福岡県北九州市にある小倉東篠崎教会

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今週の教え - Page 7

5月1日 ≪復活節第3主日礼拝≫ 『キリストの福音』マタイによる福音書22章41〜46節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■二つの主

 イエスさまを罪に陥れようと仕掛けられた一連の論争も、今朝最後の「もはやあえて質問する者はなかった」という言葉によって終わりを告げようとしています。最後のこの場面で、イエスさまは自分の方からお尋ねになります。

 「ファリサイ派の人々が集まっていたとき、イエスはお尋ねになった。『あなたたちはメシアのことをどう思うか。だれの子だろうか』」

 「メシア」と訳されている言葉は、ギリシア語の「クリストス」、救い主「キリスト」のことです。ファリサイ派の人々は即答します。

 「ダビデの子です」

 彼らは、ダビデの末からキリスト・救い主が出ると教えていましたし、多くのユダヤ人もまたそう信じていました。旧約聖書の多くの箇所にも、メシア・救い主はダビデの子として生まれる、と預言されています。そのことは、旧約聖書に親しんでいるユダヤの人々にとっての常識でした。

 ところが今、イエスさまはその常識を覆すようなことを言われます。

 「では、どうしてダビデは、霊を受けて、メシアを主と呼んでいるのだろうか。『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着きなさい、/わたしがあなたの敵を/あなたの足もとに屈服させるときまで」と。』このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのであれば、どうしてメシアがダビデの子なのか」

 いったい何のことか。分かり難い言葉です。イエスさまがここで引用しているのは詩編110篇です。王が即位するときに歌われていたこの詩編を、ユダヤの人々はダビデの作と信じていました。その冒頭、

 「わが主に賜った主の御言葉。『わたしの右の座に就くがよい。わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう』」

 救い主の勝利とその支配を主なる神ご自身が告げておられると歌われていますが、問題は、イエスさまの「主は、わたしの主にお告げになった」です。詩編では「わが主に賜った主の御言葉」となっています。いずれにも「主」という言葉が二度使われています。イエスさまが語られた「主」と訳されている言葉は二つとも同じギリシア語ですが、詩編の原文、ヘブライ語ではこの二つは全く別の言葉になっています。「主の御言葉」の方の「主」は「ヤハウェ」あるいは「ヤーウェ」と読まれる、イスラエルの神の名を指す固有名詞です。それに対して、「わが主に賜った」の「主」は「主人」という意味の普通名詞です。つまり元の詩編では、「イスラエルの神ヤハウェが、わたしの主(あるじ)にこうお告げになった」となります。

 この詩を歌ったのがダビデ自身だとすれば、ダビデ自身が、来るべき救い主のことを「わたしの主」「わたしのご主人様」と呼んだということになります。イエスさまはそのことを指摘しておられるのです。このように、ダビデが救い主キリストを「わたしの主(あるじ)」と呼んでいるなら、キリストはダビデの子ではなく、ダビデの主(あるじ)であるはずではないか、と。

 

■十字架のキリスト

 イエスさまは、何のために、このようなことを言われたのでしょうか。

 すぐに考えられるのは、ファリサイ派の人々が「キリストはダビデの子なのだから、イエスはキリストではあり得ない」と言っていたのではないかということです。

 この福音書の冒頭にある系図は、アブラハムからダビデを経て、父ヨセフに至るものです。ルカ福音書3章の系図もやはり、ヨセフからダビデ、そしてアダムまで遡っていくものです。父ヨセフはダビデの末裔です。しかしマタイもルカも、イエスさまが厳密な意味では、ヨセフの子ではないことを証言しています。ヨセフの許嫁(いいなずけ)であったマリアは、ヨセフによってではなく、聖霊によってみごもってイエスを生んだ、そう語っているからです。「聖霊によって」、そのことを信じようとしない人々にとっては、イエスさまは不義密通による子どもです。ファリサイ派の人々もその噂を盾に、イエスという男はダビデ家の子孫などではない、どこの馬の骨とも分からない者が神からの救い主キリストであるはずはない、と言っていたのでしょう。そういう批判、疑いに対して、イエスさまはこのように反論なさったのではないか、ということです。

 でも早合点をしないでください。「お前はダビデの子ではないからキリストではない」と批判されたイエスさまが、「ダビデ自身が言っているじゃないか。救い主キリストはダビデの子じゃないよ」と開き直りとも言える弁明をされたというのではありません。イエスさまは、神殿にいた大勢の人々に、ファリサイ派の人々がキリストについて抱いている根本的な思い違い、姿勢の間違いをはっきりと指摘し、教えようとしておられるのです。では、キリストについての根本的な思い違いとは何でしょうか。

 先程の詩編110篇1節の先に、こう記されています。

 「主〔ヤハウェ〕はあなた〔キリスト〕の力ある杖をシオン〔エルサレム〕から伸ばされる。敵のただ中で支配せよ。…主〔ヤハウェ〕はあなた〔キリスト〕の右に立ち/怒りの日に諸王を撃たれる」(2,5節)

 詩編が描くキリストの姿は、権力と武力を揮(ふる)ってユダヤ人の周辺の敵国を撃破し、かつてのダビデ王国の独立と栄光を取り戻す戦士の姿です。イエスさまの時代のユダヤ人の間では、キリスト理解をめぐって様々な見方があった中で、最も有力だった「ダビデの子」という見方は、まさに軍事的、政治的、民族的なものでした。 Continue reading

4月24日 ≪復活節第2主日礼拝≫ 『最も大いなるもの』マタイによる福音書22章34〜40節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■好きと嫌い

 電車やバスに乗っていると、こんな女学生の声が聞こえて来ることがあります。

 「だって好きなんだもん、しょーがないじゃん」

 「嫌いなものは嫌い、わたしはあんなのゼッタイいや」

 何も確かなものが見当たらないように思えるこの時代、好きか嫌いかだけは大声で叫ぶことが許されているかのようです。好き嫌いをはっきり言えることはよいことだ、そう育てられます。

 しかし、「好き」「嫌い」なんて、そんなに胸張って言えるようなことでしょうか。少なくとも「ゼッタイ」なんて使わない方がいいはずです。好き嫌いほど、一見確かそうに見えてその実、いいかげんなものはないからです。死ぬほど好きだったあの人のことを、手のひらを返すように遠ざけたり、嫌っていたはずのものの虜(とりこ)になったり…。なんとも見苦しい、そう言われても、やはり好みは変わります。変わるのが人間です。そんな自分の曖昧さやいい加減さを見つめることもなく、無邪気に好き嫌いを振りかざして世界を切り裂いていく姿は、あまりに悲しく、とても愚かです。

 とりわけ「嫌い」は質(たち)の悪い言葉です。物であれ人であれ、嫌いの一言で切って捨てる。だってしょうがないじゃない、あの人、生理的に合わないのよ、と言ってのける。嫌いに理由なんかない、相手のせいだと思っています。

 そんな好き嫌いによって切り裂かれた世界に生きるわたしたちの誰もが、多少なりとも「自分は愛されていない」と感じる体験をし、「自分は愛されるに値しない、その価値がない」という不安を抱え込んでいます。だからこそ、人は、自分を愛して全面的に受け入れてくれる相手を求めて、切ない求愛を繰り返すのではないでしょう。ときに親に無意識に反抗してみたり、ときに社会に過剰に適応したり、ときに友人に幼稚な甘え方をするのは、結局のところすべて、本当の愛を求めてのことです。けれども、現実の世界は決して、人を完全には受け入れてくれず、わたしたちはただ好きと嫌いを繰り返しながら、不安と孤独、傲慢と自己卑下に囚われ、苛まれるばかりとなります。

 そんなわたしたちに、今朝、驚くべき愛の言葉を告げ知らされます。

 

■律法の中心

 「ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった」

 イエスさまを十字架に架けようとするファリサイ派の人々が「一緒に集まった」、そのきっかけは「イエスがサドカイ派の人々を言い込められた」と聞いたことでした。利害関係や主義主張の違いから、同じユダヤ教の中にありながら激しく対立していたサドカイ派とファリサイ派の人々が、イエスさまを十字架に架けるために手を結びます。そして「一緒に集まった」その中から、ひとりの人が立てられます。

 「そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた」

 「試そうとして」。「試す」「試みる」というこの言葉は、荒れ野でイエスさまが悪魔によって誘惑された時に出てきた「誘惑する」と同じ言葉です。この時、律法学者が準備した問いは、イエスさまを陥れるための、悪い方向へと誘う毒の入った質問でした。

 「律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか」

 実は、律法の中心は何かというこの問いは、決して特別なものではありません。当時、人々がよく、律法の教師であるファリサイ派や律法学者たちに尋ねていたものでした。ユダヤ教の聖典はもちろん旧約聖書ですが、それ以外に、聖書の中心となる律法を時代に適応させた613にも及ぶ行動指針としての戒め―ミシュナと呼ばれる口伝律法があり、そのミシュナについての様々な議論や解釈を記したタルムードと呼ばれるものがありました。そこに記される膨大な条文をすべて正確に記憶し、具体的な場面すべてに正しく適応することは、まず不可能です。「律法の中心は何ですか」という問いが出てくるのは、至極当然のことでした。

 タルムードに、当時の最も高名な指導者であった二人の教師―シャンマイとヒレルと、ひとりの異邦人とのこんなやり取りが記されています。異邦人が尋ねます。「わたしが片足で立っている間に、トーラー(律法)の全体を教えてください」。厳格に律法を守ることを求めるシャンマイは、棒切れを振り回してこの不遜な質問をする異邦人を追い払いましたが、比較的自由な律法解釈をしていたヒレルは、「あなたが好まないことを隣人にしてはならない。これがトーラーの全体で、残りは、この教えの注解である。行って学びなさい」と答えた、とあります。

 「律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか」というこの問いは、そうしたファリサイ派内の二つの学派の対立を背景に、あなたの立場はどちらか、とその立場を鮮明にするよう迫ることで、イエスさまを「試そう」とするものでした。何を一番大切にするかによってイエスさまの本質が明らかになり、批判の糸口がつかめる、そう考えたのです。

 

■神を愛すること

 ところが、イエスさまの答えは、彼らの考えをはるかに超えるものでした。イエスさまは、ふたつの掟について教えられます。そのひとつ、 Continue reading

4月17日 ≪復活節第1主日/イースター「家族」礼拝≫ 『さあ、新しくやり直そう!』ヨハネによる福音書11章17〜27節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■ラザロは、今もここに座っている

 島崎光正という詩人をご存じでしょうか。日本現代詩人会会員である彼が、八十歳になった自分の生い立ちを書き残しています。

 「私は1919年、大正の半ばに福岡の市(まち)でこの世に誕生をみた者である。父は、そちらの大学を出て間もない若い医者だった。ところが、父はそれから一か月後には早くも世を去っている。患者から感染したチブスが原因だった。それからの私は、長崎から嫁いできていた母とも生別れとなって、父親の遺骨と共にその郷里であった信州の田舎に帰り、祖父母によって、ミルクで育てられた。厩(うまや)の跡が平屋の一角に残っていた農家である。

 父の私への遺産とては何もなかった。ただ、…どうしたわけか父が使っていたらしい医療器具のメスのセットが福岡から誰かが持ち帰り残されていた。それは大正時代の古い様式のもので、柄(え)は木製のものだった。少年時代となってそれを見つけた私は、生れつきに負った二分脊椎(にぶんせきつい)の障害から、変則的な歩行がもとで足の裏に出来やすかったマメを、玩具(がんぐ)がわりのそのメスを使って削った。ふとそれも、父の遺産を感じた。

 こうして、足を引きながら成長した私だったが、村の小学校に通うようになってから、そこでキリスト者の校長と出会い、村人の言い慣わしに従えばヤソの名前を知った。厩の跡に近い軒下(のきした)には季節になると燕(つばめ)がしきりに出入りしては雛(ひな)を育て、歳月をつもらせる。のちに、松葉杖と長靴に頼ることとなり白樺人形を刻むようになった私は、育ての親であった祖父母とも死に別れた時期に遭遇する。つくづくと人間の弱さと頼りなさを味わったあげくを、ヤソの校長がなお健在でそこにいた松本の教会で洗礼を受けた。敗戦後の、三年目の夏のことである。

 それは私にとって、古い罪の人間に死に、墓から呼び出された出来事であったに相違なかった。

 けれど、それからの歳月の中で、いくたびその墓の中に帰ってゆくことを繰り返しがちであったことだろうか。人からは見られない、洞穴(ほらあな)の心安さもそこにはあったからである。だが、その都度呼び戻されたのは、よく気がつかないままに、先達(せんだつ)としてのラザロの姿が重なっていたためかも知れない。

 私は今も、足の裏のマメが何時しか褥瘡(じょくそう)にかわって包帯に親しむこととなり、治療のためにそれをほどきながら、そのことを思う。ラザロが布をほどかれた時にも、そのように墓の外で、光にさらされていたのだと。」

 島崎は、自らの詩を記した後、こう付け加えます。

 「ラザロは、今もここに座っている。」

 その島崎が七十七歳の時、ドイツで開催された二分脊椎国際シンポジウムで講演し、その締め括りにと作った詩があります。

 「自主決定にあらずして/たまわった/いのちの泉の重さを/みんな湛(たた)えている」

 この詩が大切なことを教えてくれます。

 わたしたちは「みんな」、「自主決定にあらざるもの」―自分で決めることのできない様々なもの、思いもよらない災害や事故、どうしようもない人間関係のもつれやいろいろな失敗、与えられたと言うほかない出会いやいのち―を負って生きている。そのようにして、「いのちの泉の重さを湛えている」。「自主決定にあらざるもの」を受け止めて生きるのが、人間の本来の姿なのだ。それなのに、わたしたちはそれが分からなくて、それを避けて生きようとして、かえって苦悩を呼び込み、救いを求めている。救いは、「自主決定にあらざるもの」を避けるところにではなくて、それを「たまわったもの」として受け止め、そこを生き場所として、そこで咲こうとするところにある。それは、諦めの弱い生き方ではなく、生かされていることに対する誠実な生き方なのだ。

