」でなくてはならないのに、それを「強盗の巣」にしてしまっている。イエスさまはそう告発されます。

 この言葉は旧約の預言者の二つの言葉に基づくものです。一つは、イザヤ書56章7節の「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」という言葉。もう一つは、エレミヤ書7章11節の「わたしの名によって呼ばれるこの神殿は、お前たちの目には強盗の巣窟と見えるのか。そのとおり。わたしにもそう見える、と主は言われる」という言葉です。何を意味しているのでしょうか。

 まずイザヤ書の言葉。56章には「異邦人の救い」という小見出しがつけられています。そして3節にこう記されています。「主のもとに集まって来た異邦人は言うな。主は御自分の民とわたしを区別される、と。宦官も、言うな。見よ、わたしは枯れ木にすぎない、と」。どうしてか。もしも異邦人とか宦官が、神の安息日を守り、神の望まれるところを行い、神の契約を固く守るならば、神は彼らに永久(とこしえ)の名を与え、記念の名を「わたしの家、わたしの城壁に刻む」からです。イスラエルは自分たちだけが神の民としての特権をもち、神を礼拝していると思っていました。しかし神は、ユダヤ人から汚れた者、欠けある者、罪人と見なされていた異邦人や宦官であっても、神の御心を正しく求めて生きるのであれば、神の家で永久に記念される。そのようにして「わが家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」と言われたのです。イスラエルだけではなくて、すべての民の祈りの家こそが、神殿であり、教会なのです。

 エレミヤ書7章の言葉もまた、神殿の門で語られた言葉です。大勢の人々が礼拝に集まる有様を見ながら、預言者エレミヤは、神の名によって呼ばれる神殿がお前たちの目には敬虔な祈りの場ではなく、強盗の巣窟のように見えるのか、その通り、わたしの目にもそう見える、と言っています。なぜか。人々が主の御心に従って生きようとはせず、ただ形だけ信心深い装いをしている、偽善に過ぎないからです。エレミヤはこう叫びます。「主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない。この所で、お前たちの道と行いを正し、お互いの間に正義を行い、寄留の外国人、孤児、寡婦を虐げず、無実の人の血を流さず、異教の神々に従うことなく、自ら災いを招いてはならない」と(7:4-6)。

 このときも、神殿の境内、異邦人の庭では盛大に商売がなされていました。その喧騒の中で、異邦人たちは礼拝を守らなければなりません。しかしそこは、さらに内側の庭に入って礼拝するユダヤ人たちが自分たちの礼拝のために鳩を買い、両替をする、喧騒の場となっていました。ここまでしか入ることができない異邦人のために、そこを礼拝の場、祈りの場として整えようとする思いなど、まったく見当たりません。神に選ばれた民であると自負しているエルサレムの人々が自分たちの礼拝のことしか考えず、そのために異邦人の礼拝と祈りを妨げ、奪うようなことを平気でしている。

 神殿の雑踏の中でイエスさまがご覧になったのは、まさしく「すべての民の祈りの家」に似つかわしくない、貪欲な「強盗の巣窟」と化していた神殿の有様でした。それでいで、自分たちはいかにも神に対して信心深いのだと自認しているユダヤの人々の偽善を、イエスさまは激しく怒られたのでした。

 

■驚く心

 だからこそ、イエスさまは今、癒しの業を通して、人々の貪欲と偽善を告発すると共に、神の国―神の愛がすべての人にもたらされている場所、神の愛が満ち溢れている場所こそ、まことの神殿であることを示されたのでした。

 「境内では目の見えない人や足の不自由な人たちがそばに寄って来たので、イエスはこれらの人々をいやされた」 Continue reading