 島崎の言葉が、ラザロの姿と重なってきます。

 

■あなたの兄弟は復活する

 そのラザロの物語です。

 ベタニアに暮らしていたマリアとマルタが人を遣わして、弟ラザロの重病をイエスさまに知らせました。ラザロのいのちを救いたい。藁(わら)にもすがるような切実な思い、願いでした。

 しかしイエスさまは、すぐには動こうとはされませんでした。イエスさまがようやくベタニアに着いた時、ラザロはすでに死んでいました。「墓に葬られて既に四日もたっていた」とあります。ラザロが葬られたその墓からは、死臭があたりに漂い始めていました。今はもう悲しみを受け入れるべき時、慰めを受けるべき時…。たくさんの人がそのために集まっていました。イエスさまのあまりにも遅すぎる到着に、人々は冷(ひ)ややかな、そして非難を込めた視線を向けます。マリアは家の中に座ったままで出迎えようともしません。誰も、何も期待をしていませんでした。もうすでに終わってしまったことでした。

 今日の出来事は、その「終わった」ところから「始まり」ます。 Continue reading

4月10日 ≪受難節第6主日/棕櫚の主日礼拝≫ 『それでもあなたはわたしの愛する子』マルコによる福音書1章9〜11節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■愛の神の子

 マルコによる福音書の特徴は結末にあります。最後16章9節以下の箇所が括弧で括られているのは、それが後の時代に付け加えられたものであることを示しています。他の福音書がそれぞれに復活の出来事を印象深く書き留めているのに対して、マルコによる福音書は復活に何ひとつ触れません。復活は仄めかされるだけで、十字架で終わっています。十字架こそがこの福音書のクライマックスであり、最も伝えたいことだということです。

 このことから、最後の十字架の出来事まで読み終わって、もう一度振り返ってみたときに初めて、一つひとつの事柄の本当の意味が分かるように書かれた福音書だ、と言われます。この福音書が「イエス・キリストの福音」を洗礼(バプテスマ)の場面から描き始めているのも、単にそれが歴史的事実であったからというのではありません。イエスさまの洗礼のときに一瞬垣間見えたこと、密やかに聞こえてきたことを、十字架の出来事からもう一度読み直すことを、わたしたちは期待され、また求められています。

 では、イエスさまの洗礼のときに垣間見え、密やかに聞こえてきたこととは何だったか。ここに、天が裂け、聖霊が鳩のようにくだり、天から「あなたはわたしの愛する子」というみ声が聞こえてきた、と記されています。

 「あなたはわたしの愛する子」

 聖霊と共に宣言されたこの言葉が、最初のこの洗礼の時にも、中ほどの山上の変容の時にも、そして最後の十字架の時にも記されています。神様が愛の神であること、そしてイエスさまが父なる神に愛される神のひとり子であり、わたしたちに父なる神の愛を注ぎいでくださり、その愛に生きることの幸いを教えるために来られたお方であるということが、繰り返し、繰り返しわたしたちに示され明かされます。この福音書がわたしたちに語っていることは、そのことでした。

 ところが、イエスさまのもとに押し寄せていた群衆も、また弟子たちでさえ、イエスさまのみ言葉とみ業に直に接しながら、イエスさまを信じることができず、その真実の姿に気づくこともありませんでした。そしてついには、愛そのものである神様のひとり子であるイエスさまを、どこまでも愛し抜いてくださるイエスさまを、人々は、そしてわたしたちは、十字架につけてしまいました。

 なぜか。なぜ、わたしたちは愛の神の子を殺してしまったのでしょうか。

 

■その人こそがまことの愛のお方

 今日は棕櫚の主日。イエスさまが、十字架につけられることになるエルサレムへと到着し、沿道に敷き詰められた棕櫚の葉の上を、人々の歓呼の声の中に入城された、そのことを記念する日です。「ホサナ―主に栄光あれ」という勝利を賛美する、凱旋の声に包まれるイエスさまの姿はしかし、奇妙なものでした。勝利者らしく、たくましい馬に跨って威風堂々と進んで来たというのではありません。地面に足がつきそうなほどの小さな驢馬に乗って、とぼとぼと、いかにも頼りない格好で、人々の歓呼の声の中を進み行かれます。まるで、痩せこけた馬ロシナンテに跨り、従者サンチョ・パンサを引きつれて遍歴の旅に出かけたドンキホーテのように、イエスさまの姿は、とても滑稽なものでした。

 しかし、滑稽と見えるその人こそが救い主、まことの愛のお方でした。

 その滑稽な姿を冷ややか見ていた人たちがいました。彼らは心ひそかに嘲笑っていました。「驢馬に跨ってやってきた、あのみすぼらしい男が、救い主であるはずがない、その正体を白日のもとにさらしだし、歓呼の声を上げている人々の目を覚ましてやろう」。律法学者やファリサイ派、祭司長たちです。

 彼らのもくろみは成功し、イエスさまは、衣服をはぎ取られて裸にされ、その上に赤いマントを着せられ、いばらの冠を頭にかぶり、右手に葦の棒をもたせられて、「ユダヤ人の王、万歳」という歓呼の声の中を歩まされました。栄光をたたえるその声は、エルサレムに入られるときとは全く異なる、嘲りと侮蔑以外の何ものでもありません。

 ゴルゴダの丘へと引かれて行くイエスさまにぶどう酒が差し出されます。それは、当時しばしばなされていたように、罪人に与えられる気つけ薬でした。十字架の上で受ける槍の痛みがもっと強いものとなるように、という悪意から与えられるものでした。「ユダヤ人の王」という罪状がイエスさまの首にかけられ、二人の強盗と同じところへ引き出されます。それは、まことの王だ、救い主だとあなたたちが信じたこの人は、ただの強盗と同じ者だ、ということを意味していました。これらすべてことが、嘲りと侮蔑以外の何ものでもありません。

 しかし、嘲りと蔑みに包まれたその人こそが救い主、まことの愛のお方でした。

 イエスさまのみじめで、弱々しい、無力なその姿を見た人々は、期待が大きかっただけにその失望も大きく、祭司長たちと一緒になって、イエスさまに嘲笑と侮蔑の言葉を投げつけます。

 「神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い」

 「他人は救ったのに、自分は救えない。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから」

 この言葉にハッとさせられます。神様が「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言われた、その言葉を嘲笑し、否定する言葉そのものだからです。

 しかし、罵倒、嘲笑、侮蔑に満ちたこれらの言葉を投げつけているのは、イエスさまを歓呼して迎えて人たちであり、そしてわたしたち自身だと思わざるを得ません。自分のことをさておいて、他人のことを愛し、他人のために祈り、他人のために持っているものをすべて差し出す人を、わたしたちは愚かな人だと考える、そんな世界に生きています。他人の借金の保証人になって財産を失ってしまった人を同情はしても、心の中では、なんてお人好しだろう、と呟いています。海でおぼれかけている人を助けようとして死にでもすれば、運が悪かったねと言いながら、一人で助けようとしたその人が愚かなのだ、と思ってはいないでしょうか。路上生活をしているけども立ち直るために故郷に帰るお金がないから貸して欲しいという人に、その度、大切なお金と時間を費やす人をいい人だねと言いながら、でも戻ってくることのないお金と時間をそんなに使うなんて信じられない、と馬鹿にしてはいないでしょうか。 Continue reading

4月3日 ≪受難節第5主日礼拝≫ 『生きている者の神』マタイによる福音書22章23〜33節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■死ぬこと

 今、ここを生きているわたしたちの誰も、自らの死を経験した者はいません。経験したこともないわたしたちが、死をどのように理解し、受け入れることができるのか。それは、愛する者の死を通して、です。それ以外に方法はありません。

 愛する家族を、かけがえのない友を失った。大切なものをなくしてしまったという経験は言葉にならない大きな悲しみ、苦しみです。わたしたちはその痛みから容易に解放されません。時に生きる気力、生きる意味を奪い去ってしまいそうになります。

 その一方で、天に召された方たちの「記憶」は、時とともに確実に削ぎ落とされていきます。寂しさと後ろめたさを感じるとしても、そのことはどうしようもないことです。いえ、むしろ大切なことだとさえ言えるでしょう。記憶が徐々に削ぎ落とされていくことで、逆に、一緒に暮らしていたときには隠されていたものが見えてきて、本当に大切で、かけがえのないことだけが、わたしたちの心の底に、深く、さらに深く沈み込んでいくように刻み込まれていくからです。

 先に天に召された方のことを思い起こすことでわたしたちは、誰も避けることのできない死を、自らの死をしっかりと見つめるようになります。そして、生きていることの意味、神から与えられた「いのち」の、生かされ生きている「いのち」のかけがえのなさに気づかされ、真実の希望に導かれます。死や苦難ゆえの疑いや苦しみのただ中にあってなお、そのすべての思い煩いを神のみ前に投げ出し、いのちの神にすべてを委ねる、その信仰に生きることの深い恵みを味わうことができるようになるはずです。

 とは言いながら、神にすべてを委ねることは決して容易なことではありません。そうできないばかりか、苦難や死の出来事に直面するとき、わたしたちは、目に見えるものに囚われ、自分の経験に縛られて、果ては、神などいないと言わんばかりに、現実をただ自分たちに都合よく解釈し、ただ自分の理解できる枠の中で説明し、何とかしてやり過ごそうとするばかりです。

 

■復活はあるか

 そんなわたしたちに、イエスさまが今、こう語りかけられます。29節、

 「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている」

 「思い違いをしている」プラナーオーという言葉は、もともと「迷い出る」「横道にそれる」という意味で、単なる勘違いというのではなく、大いに誤っている、大きな過ちを犯している、といったニュアンスを持つ言葉です。よくご存じの、百匹の羊の内の一匹が「迷い出た」というたとえ話の「迷い出る」という言葉が、この「思い違い」と訳されている言葉と同じです。「いのち」「復活」について、とんでもない思い違いをしているために、とんでもないところまで迷い出てしまっている、大きな過ちを犯している、そう言われます。ここでイエスさまとやり取りをしているのは、もちろんサドカイ派と呼ばれる人たちですが、この言葉は、今ここにいるわたしたちにも向けられています。

 「復活」という教えほど、つまずきとなるものはありません。イエスさまの言葉や行いは感銘深い、考えさせられ、また聞き従うべきものだと思うけれど、「復活」ということだけはどうもいただけない。これさえ外してもらえれば、イエスさまの教えを学び、生き方を模範として歩もうということなら、自分もクリスチャンになれるのだが、と思っている方は少なくないでしょう。すでに洗礼を授けられた方の中に、今もそう思っている人がおられるかもしれません。

 サドカイ派の人々も復活などないと考えていました。サドカイ派はファリサイ派と並ぶ、ユダヤ教の主流派の一つです。二つの派閥はもともと対立関係にあり、その対立点、争点が「死者の復活はあるか」ということでした。

 サドカイ派は、「モーセ五書」と呼ばれる旧約聖書の最初の五つの書物、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記だけを信仰の規範としていました。その後成立した父祖伝来の口伝を受け入れず、預言書すら二次的な価値しか認めません。そして霊の存在も、天使の存在も、死後の裁きも、復活も否定していました。モーセ五書に何一つ触れられていないから、彼らはそう主張しました。言われて見れば確かに、創世記もそうですが、死とは人の存在が消えてしまうこと、滅びるようにして土に帰ることだ、と書かれています。

 それに対しファリサイ派は、モーセ五書以後に書かれた歴史書や預言書、また父祖以来の数々の言い伝えを受け入れていました。それらの中には、死者の復活を語っているものが数多くあります。そのことを根拠に、ファリサイ派は復活があると主張していました。

 

■つまずく本当の理由

 しかし、復活をめぐる対立の根本には、何を正典、信仰の基準とするのかということだけにとどまらない、彼らが生きていた世界の違い、見つめている事柄の違いがありました。

 サドカイ派は、「祭司職」を担う貴族階級です。祭司たちは、神殿での定められた祭儀をきちんと行なうことを第一に考えました。また自ずと支配者、権力者とのつながりも深く、保守的で、現状維持の姿勢を持つようになります。彼らは、今、自分たちが得ている高い地位や豊かな生活を守るために変化を嫌います。そんな彼らにとって、復活によって与えられる新しいいのちよりも、現在の生活と秩序の方が大切です。彼らが復活を否定するのは、それが聖書に書かれていないからというよりも、関心が現在の生活と秩序にあって、死後の復活に興味がない、いえむしろ、この世の生活、現在の秩序ではなく、死後の世界、新しい秩序を期待する復活信仰を危険視さえしていたからでした。

 一方、「律法学者」でもあったファリサイ派は、律法を研究すると共に、律法に基づく生活を人々に教え、民衆が神の民イスラエルとしての自覚と誇りを持って、神に従って生きる者となることを目指していました。イスラエルの民は、何世紀にもわたる様々な大国による支配の後、今はローマ帝国の支配による苦しみと屈辱の中にありました。その人々に神の民としての誇りと自覚を持たせようとする彼らの目は自然と、将来の救いへと向けられます。今は、神の力が隠されているけれど、来るべき世にはそれがあらわになり、イスラエルの救いが完成する。そういう将来への希望を抱く彼らは、救いの完成のときに死者が復活することを信じ、受け入れるようになりました。

 復活をめぐる問題は、その人がどこに身を置いて、何を大切にして生きているかという問題だということです。サドカイ派が復活を否定するのは、それが非科学的だからではありません。現世の生活と秩序を優先し、この世における人生のことだけを考えているからです。信仰も、この世での幸福に役に立つかどうかという目で見ています。そういう現世主義、この世の利益だけを求める信仰であれば、死者の復活など受け入れられるはずもありません。

 わたしたちが復活のことを避けて信仰を考えようとする時にも、そういう現世中心の思いが働いてはいないでしょうか。復活が信仰のつまずきになるのは、わたしたちの思いがこの世の人生だけ、目に見えるものだけを見つめているからです。死者の復活など科学的にあり得ないというのは、実は本質的な問題ではありません。自分にとって、それが本当に必要なことだ、それこそが真実だ、なくてはならないものだと思えば、科学的であるかどうかということとは全く関わりなく、わたしたちは信じるのです。復活が信じられないのは、復活などいらないと思っているからです。この世の人生が、目に見えるものがすべてだと思っているからです。 Continue reading

3月27日 ≪受難節第4主日礼拝≫ 『すべてを神に返す』マタイによる福音書22章15〜22節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■仕掛けられた罠

 21章23節に「イエスが神殿の境内に入って教えておられると、祭司長や民の長老たちが近寄って来て言った」とあります。その場面が続いています。過越の祭りでごった返す神殿の境内で、祭司長や長老たち、ファリサイ派の人々に、イエスさまは三つのたとえを語られました。「二人の息子」のたとえを聞き、また「ぶどう園と農夫」のたとえを聞いた彼らは、イエスさまを捕らえようとしますが、イエスさまを預言者だと信じる群衆を前にすぐには実行できません。さらに「婚宴」のたとえの最後に、「『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」という言葉を聞いたとき、彼らははっきりと殺意を抱いたに違いありません。

 「それから、ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた」

 「罠にかけよう」。イエスさまを捕え、殺すためにです。それも合法的にやらなければなりません。自分たちが法を犯すわけにはいきません。どうするか考えるために一旦、イエスさまの前から姿を消したかれらは、相談の結果、自分たちの代わりに弟子たちをヘロデ派の人たちと一緒にイエスさまのもとに遣わし、狙いを定めた猟師が銃を撃ちやすい所に獲物を誘うように「言葉じりをとらえ」、罠を仕掛けることにしました。

 遣わされたのは「ファリサイ派とヘロデ派」です。驚きです。

 そもそもヘロデ派は領主ヘロデ・アンティパスと結びつくことで利益を得ていた人々です。ヘロデはローマ帝国からガリラヤとペレアの統治権を委ねられていた人です。当然、親ローマの立場です。一方、ファリサイ派はその真逆の立場にありました。律法を厳格に守ろうとする彼らは世俗的なヘロデ派には批判的で、言わば、水と油のような両者です。その彼らが結託して、イエスさまのところにやって来たのです。普通であれば、まずあり得ない組み合わせです。それだけイエスさまの存在が我慢ならなかったのでしょう。目の前にいる共通の敵であるナザレのイエスを葬り去ることで意見がまとまり、手を携えてやって来たのでした。

 「敵の敵は味方」ということです。皮肉にも、イエスさまを前にした時、対立していたはずの人間どうしの間に一致が生まれました。しかしそこで明らかになるものは、神を神として受け入れることなく、自分が神となり、自分の思いによって生きようとする罪の姿です。誰であれ、すべての者に神の愛が、赦しが、救いが差し出されていると告げるイエスさまの福音は、自分だけを愛し、自分が主人となり権力を握って生きようとしている者にとっては、神からの挑戦、告発となります。その告発の前で人は、様々な不和や対立を超えて一致していきます。

 「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです」

 慇懃無礼なほどの陰湿な言葉で、仕掛けた罠から獲物に誘い込み、逃れられないようにします。

 

■律法に適っているか
 
 そして、こう問いかけます。

 「ところで、どうお思いでしょうか、教えてください」

 毒を盛った杯をイエスさまの口元に差し出すようにして、用意してきた質問を投げかけます。

 「皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか。適っていないでしょうか」

 「律法に適っているか」は意訳で、本来は「許されているか」です。ユダヤ教の信仰からは「正しいことかどうか」、「可能かどうか」ということです。「税金」は人頭税の意味です。ラテン語では「住民登録」を意味します。その調査に基づいて人頭税が課せられました。ユダヤ、サマリア地方では、ローマの直轄領になった直後、シリア総督キリヌウスが指揮して住民登録を行っています。紀元6年のことです。それに基づいて人頭税が徴収され始められます。

 ローマ帝国によって人頭税が徴収されたとき、その地方に反対運動が起こりました。人頭税は一人1デナリオン、まる一日分の労賃に相当します。所得税とは別に、収入に関係なく納めなければなりません。貧しい人々にとっては重い負担です。そして何よりも、それは民族としての存立を否定され、奴隷になることを意味しました。ガリラヤ出身のユダとファリサイ派のサドクが中心になって始められた反対運動は、この後、66年の第一次ユダヤ独立戦争まで続くことになります。

 税金はどの時代にあっても、自分たちが望んだ支配体制によるものであれば、多少の我慢はできても、それが押し付けられた体制・権力によるものということになれば、到底耐えられるものではありません。しかもその反抗、抵抗を支える信仰がありました。ファリサイ派の人々を支えていたメシア信仰です。神がイスラエルの民を救うためにメシア—救い主を送ってくださる。そのメシアがもうすぐ来られる。事実、イエスさまは自分がその救い主であると弟子たちに繰り返し告げ、そのことが周りの人々にも聞こえていました。

 人々は、メシア・救い主の到来によってローマ帝国の支配から解放されると期待していましたから、イエスさまが皇帝に税金を納めることは正しいことで、神の道に適っていると答えれば、人々のメシアへの期待を裏切ることになります。イエスさま自身が自分はメシアでないと言うようものです。つまりここに仕掛けられた罠は、単にローマに人頭税を払うことは許されるのかどうかといったことではなく、イエスさまとは何者なのか、メシアであるかどうかを試そうとする、そんな問いかけでした。

 しかもそこで、仮にイエスさまが、わたしはユダヤ人をローマの権力から解放するメシアだ、もうローマ皇帝に税金を納めなくてよいのだと言えば、それこそ望むところとばかりに、この人はローマ帝国への反逆者だと直ちに訴えて死刑に処することができる。自分たちの手を汚さないで、自分たちの思惑通りとなる。周到に準備された罠でした。

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3月20日 ≪受難節第3主日礼拝≫ 『婚宴の礼服』マタイによる福音書22章1〜14節 沖村裕史 牧師

■十字架のたとえ

 都エルサレムに入城されたイエスさまは、「何の権威でこのようなことをしているのか」と詰め寄った祭司長や民の長老たちに向って、「『二人の息子』のたとえ」「『ぶどう園と農夫』のたとえ」に続いて、3つ目の「『婚宴』のたとえ」を語り始められます。

 「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている」

 イエスさまが教えられた「天の国」とは、死んだ後に行く場所というよりも、「悔い改めよ。天の国は近づいた」とあるように、もうすでに訪れている王なる神様の支配、今ここにもたらされている神様の愛の御手を意味します。その天の国は、王子の結婚のために王国が開く祝宴のようなものだ、とイエスさまは言われます。

 この「婚宴」という言葉は複数形です。当時のユダヤでは、婚宴が一週間も続いていたからです。その準備は大変です。そこで、招待する人々にはあらかじめ招待状を出しておき、いよいよ婚宴の会場や食事の準備がすべて整ったところで改めて、「準備ができましたので、さあ、どうぞおいでください」と呼びに行かせた、と言います。

 このたとえでも、王は家来に、「牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています」と言わせています。婚宴の様子が目に浮かぶようです。しかも、これは王子のための婚宴です。一生に一度あるかどうかのことです。どんなに豪華なものか計り知れません。これを断ることなどとてもあるはずがないように思われるのに、それが起こったと言います。

 誰も「来ようとしなかった」。

 家来たちの招き方に問題があったと考えたのでしょうか。王はわざわざ、招くときの言葉まで伝えた上で、もう一度、別の家来を遣します。王の熱い思いが伝わって来るようです。しかし結果は同じ。招かれたはずの人は誰一人やって来ません。どうしてか。招かれた人は何を考えていたのでしょうか。

 「人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった」

 自分たちの都合を優先したのです。仕事をしたほうが得だと考えました。そればかりか、王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺す人までいました。

 人々は王が送った家来の話を聞いたはずです。家来たちは王の熱い思いを知っていましたから、心を込めて丁寧に、「すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください」と王から聞いた言葉のままを「王からの声」として伝えたはずです。

 しかしそれを「うるさい」と感じたのです。煩わしく、耳障り、いい迷惑だと感じたのでしょう。「さあ、婚宴においでください」というその声を消すために、声を発する家来を捕まえ、殺してしまいました。

 それこそ、イエス・キリストの十字架でした。

 なぜ、イエスさまは殺されたのか。それは、イエスさまが「さあ、婚宴においでください」という神様の招きを伝えたからです。神様の言葉をそのままに語ったからです。神様の言葉は、わたしたちを救いに導く「よき知らせ」、福音のはずです。招かれた側はその招きに応じて、「本当にありがとうございます」と知らせてくれた方の手を握り、心からの感謝をもって応えてもいいはずです。しかし、そうはしませんでした。

 なぜか。招きに応じれば、自分の都合を脇に置かなければならないからです。自分の思いのままに生きる、その生き方を変えなければならないからです。それで、その声が聞こえないよう、その声を無視し、その声を伝える者を殺したのです。

 

■すべての人を招かれる

 さて、王はどうしたでしょうか。

 「王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った」

 「ぶどう園と農夫」のたとえが思い出されます。しかし、「ぶどう園と農夫」のたとえと今日のたとえには決定的に違っているところがあります。ここでたとえ話が終わっていないことです。今日のたとえには続きがあるのです。

 「そして家来たちに言った。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい』」

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3月13日 ≪受難節第2主日礼拝≫ 『主人はどうするだろうか?』マタイによる福音書21章33〜46節 沖村裕史 牧師

■すべてを整えて

 「もう一つのたとえを聞きなさい」

 「ダビデの子にホサナ」と叫ぶ人込みの中を、ロバに乗って入城したイエスさまは、そのまま神殿の境内に入ると、「祈りの家…を強盗の巣にしている」と怒りもあらわに、売り買いをしていた人々を追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛をひっくり返します。その翌朝、再び神殿に戻って来られたイエスさまが人々に教え始めると、その様子を見ていた祭司長たちや民の長老たちが近づき、罪に陥れ、殺そうとの意図をもって、「何の権威でこのようなことをしているのか」と尋問します。緊迫したそのやり取りの中、イエスさまは、前回の「二人の息子のたとえ」を語り、そして今日も、「もう一つのたとえ」として「ぶどう園と農夫のたとえ」を続けます。その冒頭、

 「ある家の主人がぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た」

 「ある家の主人」とは、ぶどう園の主人、農園の地主であり経営者のことです。当時、パレスチナに農園を所有していた地主の多くは、その地方の情勢が不穏であったことから、自分の土地を人に貸して、自身は他の土地に行って暮らし、そこから時々出てきては地代を集めていたようです。この主人もそんな地主の一人だったのでしょう。そしてイエスさまは、その主人が「ぶどう園を作った」と語るだけでなく、「垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て」と事細かく語ります。

 当時のぶどう園では、ぶどうの実そのものを出荷するのではなく、収穫されたぶどうからぶどう酒を造っていました。「搾り場」とはそのための施設です。岩を削って作るか、れんがを重ねて作った細長い二つの桶のような形のもので、一方は高く、もう一方は低くし、両方を繋いで、高い方でぶどうを搾るとその汁が低い方に流れてたまる仕掛けになっていました。茨の垣根や見張りのやぐらは、盗賊や畑を食い荒らす動物たちからぶどうを守るためのものです。ちなみにやぐらは、農園で働く人たちの宿泊施設にもなっていたようです。

 つまりこの主人は、十分な設備投資を行い、必要なもの「すべてを整えた」上で、農園を農夫たちに貸した後、旅に出たのです。後は実りを待てばよい。実りが約束をされたぶどう園を預けました。きちんと仕事をしさえすれば、収穫があがり、彼らの生活がこのぶどう園によって支えられ、主人にその取り分を支払うこともできる。そこまでして、主人は「収穫を受け取るために、僕たちを農夫たちのところへ送った」のでした。

 創世記の冒頭を思い出します。神様は造られたひとつひとつをご覧になって、そのすべてを「良し」とされた、「よい」と宣言されたとあります。そしてわたしたち人間を造られるときには、「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう」(1:26)と言われました。十分に豊かな実りを結ぶよう、神様がすべてを、本当に必要なものをすべて整えて、わたしたちに預けてくださったのです。たとえに出てくる農夫たちと同じです。

 神様がわたしたちに預けてくださったこの世界、わたしたちの人生は、決して不毛なものではありません。わたしたちはときに、宗教とか信仰というものは、「わたしたちが生きているこの世の生活が不毛で、実りのないものだから、この世を捨てて別の世界に移って生きなさい」と教えるものだ。そう考えるかもしれません。しかしそれは全くの誤解です。

わたしたちの誰もが、神様から与えられたいのちを、人生を生かされ生きています。自分のものだと思っているものの中で、自分一人で造り出したと断言できるものなど何ひとつありません。わたしたちのいのちも、家族や友人も、学校や職場も、信仰も教会も、みんなそうです。与えられたとしか言いようのないものです。神様が与え、神様が預けてくださっているのです。

 とすれば、わたしたちのいのち、存在、人生が、初めから干からびた不毛の野として、神様から与えられているはずはありません。聖書によれば、「神様が与えてくださったこのいのちゆえに、わたしたちを愛してくださっているのです」。それが、わたしたちが今ここに在ることの、生きていることのただ一つの根拠です。そのために神様は必要なもの「すべてを備えて」くださっているのです。

 

■神なきが如くに

 ところが農夫たちは、主人が「収穫を受け取るために…送った…この僕たちを捕まえ、一人を袋だたきにし、一人を殺し、一人を石で打ち殺し」てしまいます。主人にとっては思いもしない屈辱的な対応です。主人をないがしろにし、あたかも自分が主人であるかのような農夫たちの振る舞いです。それでも、主人である神様は僕たちを送り続けます。しかし農夫たちは、その僕たちも同じ目に遭わせます。旧約の歴史に現れた、数多くの預言者の受難と重なってきます。しかしそこにこそ、農夫たちとの関係の回復を、回心を、悔い改めをどこまでも願い続ける、愚かしいまでの神様の愛が示されます。

 行き着くところにまで行き着いたかのように見えたそのとき、この主人は、尋常ならざる決断を下します。

 「そこで最後に、『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、主人は自分の息子を送った」

 文頭に「最後に」という言葉が置かれています。「自分の息子」とは神の独り子のことです。父なる神からの「最後」の派遣。御子イエスが、この世に、わたしたちのところに来られたということは、そういうことでした。

 もう後はありません。

 主人は、「わたしの息子なら敬ってくれるだろう」と、最後の望みをかけます。「敬う」とは、「向きを変える、回心する、恥じ入る、そして敬う」という意味の言葉です。直訳すれば、「わたしの息子を前にして、彼らは敬意を抱き、恥じ入り、回心するだろう」です。逆らい続ける人々が、本来の関係に立ち返ることを、悔い改め、回心するようにとの、最後の、極限までの父なる神の愛が、ここに示されます。

 ところが農夫たちは、「これは跡取りだ。さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう」と相談し、その息子を捕まえ、ぶどう園の外にほうり出して殺してしまいます。

 このたとえは、祭司長や民の長老たち、あるいはファリサイ派と言ったユダヤ教の指導者たちに向って語られています。これは明らかに、御子イエスが、ユダヤ教の指導者たちによって、エルサレムからほうり出され、ゴルゴの丘で十字架に架けられ、殺されてしまうことを指し示しています。

 農園を自分たちのものとするために、神様の言葉を黙殺し、だから、その子まで殺す。もはや農夫たちは、「遠くにいる」主人の存在に何の遠慮もしません。主人の愛も、その存在さえも全く忘れ去られている、と言ってよいほどです。 Continue reading

3月6日 ≪受難節第1主日礼拝≫ 『さあ、一緒に!―聖餐(12)』コリントの信徒への手紙一10章14〜22節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■コロナウィルスの中で

 ウィリアム・ウィリモン『日曜日の晩餐』も最後の10章となりました。一昨年の信徒研修会以降、中止せざるを得なかった聖餐式に代わって毎月一回続けて来た「聖餐」の学びも、今日で終わりとなります。

 最後となる今日のタイトルは、“Let’s Get Together”「さあ、一緒に集まろう!」です。最も大切なことは「一緒に集まる」こと。そう語るウィリモンの言葉は、コロナウィルスのためにこの二年間、礼拝を始めとするすべての教会活動を132日間にわたって中止し、今も聖餐式を再開できないでいるわたしたちの教会にとって、とても意義深いものです。中止に伴い、礼拝説教を記載した「からし種通信」と週報を郵送し、ホームページで礼拝動画の配信をずっと続けてきました。しかし、それはそれだけのことです。一緒に集まって、顔と顔を合わせ、互いに言葉を交わすことが、どれほど大切なことなのかを思い知らされました。「教会は交わりである」という言葉の本当の意味、「交わり」のないところに福音も、福音伝道も成り立たないことを実感させられました。

 今日は、その「交わり」としての「聖餐」Communionについて、ご一緒に学ぶことができればと願っています。

 

■一人で食べる

 それぞれがそれぞれのグラスを使う現在の聖餐式のやり方は、スコットランドの長老派から受け継いだものです。長老派の人々は、「主の晩餐」の食事を再現するために、聖餐に預かる人に一杯の葡萄酒と小さなパンを配り、会衆を食卓につかせ、食事の場面に見えるように、また食事と同じように味わえるように聖餐式を形作りました。また、ペッタンコな白く味のないウエハウスを用いる習慣は、傷も汚れもない聖なるキリストの体としてのパンを用いた、中世で熱心に行われていたやり方を継承したものです。時代を経るに従って、そのグラスもウエハウスもだんだん小さくなり、教会は食べ物なしの見せかけの食事をするようになりました。これに加え、20世紀初頭の病原菌に対する過剰な反応から、今日、多くの教会で「祝われている」ような、指ぬきサイズの控え目なグラスとほんの小さな味のないパンによる「交わり」聖餐になりました。それは、最初期のクリスチャンたちがイエスさまと共に食事をした、聖書に記されているあの経験からは遥かにかけ離れた、現代のごく一般の人から見ても、食事とはとても思えないものになってしまいました。

 ウィリモンは、その典型的な例を挙げます。

 二年前「ウエスト」という雑誌の中で、主の食卓で一人ひとりにそれぞれのカップを配るのは時間の浪費で厄介であると考えた人が、そのための製品を売り出したという記事を読んだ時、わたしは「もう充分です」と言わずにはおれませんでした。

 その人は、クラッカーのような丸いものをつめた真空の小袋と、2グラムのグレープジュースの袋を作りました。それは、使い捨ての、必要なものが入っている、すぐに提供できる主の食卓―いわば「これはあなたのためにパッケージになったわたしの体です」といったものです。

 …わたしたちは車で教会に駆けつけ、祈りを打ち込み、メールで献金をし、テレビで説教を聞き、パッケージの聖餐にあずかります。それはまさに、自給自足の「交わり」聖餐ではないでしょうか。今や、このパッケージされたユニットのおかげで、他の誰かと接触する必要も、触れられる必要もありません。

 これは、アメリカのお話というのではありません。コロナウィルス感染拡大の中で、聖餐式を守るための「良い方法」として、日本の少なからぬ教会が、「パッケージされたユニット」での聖餐式を採用しました。ウィリモンは、そんな聖餐を「一人で食べる」聖餐と呼び、警鐘を鳴らします。

 聖餐と交わりは、電子的で、パッケージされた教会のために捨て去られてしまいました。すべての人が家にいて、他の人に煩わされることなく自分のことをする、そんなバラバラな「教会」になってしまいました。

 

■分裂

 パウロの手紙によれば、コリントの人々もまた、バラバラに分裂していました(1:1-2)。同じ手紙の12章で、パウロが「賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。…あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です」と言わなければならないほど、霊の賜物は「一致」よりもむしろ、「分裂」の源となっていました。パウロは、分裂の危機を回避するため、コリントの人々の目を主の食卓に向けさせようとします。

 パウロは、主の食卓と「悪魔の食卓」とを対比させます(10:21)。教会の分裂は、聖なる食事を堕落させてしまいました。何人かは食べ、酔っぱらうほどに飲んでいますが、他の人は飢えたままです。ただ一緒に集まって食べたとしても、それで主の晩餐を食べたことにはなりません(11:20)。パウロは彼らを告発します。普通の人のことに心を配らない人は、「主の体をわきまえ」ない者だ、と(11:29)。この「体」とは、教会、「キリストの体」のことです(cf.ローマ12章)。主の食卓で、それぞれがそれぞれのために食べることで、教会が求める一致を損なってしまっている。コリントの人々は、交わりとしての「主の食卓」を食べるよりもむしろ、利己的な「自分のための食事」を食べていたのです。彼らの利己的な食事は、主のあるべき食卓の交わりを冒涜し、嘲うものでした。

 わたしたちも、日曜日の朝を、自分と自分の願いのための個人的な時間だと思ってはいないでしょうか。各人それぞれにやってきて座席に座り、それぞれの思いで考え、それぞれに自分のパンを食べます。子どもたちのしゃべり声やオルガンの音の大きさや隣の誰かのささやきが、わたしの黙想を妨げると不満を言います。神との個人的な出会いは、それぞれの時で、それぞれの場所で持たれることになります。

 しかし日曜日の教会は本来、そのような時でも、そのような場でもありません。日曜日は「家族」の日です。共に集まる喜びの日であり、回心し、新しく造り直され、互いに出会い、また神に出会う日です。わたしたちは、孤立した個人主義から解放されて、「主の体」に繋がれます。思いがけず、ばらばらだった者たちが「家族」へと変えられます。わたしたちは立ち上がり、食卓の周りに集められ、親しい「家族」になります。

 日曜日の礼拝は「共同」の礼拝です。それがキリストの体を造ります。日曜日に、わたしたちは「個々の集まり」としてではなく、一つの思い、一つの言葉をもって祈る「キリストの体」として集まるのです。

 メソヂストの指導者、ジョン・ウェスレーが言ったように、「キリスト教は社会的宗教です。それを孤立したものに変えてしまうことはキリスト教を壊してしまうことです」。ウェスレーはこう言いたかったのではないでしょうか。 Continue reading

2月27日 ≪降誕節第10主日礼拝≫ 『後で考え直して』マタイによる福音書21章28〜32節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■読めばわかる?

 「あなたたちはどう思うか」

 「あなたたち」と呼びかけられたのは、前回、イエスさまと議論をしていた祭司長や民の長老たちです。この呼びかけに続けて、イエスさまは一つのたとえ話を彼らに語りかけられます。

 とてもシンプルなたとえ話です。ある人に二人の息子がいました。最初に父親は兄のところに行き、「今日、ぶどう園へ行って働きなさい」と言うと、「いやです」と答えます。それでも兄は、「後で考え直して」ぶどう園に行きました。それとは知らない父親は弟のところへも行き、同じことを言います。すると「お父さん、承知しました」と素直に答えます。しかし、弟はそう言っただけでぶどう園行にはかなかった、というたとえ話です。

 「読めば分かる」たとえ話です。では一体なぜ、イエスさまはこんなにも分かり易いこのたとえ話を彼らに語られるのか。その真意はどこにあるのでしょうか。

 そもそも、祭司長と民の長老たちはイエスさまからこう問いかけられていました。

 「ヨハネの洗礼はどこからのものだったか。天からのものか、それとも、人からのものか」(21:25)

 彼らは、洗礼者ヨハネを神様にから遣わされた預言者とは認めていませんでした。本当であれば、ヨハネに聞き従うことは神様の御心ではない、むしろ神様に逆らうことになるのだと教え、人々の間違いを正していくべきであったのに、そうはしません。大勢の群衆が、ヨハネを神様からの預言者と信じて、続々と彼からヨルダン川で洗礼を受けていたからです。「群衆が怖い」のです。彼らは、神様を恐れ、神様の権威に従おうとしているのではなく、人を恐れ、人の評判を気にしています。面子が保たれ、自分たちの権威と身の安全が守られることが何よりも大事でした。ああでもないこうでもないと、祭司長、長老たちの間に議論が始まり、議論の末に彼らが出した答えは、「分からない」でした。欺瞞に満ちた彼らの姿が露わになります。

 このやり取りに続いて、イエスさまの口から今日のたとえ話が語られました。そしてこのたとえ話の後で、イエスさまが再び問いかけられます。

 「この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたのか」

 父親の望みとは当然、神様の望みのことです。父なる神は何を望んでおられるのか。「この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたのか」とイエスさまは問いかけられます。それは、「神の望み、御心に生きる」、そういう生き方への招きでした。

 問われた祭司長、長老たちは「兄の方です」と答えます。

 正しい答えです。ただ、「読めばわかる」この物語が実は、自分たちの物語だということに彼らはまだ気づいていません。だからこそ、すんなり答えることができたとも言えます。もし、それが自分たちの話だと分かっていたのなら、簡単に答えることができず、ここでも前回同様、「分からない」と答えたかもしれません。

 

■後で考え直して…

 「兄の方です」という正しい答えを彼らから引き出した上で、イエスさまはその答えを彼ら自身に突きつけられます。

 「イエスは言われた。『はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。…』」

 徴税人は律法を守らず、同胞を裏切ってローマの手先となり、貪欲をほしいままにする人々でした。そのため、ユダヤ社会から完全に締め出されていました。娼婦と言えば、その存在そのものが汚れたもの、厳しく排除すべき存在と見做されていました。そのことは神の律法に定められていること、疑問を持つ者など誰一人いません。

 ところがイエスさまは、その「徴税人や娼婦たちの方が」、神の律法に対して敬虔な「あなたたちより先に神の国に入る」ことになると宣言されます。驚くべき救いの宣言です。

 この救いの宣言をさきほどのたとえ話と結びつけることによって、兄と弟がそれぞれ一体だれを指しているのか、このたとえ話に込められたイエスさまの願いがどのようなものなのか、明らかになります。

 「お父さん、承知しました」と言った弟は、律法を忠実に守り、神の民としての分を守ろうと心がけている敬虔な人、祭司長や長老たちを指しているのは明らかです。しかし実際には、前回、イエスさまから「天からのものか人からのものか」と問われたとき、神からの権威ではなく自分たちの権威に固執した彼らは、神様の御心を行うこともせず、御心にも従っていません。 Continue reading

2月20日 ≪降誕節第9主日礼拝≫ 『天からのものか、人からのものか』マタイによる福音書21章23〜27節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■欺瞞に満ちた問いかけ

 イエスさまが十字架で殺されることになる、三日前の火曜日のことでした。祭司長と民の長老たちが、イエスさまを問い質すように、こう尋ねます。

 「何の権威でこのようなことをしているのか」

 「このようなこと」とは、前日、イエスさまが神殿の境内で大暴した、「神殿きよめ」のことでしょうか。それとも、そのとき神殿の境内で教えておられたことでしょうか。そのいずれであれ、単に「ここはわたしたちが管理している場所です。勝手なことをされては困りますよ」と注意したということではないようです。

 「祭司長と民の長老たち」という言葉が、木曜日の最後の晩餐から金曜日の十字架までを描く26章から27章にかけ、三度も出て来ます。26章3節以下には「…祭司長たちや民の長老たちは、カイアファという大祭司の屋敷に集まり、計略を用いてイエスを捕らえ、殺そうと相談した」とあり、同じ26章47節には「イエスがまだ話しておられると、十二人の一人であるユダがやって来た。祭司長たちや民の長老たちの遣わした大勢の群衆も、剣や棒を持って一緒に来た」とあり、27章1節以下には「夜が明けると、祭司長たちと民の長老たち一同は、イエスを殺そうと相談した。そして、イエスを縛って引いて行き、総督ピラトに渡した」とあります。彼らは、イエスさまの逮捕・殺害を企て、それを実行した人々でした。

 その「祭司長と民の長老たち」からの問いです。この問いには、イエスさまへの敵意と殺意が込められていたはずです。これまでにも、繰り返しイエスさまを罠に掛け、捕らえようとした人々です。彼らは、イエスさまの権威を神からのものだなどとは考えてもいません。神殿に仕える自分たちは、十分な教育を受け、正式に任命もされ、神からの権威を与えられているが、この男はただのガリラヤの大工の息子に過ぎないではないか、という思いが見え隠れします。そのイエスさまへの「何の権威でこのようなことをしているのか」という問いかけは、その言葉尻を捕らえて、陥れ、群衆の気持ちをイエスさまから引き離そうとする、まさに欺瞞に満ちたものでした。

 

■問いかけるイエスさま

 イエスさまは、敵意と殺意を含んだ欺瞞に満ちたその問いかけに、直接お答えにはならず、逆に、こう切り返されます。

 「では、わたしも一つ尋ねる。それに答えるなら、わたしも、何の権威でこのようなことをするのか、あなたたちに言おう。ヨハネの洗礼はどこからのものだったか。天からのものか、それとも、人からのものか」

 「ヨハネの洗礼は天からのものか、人からのものか」

 天からであれば、それは神からのものであり、権威あるものです。それには聞き従わなければなりません。人からであればそれは人間が勝手にしていることで、従う必要はありません。つまり、「天からのものか、人からのものか」というこの問いかけは、天からの権威には従い、人からの権威には従わない、ということを前提としています。祭司長と長老たちは、イエスさまからこう問い返されることによって、「わたしの権威を問うからにはあなたがたは、天からの権威には聞き従い、人からの権威には従わない、という姿勢を持っていなければならない。その姿勢をはっきりと見せなさい」と迫られたのです。

 祭司長と長老たちは、普段は問われる側ではなく、人の罪を問いただす側にいる人たちです。思いもかけず問い返されて、戸惑う彼らは互いに議論を始めます。

 「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と我々に言うだろう。『人からのものだ』と言えば、群衆が怖い。皆がヨハネを預言者と思っているから」

 このやりとりから、彼らが一番気にかけていたこと、彼らの本音が見えてきます。それは、自分たちの面子と身の安全です。本当は、ヨハネを神に由来する預言者とは認めていないのに、群衆を恐れて、そのことをはっきりと口にすることができません。本当は、ヨハネに聞き従うことは神の御心ではない、むしろ神に逆らうことになるのだと教えて、人々の間違いを正していくべきなのに、そうしません。大勢の群衆が、ヨハネを神からの預言者と信じて、続々と彼からヨルダン川で洗礼を受けていたからです。「群衆が怖い」のです。ヨハネの権威などどうでもよいのです。彼らは、神を恐れ、神の権威に従おうとしているのではなく、人を恐れ、人の評判を気にしています。面子が保たれ、身の安全が図れることが何よりも大事でした。

 イエスさまの問いによって、彼らの本当の姿が明らかになります。これまで彼らが聞いていたイエスの教え、また働きは、どれもこれもが、権威ある彼らからすれば疑わしいものばかりだ、と思っていました。そのイエスが今、自分たちのお膝元、都エルサレム、それも神殿の境内で教えています。彼らはそのイエスを問いたださずにおれなかったのです。イエスを尋問しました。そして返ってくる答えを、正しいかどうか、権威ある者として、自分たちが判断しようとしたのです。

 ところが権威者である自分たちの質問に答える代わりに、イエスさまは逆に問い返して来られたのです。その結果、ああでもないこうでもないと、祭司長たち、長老たちの間に議論が始まり、議論の末に彼らが用意した答えは何かと言えば、「分からない」という答えだったのです。

 

■「分からない」との答え

 福音書はこれまで何度も、神としての権威がイエスさまに現れていたことを伝えています。例えば、山上の説教を語り終えた時の人々の驚きを、「彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである」と伝えています。また9章の中風の人の癒しの場面で、イエスさまは「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう」と言って、中風の人に、「起き上がって床を担ぎ、家に帰りなさい」と神の権威で宣言をされます。罪を赦す権威を主張されたのです。

 つまり、イエスさまの権威は、山上の説教で語られたような愛による生き方をもたらす権威であり、また、罪を取り除く権威なのです。このとき、イエスさまは神殿の境内で教えておられます。そして同じ権威をもって、神殿を清められました。神殿にかかわる罪の清めも、福音に生きることの喜びを語ることも、実は、神の権威がなければ成し得ないことでした。

 そこに居合わせていた人々は、イエスさまの姿からそのことを感じ取ったに違いありません。そして感じ取ったのならば、それを素直に受け入れればよいのです。ところが受け入れず、「何の権威でこのようなことをしているのか。だれがその権威を与えたのか」と問いかけたのです。 Continue reading

2月13日 ≪降誕節第8主日礼拝≫ 『疑わないで』マタイによる福音書21章18〜22節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■裁きとしての奇跡

 イチジクの話です。この出来事もまた、イエスさまがなさった奇跡のひとつです。しかしこの奇跡は、イエスさまの他の奇跡―特に直前に描かれていた「目の見えない人や足の不自由な人たち…をいやされた」奇跡とはずいぶん異なっています。言ってみれば、「裁き」としての奇跡です。いったい、この話は何を語っているのでしょうか。

 考える糸口は、直前の出来事にあります。エルサレムに来られたイエスさまは真っ先に神殿にお入りになりました。過越祭の最中です。神殿は巡礼の人々でごったがえしていました。それをご覧になったイエスさまは、何かに取りつかれたかのように、「そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを」ひっくり返されます。一種、異様な姿です。そして続けて、こう言われます。

 「こう書いてあるではないか。『わたしの家は、すべての国の人々の祈りの家と呼ばれるべきである。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしてしまった」

 神殿が今や祈りの家ではなく、強盗の巣になってしまっている。礼拝が行われていないのではありません。毎日、たくさんの犠牲がささげられ、多くの献金がなされていました。形の上では正しい、立派な礼拝がなされていました。しかしそれを「強盗の巣」と呼ばれます。形だけで心が込められていないというのでもありません。「強盗」とは、人間の貪欲の罪のことです。

 問題は、貪欲、貪りの場になってしまっていることです。人々がどのような礼拝をしているかが問われています。人々は、「律法」に基づいて「神殿」で正しい捧げものをして礼拝をすることで、自分は神様をちゃんと礼拝している、正しい者であることを確認・確証し、平安と慰めを得ようとしていました。しかしそうする中で彼らは、その礼拝に共に集っている他の人々、特に弱さや苦しみを抱えて、神様の救いを切実に求めている人々のことが目に入らなくなっていました。だからこそ「境内では目の見えない人や足の不自由な人たちがそばに寄って来たので、イエスはこれらの人々をいやされた」のでした。弱く、小さな人々が打ち捨てられている礼拝の姿を、イエスさまは「強盗の巣」とお呼びになったのでした。

 そして今、葉ばかりで実をつけないイチジクの木にも、神の民と呼ばれるだけで内実のない、イスラエルの人々の貪欲さが表れていました。

 

■空腹を覚えられた

 冒頭に「朝早く、都に帰る途中、イエスは空腹を覚えられた」とあります。直前17節に、「都を出てベタニアに行き、そこにお泊まりになった」とありますから、お泊りになったベタニアで、何も食べられなかったのでしょう。

 すでにお話したように、ベタニアという町の名は「悩みの家」「貧困の家」という意味です。エルサレムの人々が蔑んでつけた名前です。その「悩みの家」「貧困の家」に上がり込んで、ご馳走になろうなどとイエスさまは考えもされなかったでしょうし、どだい無理な注文というものです。受難の一週間、イエスさまがベタニアからエルサレムへと毎日のように通われたその歩みは、穢れた罪人として蔑まれていたベタニアの人々の悩みと屈辱を背負われる歩みであり、その飢えを背負われる歩みであった、と言うことができるでしょう。

 その途上に、葉のよく茂ったイチジクの木があったのです。「イエスは空腹を覚えられた」とは、マルコが書いているように、本当に「飢えておられた」のでしょう。本当に飢えていたからこそ、呪われたのでしょう。

 いやいや、飢えていたくらいで呪うなんて、イエスさまらしくもないと思われるかもしれません。しかし、聖書大事典の「のろい」の項目にこう書かれています。「呪いは、敵が誰かが不明なために自分で罰することができない場合、あるいは相手が強すぎるため、罰したいと思ってもできない場合に、至る所で用いられた」、また「権利を持たぬ者や暴力にさらされている者にとっては、呪うことが唯一の武器であった」と。そう、呪いとは弱者の武器、そしてその本質は、嘆き、悲しみ、怒りだったのです。イエスさまは、ベタニア村の嘆き、悲しみ、怒りを、そして飢えの苦しみを背負って歩まれました。その途上で、葉のよく茂ったイチジクに出くわしたのです。

 飢えた者にその果実を提供することなく、ただ見栄えだけは芳しい、そのイチジクの木。イエスさまはそこに何をご覧になったのか。そのイチジクこそ、弱く苦しむ人々を打ち捨て自分たちの平安だけを求める、欺瞞に充ちたエルサレム、神殿そのものでした。イエスさまはそのイチジクに、呪いをぶつけられます。ベタニアの嘆き、悲しみ、怒りをぶつけておられるのです。マルコに「イチジクの季節ではなかった」とあります。そんなことが問題なのではありません。せっぱ詰まった飢餓に苦しむ人に、まだその季節ではないから気長に待ちなさいなどとはとても言えません。むしろ、呪わざるを得なかったイエスさまの思い、ベタニアの思いをこそ、わたしたちは読み取り、受け止めなければなりません。

 

■呪われる者となって

 この時のイエスさまのお顔はきっと、子ロバに乗って入城された時の「柔和な」お顔ではなく、緊迫感に包まれた厳しいお顔だったに違いありません。

 イエスさまは三年の公生涯を歩んでこられました。弟子たちを育て、福音宣教に心血注いで来られました。しかし、「神の民」と呼ばれるイスラエルの民、エルサレムの人々はその福音を受け入れません。そして、この数日後には十字架が待っています。地上の生涯の清算の時です。だからこそ、イエスさまは目を覚まして欲しかったのです。自分の足元の危うさに気づいて欲しい。寝食を共にし、ご自身の心血を注いで教え育てて来た弟子たちすら分かっていないのです。気づいて欲しい。目を覚まして欲しい。そんな切なる願いから、彼らの目の前で呪いの言葉を告げられたのでしょう。

 「今から後いつまでも、お前には実がないように」

 イエスさまはイチジクの木に向かって呪いの言葉をかけられました。しかしこの呪いの言葉は、イチジクの木だけでなく、当時のエルサレムの人々、弟子たち、そしてわたしたちにも向けられています。わたしたちの誰もが枯らされても不思議のない、貪欲で罪深い存在です。しかしイエスさまは、そのわたしたちが朽ち果てていくことを良しとはなさいません。そんなわたしたちをご覧になり、わたしたちの呪いを自らが受け自ら呪われる者となってくださいました。パウロの言葉です。

 「キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。『木にかけられた者は皆呪われている』と書いてあるからです」(ガラテヤ3:13)

 イエスさまは木にかけられ、呪われた者となりました。わたしたちが身に受けるべき呪いを、すべて身に引き受け、わたしたちを生かすためです。イエスさまは、呪いから最も遠い、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という神からの祝福をもって歩み出されたお方です。祝福を受けるのに最もふさわしい存在、それがイエスさまです。しかしそのお方が、それにふさわしくない呪いを、一手に引き受けて死に逝く道を歩まれました。十字架への道です。そこに、イエスさまのわたしたちへの愛が示されました。 Continue reading

2月6日 ≪降誕節第7主日礼拝≫ 『主が共に食卓におられたとき―聖餐(11)』ルカによる福音書24章13〜16, 28~32節 沖村裕史 牧師

■神の沈黙

 作家遠藤周作の代表作『沈黙』は、島原の乱後、キリスト教への迫害が苛烈になっていく長崎・五島列島を舞台とする物語ですが、手元にあった新潮文庫の背表紙に、その内容がこう紹介されています。

 「島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制の厳しい日本に潜入したポルトガル人司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる…。神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、〈神の沈黙〉という永遠の主題に切実な問いを投げかける長編」

 「神の沈黙」という言葉が鍵括弧で括られています。沈黙、神の沈黙です。

 踏絵のすり減った銅板に刻まれた「神」の顔に近づけた宣教師ロドリゴの足を襲う、激しい痛み。その時、踏絵の中からイエスさまの声が聞こえてきました。

 「踏むがいい。お前の足の痛さをこのわたしが一番よく知っている。踏むがいい。わたしはお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ」

 苛酷な迫害の中で苦しみあえぎ、殺されてゆく数多くのキリシタンたち。神はなぜ手を伸ばされないのか。神はなぜ沈黙しておられるのか。そういう重く、切実な問いが全編を覆っているように思われます。その神の沈黙の重さに圧され、しぼり出されたかのような、踏み絵のキリストの声です。

 神はずっと沈黙されていたのでしょうか。

 『沈黙』最後の場面、踏絵を踏み、敗北に打ちひしがれていたロドリゴのもとに、裏切られ、蔑んでいたキチジローが許しを求めて訪ねてきます。すると今度は、そのキチジローの顔を通して、イエスさまが再び語りかけられました。

 「わたしは沈黙していたのではない。お前たちと共に苦しんでいたのだ」

 以前にもご紹介したことのある阪田寛夫の作品、『バルトと麦の花』という本の中の一節が思い出されます。

 「やっと歩き始めた赤ちゃんが、母親と手をつないで散歩に出た。

 この時手のつなぎ方に二通りある。赤ちゃんの方が、母親の手を固く握っている場合は、転ぶと手を離してしまう。

 逆に、お母さんが赤ちゃんの手をやわらかく握っている場合は、赤ちゃんが倒れそうになると、きつく握り直して引き上げてくれる。

 ゆえに、『わたしが神さまにおすがりする』と思うのは、いかにも不確実だ。確かなのは、『神さまが手を引いてくれること』の方だ」

 沈黙の神は、イエス・キリストを遣わしてくださることによって、苦難の時、暗闇を歩くような時、いえ、どのような時も、「インマヌエル(神は我々と共におられる)」の神となり、わたしたちの手を引いて共に歩んでくださるのです。

 

■エマオでの食事

 今日の御言葉、「エマオへの道」はまさに、主が手を引いて共に歩んでくださっている、そんな場面です。

 その日が終わろうとしていました。影がだんだん長く伸び、太陽が西の方に沈もうとしていました。暗い顔つきをした二人が埃っぽい道をとぼとぼと歩いています。その道はエルサレムから、エマオと呼ばれる小さな村へと続いています。

 二人の旅人の目は、歩く自分たちの足元にずっと注がれていました。二人は低く沈んだ声で語り合っていました。ふと、もう一人、別の人間がいることに気づきます。その男は、丘をもう一つ越えて行こうとしていた時から、彼らの傍を歩いていたのでした。

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1月30日 ≪降誕節第6主日礼拝≫ 『祈りの家』マタイによる福音書21章12〜17節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■激しく怒る

 「それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒された」

 エルサレムに入城されたイエスさまは、まっすぐに神殿に向かわれます。その神殿の境内で「事件」が起こりました。イエスさまが、そこで商売をしていた人々を「皆追い出し」、その「腰掛けを倒し」されたのです。マルコによる福音書は、腰掛けを「ひっくり返された」と表現し、ヨハネによる福音書は、「イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた」と記します(2:15以下)。

 まるで怒り狂っているかのようなイエスさまの姿です。一体、どうされたと言うのでしょうか。

 神殿は、ヘロデによって建設された神殿でした。今日まで残る多くの建造物をたてた、建築家としても著名であったヘロデの神殿の特色のひとつは、その境内に異邦人でも立ち入りが許される「異邦人の庭」と呼ばれる場所をつくったことだと言われています。事件は、その異邦人の庭で起こりました。

 そこに「売り買いをしていた人々」がいました。神聖な神殿で商売とは何事か、と思われるかも知れません。しかし、どんな商売でもよいというわけではありません。そこで売り買いされていたのは、神殿で神に犠牲(いけにえ)として捧げる牛や羊や鳩などの祭儀用の動物でした。ほかに両替をする人たちもいました。この両替人も、神殿に献金するために、人々が普段使っていたローマの貨幣をユダヤの貨幣(シュケル銀貨)に両替する人たちです。ここに登場する商売人は、いずれも神殿に礼拝のために訪れる人々の便宜をはかるために必要なものであって、それ自体は取り立てて非難されるようなことはなさそうに見えます。

 しかし、少し詳しく当時のことを調べてみると、裏の事情が見えてきます。たとえば両替ですが、手数料は十分の一から六分の一にもなりました。その一部は神殿にも納められ、また両替人の取り分もかなりのものになったようです。また犠牲の動物を売っていた店は「アンナスの店」と言われていました。十字架の前日、イエスさまを直接尋問した大祭司の名前です(ヨハネ18:13)。その店は大祭司アンナスの一族によって経営されていました。大祭司という地位を利用し、その利権を一族のために確保していたのです。

 たしかに神殿での商売は、多くの人々の必要を満たし、神殿礼拝のための便宜を計るためのものであって、それがなければ人々は大変に困ったことでしょう。しかしそれらが利権であることは明らかです。その利権を独占していたのが、神殿での祭儀・礼拝の責任者である祭司、律法学者、長老たちであり、とりわけ大祭司の一族でした。まさに宗教の名前でなされていた商売、銭儲けです。イエスさまの激しい怒りは、その貪欲に向けられたものでした。

 

■強盗の巣

 しかし、その貪欲さは、単に金銭に留まるものではありません。彼らの本質、罪に関わる貪欲さを、イエスさまは問題にされています。

 「そして言われた。『こう書いてある。「わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。」ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしている』」

 この言葉が、イエスさまの怒りの理由、神殿の姿、実態を明らかにしています。神殿―わたしたちにとっての教会―は「祈りの家」でなくてはならないのに、それを「強盗の巣」にしてしまっている。イエスさまはそう告発されます。

 この言葉は旧約の預言者の二つの言葉に基づくものです。一つは、イザヤ書56章7節の「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」という言葉。もう一つは、エレミヤ書7章11節の「わたしの名によって呼ばれるこの神殿は、お前たちの目には強盗の巣窟と見えるのか。そのとおり。わたしにもそう見える、と主は言われる」という言葉です。何を意味しているのでしょうか。

 まずイザヤ書の言葉。56章には「異邦人の救い」という小見出しがつけられています。そして3節にこう記されています。「主のもとに集まって来た異邦人は言うな。主は御自分の民とわたしを区別される、と。宦官も、言うな。見よ、わたしは枯れ木にすぎない、と」。どうしてか。もしも異邦人とか宦官が、神の安息日を守り、神の望まれるところを行い、神の契約を固く守るならば、神は彼らに永久(とこしえ)の名を与え、記念の名を「わたしの家、わたしの城壁に刻む」からです。イスラエルは自分たちだけが神の民としての特権をもち、神を礼拝していると思っていました。しかし神は、ユダヤ人から汚れた者、欠けある者、罪人と見なされていた異邦人や宦官であっても、神の御心を正しく求めて生きるのであれば、神の家で永久に記念される。そのようにして「わが家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」と言われたのです。イスラエルだけではなくて、すべての民の祈りの家こそが、神殿であり、教会なのです。

 エレミヤ書7章の言葉もまた、神殿の門で語られた言葉です。大勢の人々が礼拝に集まる有様を見ながら、預言者エレミヤは、神の名によって呼ばれる神殿がお前たちの目には敬虔な祈りの場ではなく、強盗の巣窟のように見えるのか、その通り、わたしの目にもそう見える、と言っています。なぜか。人々が主の御心に従って生きようとはせず、ただ形だけ信心深い装いをしている、偽善に過ぎないからです。エレミヤはこう叫びます。「主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない。この所で、お前たちの道と行いを正し、お互いの間に正義を行い、寄留の外国人、孤児、寡婦を虐げず、無実の人の血を流さず、異教の神々に従うことなく、自ら災いを招いてはならない」と(7:4-6)。

 このときも、神殿の境内、異邦人の庭では盛大に商売がなされていました。その喧騒の中で、異邦人たちは礼拝を守らなければなりません。しかしそこは、さらに内側の庭に入って礼拝するユダヤ人たちが自分たちの礼拝のために鳩を買い、両替をする、喧騒の場となっていました。ここまでしか入ることができない異邦人のために、そこを礼拝の場、祈りの場として整えようとする思いなど、まったく見当たりません。神に選ばれた民であると自負しているエルサレムの人々が自分たちの礼拝のことしか考えず、そのために異邦人の礼拝と祈りを妨げ、奪うようなことを平気でしている。

 神殿の雑踏の中でイエスさまがご覧になったのは、まさしく「すべての民の祈りの家」に似つかわしくない、貪欲な「強盗の巣窟」と化していた神殿の有様でした。それでいで、自分たちはいかにも神に対して信心深いのだと自認しているユダヤの人々の偽善を、イエスさまは激しく怒られたのでした。

 

■驚く心

 だからこそ、イエスさまは今、癒しの業を通して、人々の貪欲と偽善を告発すると共に、神の国―神の愛がすべての人にもたらされている場所、神の愛が満ち溢れている場所こそ、まことの神殿であることを示されたのでした。

 「境内では目の見えない人や足の不自由な人たちがそばに寄って来たので、イエスはこれらの人々をいやされた」 Continue reading

1月23日 ≪降誕節第5主日礼拝≫ 『小さなロバに乗って』マタイによる福音書21章1〜11節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■受難週の始まり

 「エルサレムに迎えられる」という小見出しがつけられています。今、イエスさまはロバに乗って、エルサレムに入城されます。その数日の後、都エルサレムの城外で、そのイエスさまが十字架にかかって殺されることになります。

 そう、この21章から、この福音書の「受難週」、受難物語が始まります。

 マタイは、この一週間の出来事を語るために、福音書全体で60頁のその三分の一、20頁近くの分量を費やしています。エルサレムでの受難の出来事こそ、この福音書が語ろうとしていることの中心です。その大切な受難の出来事の冒頭に語られたのが、エルサレムに入られた時の光景でした。

 ガリラヤで伝道を始められておよそ三年、イエスさまは、ついにユダヤ人の信仰の中心であるエルサレムにやって来られます。他の町に入られる時にはいつも、ご自分の足で歩いて入られたイエスさまでしたが、今、イエスさまはロバに乗っておられます。そのイエスさまが、エルサレムへの巡礼の旅を共にしていた大勢の群衆の敷いた、その服や枝の上を進まれます。それを人々が歓呼の叫びをあげて迎えます。

 これまでの歩みとは打って変わった姿がここには描かれています。しかし、そのことをイエスさまご自身は望んでいなかったけれども、人々が勝手にそうしたのだというのではありません。ロバを用意し、それに乗ろうとされたのは、イエスさまです。また、人々の歓呼の叫びを止めさせようとはされず、むしろそれを受け入れておられます。このような形で、受難の待ち受けるエルサレムに入ることこそ、イエスさまのご意志によることでした。

 これはいったい何を意味するのでしょうか。

 

■「王」としての姿

 マタイによる福音書はイエスさまを「王」として描いている、と言われることがあります。三年前にこの福音書を読み始め、今日、ようやくこの21章に辿り着いたのですが、これまで、イエスさまがご自分のことを王であると言われたことは一度もありません。それでも注意深く読めば、マタイが初めから、イエスさまを王として迎えることこそが大切だ、と考えていたことが分かります。

 例えば、マタイ福音書の冒頭1章1節、「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図」とあります。そして続く2節以下に出てくる系図は、紛れもなく「王家の系図」です。マタイは冒頭から、イエスさまがイスラエルの王ダビデの子孫で、神の民イスラエルに連なる者であるどころか、全世界の人々に真の救いをもたらす真の王なるお方である、と宣言しています。続く2章では、占星術の博士たちがやって来て、「ユダヤ人の王としてお生まれなった方は、どこにおられますか」と尋ねています。

 このクリスマスでの一連の出来事以降、王としてのお姿がはっきり現れてくるのが、今日の箇所です。歩いてではなく「ロバに乗って」というのは、王様が乗り物に乗ってやって来る姿を表しています。マタイはこの姿を、旧約ゼカリヤの預言の成就として直接引用しています。

 「それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。『シオンの娘に告げよ。「見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、/柔和な方で、ろばに乗り、/荷を負うろばの子、子ろばに乗って」』」

 これはゼカリヤ書9章9節からの引用に基づくものですが、その9節から10節には、来るべき救い主の姿が次のように描かれています。

 「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ロバに乗って来る/雌ロバの子であるロバに乗って。わたしはエフライムから戦車を/エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ/諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ/大河から地の果てにまで及ぶ」

 この預言の通り、イエスさまは今まさに、柔和で、平和を宣べ伝える「王」として、「ロバに乗って」エルサレムに入城されるのです。

 そのとき、人々は自分の服や木の枝を道に敷いて、イエスさまを迎えています。ソロモン王の後、イエフという人が革命を起こして王位を簒奪した時、人々は「おのおの急いで上着を脱ぎ、階段の上にいた彼の足もとに敷き、角笛を吹いて、『イエフが王になった』と宣言した」と書かれています(列王記下9:13)。人々が服を敷いて迎えることも、イエスさまが「王」として人々から迎えられたことを示すものでした。

 しかもそのことは、「ダビデの子にホサナ!」という人々の歓呼の声にも示されています。ダビデは、エルサレムをイスラエルの王の都として定め、築いた、王の中の王です。「ダビデの子」という言葉には、単に理想の王の子孫と言うだけではない、ダビデ王の子孫にイスラエルの真の王である救い主が現れるという預言の成就への期待が込められています。さらに続いて「ホサナ」と叫んでいます。「ホサナ」とは、「助けてください」「今救ってください」という意味の言葉です。これも、「万歳」といった単なる掛け声ではなく、救い主である真の王の支配と、それによる救いを求める「祈り」の言葉です。イエスさまは、群衆のその祈りの声に迎えられ、主の名によって来られた「救い主」、父ダビデの国を再建する「真の王」として、ダビデ王の都であるエルサレムに入られたのでした。

 

■「王」とは

 それにしても、この「王」としてのイエスさまの姿は、恥辱と侮蔑に満ちた受難の十字架のイエスさまの姿とは、あまりにも対照的です。受難が始まろうとするこのときに、「王」としてのイエスさまの姿が描かれるのはなぜなのか。そもそも、「王」とはどのような存在なのでしょうか。

 今は、コロナウィルスのために海外旅行もままなりませんが、聖地旅行に行ってまず案内されるのは、イエスさまの時代に生きていたヘロデ大王が残した数々の遺跡でしょう。よくぞこれだけのものを二千年も昔に造ることができたものだ、と驚かされます。ヘロデ大王は優れた都市計画者として知られていました。そのヘロデの名を最も偉大なものとしたのは、「ヘロデ神殿」とも呼ばれる第三神殿の建設でした。ソロモン神殿を超える規模で、ローマ帝国はもとより、広く地中海世界で評判となり、当時からすでにユダヤ教徒でない人々までもが、神殿のあるエルサレムを訪れるようになったと伝えられています。 Continue reading

1月16日 ≪降誕節第4主日礼拝≫ 『主よ! 主よ!! 主よ!!!』マタイによる福音書20章29〜34節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■エルサレム入城の直前

 「一行がエリコの町を出ると、大勢の群衆がイエスに従った」

 この時、ユダヤ人の最大の祭である過越祭が近づいていました。その祭を祝うために多くの巡礼者たちがエルサレムを目指して旅をします。彼らがガリラヤからヨルダン川に沿って南に下るのであれ、ヨルダン川の向こう側―ペレア地方を通るのであれ、エルサレムへと至る道はいずれもエリコを通ることになります。エリコは水が湧き出るオアシスの町です。荒涼たる荒野の中を歩いてきた人々にとっては、生き返るような思いのする町でした。エルサレムまでは、わずかに30キロ弱の距離です。ただエリコの海抜はマイナス250メートル、エルサレムは海抜760メートル。エリコとエルサレムの標高差は1000メートルを超えます。エリコからエルサレムへと至る道は相当に厳しい登り坂です。そこで巡礼の人々はみな、このエリコで渇いたのどを潤し、厳しい坂道と祭りに備えて身支度を整えてから、エルサレムを目指しました。「大勢の群衆」とあるのは、イエスさま一行と道を共にしていたそんな巡礼の人々のことかもしれません。

 しかしそんな喧騒と雑踏には一言も触れず、いきなり「エリコの町を出ると」とあります。イエスさまの目は、ただひたすらにエルサレムヘ向けられているようです。エルサレムへと至る旅の途上、十字架と復活の運命が待ち受けていることを語られたイエスさまは、そのことを受け入れ、理解することのできない弟子たちに繰り返し、受難のキリストを信じる者としてのあるべき姿を教え続けて来られました。そして、いよいよエルサレム入城直前の場面です。受難のキリストに従うということがどのようなことなのか、そのことを弟子たちに、わたしたちにイエスさまが教えてくださる、最後の時を迎えていました。

 

■二人の盲人

 そこに登場したのは「二人の盲人」でした。

 「そのとき、二人の盲人が道端に座っていた…」。この一文から、彼らが背負ってきた大きな苦しみと嘆きが伺えます。

 戦後、「障害者」という言葉の問題が様々に議論されました。「障」は、訓読みでは「さわり」。差し障りがある、目障り、耳障りというふうに使われます。辞書には「じゃま、さまたげ」、さらに「へだて、境をするもの」と説明されます。「害」は言うまでもなく「有害」の「害」。「障害者」という言葉は、たとえそれをひらがなで書こうとも、またわたしたちが意図しているか否かにかかわらず、「障りがあり、害がある者」「分け隔てられねばならない者」という意味合いを持っています。英語では、disabilities「不能者」からdifficulties「困難者」に、さらに今ではchallenged「挑戦者」と呼び方が変わってきましたが、残念ながら、日本語にはそれに代わる言葉が未だ見あたりません。

 しかし当時、盲目であった人々の苦しみは、わたしたちの想像をはるかに超えるものです。盲目は、重い皮膚病の人同様、汚れ呪われた罪人とされ、生家から捨てられ、物乞いとならざるを得ませんでした。マルコは「盲人の物乞い」と書いています。その盲目の人を前に、誰が悪いのか、誰の罪なのかと弟子たちがイエスさまに訊ねてさえいます。二人は人通りの多い道端に一日中座って、自分たちの姿を道行く人にさらし、憐れみを乞い、何がしかのものを恵んでもらうことによってしか生きることができない、人間としての誇りを打ち砕かれ、喜びも希望も見出せない日々を生きるほかない、そういう苦しみの中を生きるほかない人でした。二人は互いに助け合いながら、困難や悲しみに耐えてきたのでしょう。周囲の人々に蔑まれたりしながらも、それでも何とか、同じ境遇を知っている者同士として支え合ってやって来ていたに違いありません。

 

■憐れんでください

 そのときのことです。二人は周囲の様子がいつもと違うことに気づきます。耳を済ましていると、「ナザレのイエス」という声が聞こえます。ナザレのイエスが通って行こうとしている。あちこちで病人を癒し、目の見えない人を見えるようにしたことを聞いて知っていたのでしょう。そのナザレのイエスが自分の前を通って行こうとしている、それを知った彼らは思わず、大声で叫びます。

 「主よ、ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」

 彼らには、イエスさまが今どこにおられるのか分かりません。分からないからこそ、何とか自分の声を届かせようとして大声で叫びました。「群衆」、周りにいた人々は叱りつけて黙らせようとします。「うるさい。道端で大声を上げるな」と叱ったのでしょう。弟子たちだったのかもしれません。イエスさまのもとに子どもを連れて来た人々を叱った時と同じように、これからエルサレムに上り、大切な使命を果たそうとしておられるイエスさまの邪魔をするな、という思いで叱ったのではないでしょうか。

 しかし、叱られ、黙れと言われた「二人はますます、『主よ、ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください』と叫んだ」と続いています。福音書は、イエスさまを「主よ」と、それも三回も叫んだ人がいたことを、ここに伝えます。しかもその内の二回は、「主よ、ダビデの子よ」と呼んでいます。

 この後、ロバの子に乗ってエルサレム入城をなさったとき、群衆は熱狂し、「ダビデの子にホサナ」と叫び、イエスさまを迎えます。その群衆に先立って、目の不自由な二人が、「主よ、ダビデの子よ」と呼びかけるのです。

 「ダビデの子」という呼び方は、ユダヤ人にとって大切な意味を持っています。ダビデはイスラエルの昔の王、それも理想の王の名前です。その子とはその子孫という意味ですが、それだけではなく、旧約聖書には、ダビデ王の子孫にイスラエルの救い主である真の王が現れ、主なる神の救いがその王によって実現するという預言が記されていました。いわば「ダビデの子」とは、神から遣わされる「救い主」を意味する言葉です。二人はその言葉でイエスさまを呼びました。それはつまり、「イエスさま、あなたこそ、神が約束してくださっていた救い主です」という信仰の告白であったということです。ペトロのキリスト告白に匹敵する信仰告白でした。

 もちろん二人の告白が、ペトロたちと同様、受難のキリストを受け入れているものではないとしても、それでも二人は、ナザレのイエスを、病気を癒し、目の見えない人を見えるようにすることができる奇跡の力を持った人、いわば「超能力者」のように考えて、そう呼びかけたのではありませんでした。神からの救い主キリストと信じて、「憐れんでください」と呼びかけています。ただひたすらに神様の憐れみによる救いを叫び求めています。

 「憐れんでください」。「憐れみ」という言葉は、神とイスラエルとの契約に基づく救いを、神の国が完成する最後の時に与えられる救いをもたらす、神様の「妬む」ほどの激しい愛を表す言葉です。人々はこの「憐れみ」を待ち望んできました(詩篇85:8他)。そして今、二人は深い悲しみの中に生きる者として、それに与ることを心から願い、声を励まして叫んでいます。

 それより他にすべがないからです。わたしは、あなたの憐れみなしに生き、存在することができません。そして、今ここに来られたあなたは、憐れみ、赦しと無償の愛の人です。そんなイエスさまへの信頼が、信仰が、二人に「主よ! 主よ!! 主よ!!!」と三度も呼びかけさせ、「憐れんでください」と叫び求めさせました。 Continue reading

1月9日 ≪降誕節第3主日礼拝≫ 『何が望みですか』マタイによる福音書20章17〜28節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■「できます」

 「イエスはエルサレムへ上って行く途中、十二人の弟子だけを呼び寄せて言われた」

 ヘルモン山の麓でペトロが「あなたはメシア、生ける神の子です」と告白して以来、イエスさまがご自分の身に起こる十字架と復活の出来事を語られるのは、これが三度目のことでした。これまでは、ただ「殺される」と言っていたのに対し、今回は、十字架につけられ、神に呪われた罪人として辱められ、鞭打たれ、殺される。そして最後に「人の子は三日目に復活する」と、強く、はっきりとした口調で告げられます。

 重く心を覆う不吉な予感のために、誰もが息を潜めるようにして口を閉ざす外なかったそのとき、イエスさまの傍らに、ゼベダイの子ヤコブとヨハネ、そしてその母親が近づき、ひれ伏します。

 ヤコブとヨハネの二人はイエスさまに招かれて弟子となり、その後、ずっとイエスさまと共に歩んできました。ペトロと一緒にヘルモン山の頂にも登り、イエスさまの姿が変えられたあの天の国の輝きを垣間見ることもできました。彼らは、十二弟子の中でも最もイエスさまの傍近くにいる兄弟でした。

 二人の母親が「何かを願おうとした」とあります。ためらいを感じます。なかなか言い出せません。あまりにも厚かましく、恥ずかしく感じていたのかもしれません。すると、イエスさまの方から尋ねてくださいます。

 「何が望みですか」

 そこで初めて母親が口を開きます。

 「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください」

 イエスさまの両側に、栄光の座に座ることができるように…。「子どものためならば…」、そんな母親の姿です。

 とはいえ、意外に思われるかもしれません。このときイエスさまは、ご自分の定めもその意味もまったく「分かっていない」母親を、またヤコブとヨハネを叱ることも、怒られることも一切なさいません。ただ、「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか」と問い返されるだけです。

 イエスさまの言われる「杯」とは何でしょうか。それは「苦い杯」のことです。最後の晩餐の後、イエスさまは、祈るためにペトロとゼベダイの子二人だけをゲッセマネに伴われます。「そのとき、[イエスは]悲しみもだえ始められ」、「うつ伏せになり…『父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに』」と祈ったと記されています(26:36-38)。「杯」とは、これから受けることになる十字架の苦しみのことです。

 「わたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか」というこの問いかけは、「神の怒りに触れることができるか。神の怒りを身に受けて苦しむことができるか」という意味でした。神様の怒りに触れれば、ひとたまりもなく吹き飛んでしまう外ないわたしたちのための十字架の死を語っておられるのです。「あなたがたは本当に、このわたしと支配を共にしたいと願うのか。それは素晴らしいことだ。でも、そのことがいったい何を意味しているのかを分かっているのか。わたしと同じように死ねるのか」。そう言われたのです。

 その問いかけに二人は、「できます」と答えます。

 この答えには、彼らなりの覚悟が込められていたことでしょう。しかし、その意味するところを理解していませんでした。その証拠に、イエスさまが実際に杯をお飲みになった時、彼らは仲間の弟子たちと一緒に一目散に逃げてしまいました。そして皮肉にも、最後のその時、イエスさまの十字架の右側と左側にいたのは、彼らゼベダイの子たちではなく、二人の強盗でした。ここにいた十二人の弟子たちの誰ひとり、イエスさまの「杯」を飲むことができませんでした。

 それでも、イエスさまは「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲むことになる」と言われます。今、あなたはわかっていない。でも、わたしにつながれたあなたは、わたしの道を歩み、わたしと同じものにあずかることになるだろう…イエスさまのそんな愛のまなざしが二人の弟子たちの上に、そしてわたしたちの上にも注がれているようです。

 

■真面目な信仰者

 思えば、二人の母親が息子たちの地位と栄光を願っているその様子は、我が身を見るような思いにさせられます。彼らは、もうすぐイエスさまがエルサレムで王になられるだと期待しています。十字架と復活の言葉を、そう理解しています。それが正しい理解ではないとしても、ただ不安と恐れに囚われているばかりの他の弟子たちとは違って、イエスさまへの信頼を心に固く抱いていることだけは確かです。その時にはどうぞ、二人を王であるあなたの右と左の輝かしい地位につけてください。ヤコブとヨハネの、何よりもその母親の願いは、誰もが抱く思いです。救い主イエスの傍らにいたい、その勝利と栄光にあずかりたい。わたしたちがイエスさまを信じて従っていくことの根っこにある願いはこれではないでしょうか。

 信仰に入るきっかけや具体的な動機はみな、それぞれです。悩みや苦しみからの救いを求めていく中で神様と出会い、信仰を与えられる人もいます。自分の醜さや弱さに嫌気がさして、あるいは人生の虚しさを感じて、そこからの救いを求めていく中で信仰を得る人もいます。そういう明確な動機はなしに、家族や友人やその他の誰かに連れられて教会に来て、礼拝を守っているうちに、何となく自分も神様を信じる思いを与えられたという人もいるでしょう。そのようにきっかけや動機は様々ですが、わたしたちが信仰を持って生きようと決心する時に思うことは、自分の人生を、日々の生活を、信仰によってより充実したもの、平安と慰めのあるものとしたい、暗い日々を明るくしたい、前向きな思いで生きたいということではないでしょうか。つまり、わたしたちはみな、イエスさまと共にあって、その勝利と栄光にあずかりたいと願って、信じる者になります。

 そして、信じる者となったわたしたちは、イエスさまによる救いの恵みを身に帯び、その栄光を映し出す者として生きようと努力します。そこにいろいろな苦しみが伴うということは誰にもすぐに分かります。その苦しみを背負って忍耐しつつ、頑張って努力していくことによってこそ、イエスさまの勝利と栄光にあずかることができる、その右と左に座ることができる、そんな立派な信仰者を目指して歩もうとします。苦しみと死とが待ち受けるエルサレムへと向かうイエスさまに、それでも弟子たちが従って行こうとしているのは、そういう思いによってでしょう。ヤコブとヨハネが「この杯を飲むことができるか」と問われて「できます」と答えたのも、そういう思いからでしょう。 Continue reading

1月2日 ≪降誕節第2主日/新年礼拝≫ 『永遠の希望』ヨハネの黙示録21章1〜7節 沖村裕史 牧師

≪説 教≫

■過去に縛られて

 元旦を迎え、わたしたちは、家族や親類、友人と新年の挨拶を交わし、おせちやお雑煮を食べ、新しい年の始まりを祝います。そんな心浮き立つ元旦に、芥川龍之介がこんな一句を詠んでいます。

  元日や 手を洗ひをる 夕ごころ

 賑(にぎ)やかな元旦も何とはなしに気忙しく、ふと気づくと外は夕暮れ。祝いの喧騒からひとり離れ、芥川は、穏やかな気持ちで手を洗っているのでしょうか。ほっとした気持ちと少し疲れた心を、「夕ごころ」と表現しています。静かな憂愁の漂う新しい年の夕べを、ひとりしみじみと噛みしめる一句です。

 しかし、わたしたちの新年はと言えば、芥川のように洗うようにして心が新しくされる時というわけには、なかなかいかないようです。高桑闌更(たかくわらんこう)という、松尾芭蕉の句風を受け継ぎ発展させた俳人が詠っています。

  正月や 三日過ぐれば 人古し

 新年を迎えて感慨も新たに、「今年こそは」と目標を立てたものの、正月も三が日を過ぎると正月気分も薄れ、そんなことも忘れてしまう。いつのまにか、いつもと何も変わらぬ日常生活に戻っている。高桑は、「新しく」変わることなく、「古い」ままでいる自分を自嘲気味に揶揄(やゆ)しているようです。

 「新しい」年のその始まりに「人古し」とは、なんとも皮肉な言葉ですが、高桑の言葉は、わたしたちの生き様、時間感覚を言い得て、妙です。

 わたしたちの「新年」は、賑やかさと喧騒の中に毎年のように巡り来て、そしてまた、いつものように過ぎ去って行きます。その「新しさ」は、確かに、昨日とも去年とも違うものかもしれません。しかし、年毎にさほど異なるものでもないようです。春夏秋冬、四季が巡るように、わたしたちの新しい年、新しい時々は、何の変哲もなく「同じように」やってきて、「同じように」過ぎ去っていく。それは、日本的な無常観、ただぐるぐると回りめぐるだけの円環的な時間感覚と呼んでいいものかもしれません。

 そうした感覚に慣れ親しんでいるわたしたちの「今」は、とりわけ「明日」という時間は、新しい「時」としてよりも、むしろ、過去につながれた、過去が積み重なり、堆積された「時」として意識されがちです。わたしたちの現在や未来は、過去から説明され、過去を通して理解され、過去に基づいて決定され、過去に縛られ、そして過去に支配されることになります。温故知新と言えばまだしも、「あんなことがあったから、今こうなんだ」「今こんな状態だから、明日もきっとこうにちがいない」「あのこともこのことも忘れられない、いや決して忘れるものか」ということになりかねません。

 弟子たちも、盲目の人を前にイエスさまに尋ねました。

 「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか」(ヨハネ9:2)

 人間は弱い存在です。わたしたちは、自分たちの苦しみや悲しみを、それが大きければ大きいほど、その原因を探し出してきて、時に過去の出来事によって、時には過去にいた人に結び付けて、その理由を説明することで、苦しみや悲しみを受け入れ、納得しようとします。ところがそうする時、わたしたちは逆に、消し去ることのできない過去に囚われ、縛られて、「だからもう駄目だ」「どうしようもない」と出口のないところへと自身を追い込み、苦しみや悲しみをより深刻なものにしてしまいます。消し去ってしまいたい、しかし拭い難い過去に支配され、「自分はどうしようもない者だ」「あのことさえなければ」「あの人さえいなければ」と自分も他人をも否定する罪に囚われ、そこから抜け出せずに、もがきます。それが罪なのは、そんな時にも、いえ、そんな時にこそ、愛の神様が共にいてくださることを見失っているからです。

 

■見たことも聞いたこともない Continue reading

12月26日 ≪降誕節第1主日/歳末感謝礼拝≫ 『神様は気前がいい』マタイによる福音書20章1〜16節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■天の国

 よき知らせ―福音って、何でしょう。一言で言えば、「天の国」のこと、神様が「今、ここにおられる」「今、ここに救いがある」ということです。

 マタイによる福音書20章の冒頭でも、イエスさまは「天の国は次のようにたとえられる」と語り始めます。繰返し、繰り返し天の国について語られてきたイエスさまが、直前19章の「金持ちの青年」との会話に続けて、今日のたとえを語られます。

 金持ちの青年は、「永遠の命を得るには、どうしたらよいか、どんな善いことをすればよいのでしょうか」と、イエスさまに尋ねました。永遠のいのちとは、肉体的にいつまでも生き永らえるというようなことではなく、永遠なる神様と共に生きることです。しかも、死後の世界に初めてそれを経験するというのではなく、今、ここに与えられるいのち、救いのことです。神様は今ここに共にいてくださって、まことの救いが今ここに与えられている。それが、イエスさまが繰返し語ってくださる「天の国」「永遠の命」です。

 年の瀬を迎え、マスメディアはこぞってこの一年を振り返り、新しい年に向けての願いや課題を語ります。ただ、その口調は総じて暗く、悲観的です。しかしイエスさまは今日も、過ぎ去った日々を嘆くのではなく、まだ来ぬ日々を思いわずらうのでもなく、ただひと言、「今、ここに救いがある」と宣言されます。今、ここに救いがある。あなたがどんなに迷っていようと、あなたがどんなに疑っていようと、そんなことを吹き飛ばすように、「今、ここで、あなたを救う」と宣言してくださるのです。

 だから、教会の教勢が低迷しているとか、いっこうに景気がよくならないとか、人間関係が大変だとか、将来が不安だとか、病気になったらどうしようかとか、そんなことを心配する必要はもうなくなったと言うとすれば、言い過ぎでしょうか。でも、本当に何の心配もいりません。神様は今ここで働いておられますし、これからも働かれます。わたしたちが神様のみ業についてあれこれ心配するのは、むしろ、働いておられる神様に失礼なことです。ですから、あれこれと心配したり、だからダメなんだと批判ばかりしたり、自分のことを卑下したりするよりも先に、神様と共に働くことをこそ願いたいものです。

 そもそも「救い」について、いくら言葉を尽くして説明されたとしても、わたしたちが救われることはありません。そうではなく、辛い思いをして救いを求めている人に、イエスさまの名によって「神様はあなたを愛しておられます」「今、あなたは救われました」、そうはっきりと宣言する。そこに救いがあるのです。大切なことは、救いは今ここに差し出されているのですから、後はわたしたちがそれを心から受け取るかどうか、つまり、そのことを本気で信じるかどうか、ただそれだけです。

 

■働かざるもの、食うべからず

 とはいえ、皆さんは今日の「天の国のたとえ」を、簡単に、ああそうかと受け入れることがおできになったでしょうか。

 このたとえに語られる、ぶどう園の主人の「気前のよさ」は理解しがたいものです。ここで語られる「気前のよさ」は、わたしたちの日常生活ではまずあり得ないばかりでなく、理不尽だとさえ思えるからです。ぶどう園の主人は、クレームをつける労働者に、「(わたしは)あなたに(対して)不当なこと(、不正)はしていない」と答えています。しかし、その人はただ、働いた分に応じて報いがあるべきだと言っているに過ぎません。一日中働いた人間が、半日しか働かなかった人、たった一、二時間しか働かなかった人よりも、多くの報いを得ることは当たり前のこと、決して不正なことではありません。それは、わたしたちの常識からすれば当然のことで、この主人のしていることの方が明らかに理不尽で、不可解です。

 現代社会では、短い時間よりも長い時間働いた者に報酬が与えられ、そしてまた、一日中働いても大して業績を上げない者よりも二時間で優れた成果を上げる者の方により多くの報酬を与えるのは当たり前だと考えます。事業を経営する人であれば、誰もがそう考えるでしょう。いわゆる業績主義と呼ばれるこの考え方は、時代を問わず、地域を問わず、社会主義・資本主義を問わず、すべての社会に共通する常識です。皆さんよくご存じの格言で言えば、「働かざるもの、食うべからず」というわけです。

 「働かざるもの、食うべからず」

 実は、この格言、テサロニケの信徒への第二の手紙3章10節にある、「働きたくない者は、食べてはならない」というパウロの言葉に由来するものです。

 しかし注意をしてください。ここでパウロは「働かない者は、食べてはならない」とは言っていません。「働きたくない者は、食べてはならない」。「働かない者」ではなく、「働きたくない者」です。働くことを拒んでいる人が問題とされます。働き場があって、本人にその仕事をする力もあって、それを続けることも保障されているのに、「働きたくない」「働こうとしない」ことが問題とされているのです。テサロニケの教会の中にも、そしてどの時代、どの社会にも、働こうとせずに、ただその地位や身分によって、パンを得ることを当然と考える人たちがいました。パウロが問題としているのはそのような人たちのことです。

 イエスさまもここで、働きたくない者、働こうとしない者にまで報酬が与えられるべきだ、と言われているのではありません。

 

■働くということ

 そもそも「働く」ということ、「労働」とはわたしたちにとって、どのような意味を持つのでしょうか。

 「働きたくない者は、食べてはならない」というこの言葉は、聖書にあるユダヤ教の伝統的な教えに基づいたものです。神様は、天と地、生きとし生けるものすべてを造られ、いのちを与えてくださいました。そして、十戒の中の「安息日」の規定の前文に「六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし」とあるように、わたしたち人間は、神様から与えられたそのいのちを生きるために、それぞれの働き、仕事へと召されています。しかもわたしたちは、イエスさまがご自身のいのちをもって贖(あがな)ってくださって、いわば、愛によって今ここに生かされているのですから、イエスさまに倣(なら)って、自分の体に汗し、労苦して、隣人のために、愛のために働くこと、それこそが、神様から与えられたかけがえのないいのちを大切に生きる道であるはずです。わたしたちは、それぞれに与えられた働き、仕事を通して生きるように、互いに仕えるようにと求められているのです。

 働くという漢字が「人が動く」と書くように、それは、わたしたちの立ち振る舞い、わたしたちの生すべてを意味する言葉です。働くことは、人生の一部ではありません。職業を意味する英語が “calling” と表現されるように、働くことは、神様による召し、招きです。仕事や職業がどのようなものであれ、わたしたちは神様から与えられたこのいのちを生きるために働くのであり、働くことは、神様の御心によるイエス・キリストの愛の業にわたしたちが参与することです。 Continue reading

12月19日 ≪降誕前第1・待降節第4主日/クリスマス家族礼拝≫ 『「分かってる」つもりのクリスマス』イザヤ書59章15b〜20節/マタイによる福音書13章53〜58節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■目をそらさず

 クリスマス、おめでとうございます。わたしたちは今日、救い主イエス・キリストがこの世に来られたことを、救いが今ここにもたらされていることを、心から喜び、祝いたいと思います。

 でも、ちょっと待ってください。御子イエスがお生まれになった場所はどこだったでしょうか。ヨセフとマリアには休む場所もなく、イエスさまがお生まれになったのも家畜の匂いのこもる小屋の中、飼い葉桶のわらの中でした。人として最も小さく最も弱い赤ん坊として生まれ、王に命を狙われて逃げるしかなかったイエスさま。いったいどこに救いがあると言うのでしょうか。

 そして今、わたしたちが目にしている現実は、わたしたちを取り巻く世界はどうでしょうか。救いが今ここにもたらされていると言えるでしょうか。世間の世知辛さ、人生の悲しさ、人の罪深い姿は、今も、昔も変わりません。わたしたちの人生は、困難と苦痛、悲しみと悩み、不安と危険に満ちています。何よりも、わたしたち自身の罪も尽きることがありません。日々、テレビから流れる悲惨なニュースに心を痛めつつ、しかしそこにわたしたち自身の姿を、罪を見ないわけにはいきません。

 そんなこの世の中に、それでも、わたしたちが救いと平安を見出すことのできる場所がたったひとつだけある、と聖書は教えます。それは「主の御腕」の中、神様のみもとです。イザヤ書59章16節から17節、

 「主の救いは主の御腕により/主を支えるのは主の恵みの御業。主は恵みの御業を鎧としてまとい/救いを兜としてかぶり、報復を衣としてまとい/熱情を上着として身を包まれた」

 「熱情」とは、嫉(ねた)むほどの激しい愛をもってわたしたちに関わり続けくださる、神様の執拗な愛のことです。なぜ、神様はそれほどまでにわたしたちのことを愛してくださるのか。それは、生みの親だからです。わたしたちのいのちは自分で手に入れたものではありません。与えられたもの、神様が与えてくださったものです。そのいのちゆえに神様はどこまでも愛してくださるのです。わたしたちが身を寄せさえすれば、神様はわたしたちに平安と恵みを与えてくださいます。それはちょうど、太陽が昇れば必ず光が差し込んで、すべてのものを暖かくしてくれるようなものです。

 もちろん、神様のみもとに身を寄せたら、罪の現実、この世での苦難、悪の誘惑、悲しみや死がなくなるというのではありません。それでも、みもとに身を寄せれば、たとえ邪悪なものや危険なことに見舞われても、それから目をそらすことなく、謙虚さと平静さを保ち、それぞれに為すべきことを為すことができます。神様がいつもそばにいてくださるので、邪悪で危険な世の中をも平安の内に歩むことのできる、そう信じるからです。

 

■救いの約束

 とはいえ、そんな神様の御腕の中にあることをわたしたちはすぐに忘れてしまいます。イザヤの時代を生きた人々もそうでした。そんな人々の姿を見て、イザヤ書の16節、「主は人ひとりいないのを見/執り成す人がいないのを驚かれ…あやしまれ」た、とあります。

 わたしたち人間が自分で自分を救うことなどできません。できるとすれば、それを救いとは呼ばないでしょう。救われない、もはや永遠の滅亡へと向かって行くしかない、そんな時に神様は「人間の中からだれか目覚め、起きてきて、わたしの前にその苦悩を訴えるならば、わたしはそれを聞こう」と言われました。しかし、そういう人は一人としていませんでした。

 神様はついに、ご自身が人となってこの世界に来て、神と人との間に仲立ちとなり、わたしたちに救いをもたらそう、と決心されました。それが、先ほどの16節から17節の言葉です。それは、神の御子が、神と人との仲立ちとして、救い主として、この世界においでになるという預言、約束の言葉でした。

 それから750年後、救い主としてこの世に来られた御子イエスが、このイザヤの預言を引用されながら、人々に語りかけられます。マタイによる福音書13章53節から54節です、

 「イエスはこれらのたとえを語り終えると、そこを去り、 故郷にお帰りになった。会堂で教えておられると…」

 マタイは「会堂で教えておられると」とだけ記していますが、ルカ福音書は、その時の様子を詳しく書いています。イエスさまは、礼拝を司っていた会堂長からイザヤ書の巻物を手渡されると、ある言葉に目を留め、よく響く声で読まれました。

 「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである」(ルカ4:18)

 「油を注ぐ」とは、メシア、救い主キリストとされることを意味します。イエスさまは「父なる神はわたしに油を注がれ、救い主としてこの世界にお送りになった」と言われます。そして続けて、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と告げられます。さきほどのイザヤ書59章20節、「主は贖う者として、シオンに来られる。ヤコブのうちの罪を悔いる者のもとに来ると/主は言われる」という神様の約束の通り、御子イエスがやって来て、救いの約束が「今日…実現した」、そう宣言されたのでした。まさによき知らせ、福音です。

 

■分かってるつもり

 しかし人々は、その福音を聞いても聞きません。一体誰が、その驚くべき言葉を、そのままに受け入れることができるでしょうか。マタイは、イエスさまの言葉を聞いたナザレの人々が「驚いた」と書いています。そして続けて、あっけにとられ、驚き、感心したはずのその人々が結局のところ、「イエスにつまずいた」と記します。

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