福岡県北九州市にある小倉東篠崎教会

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今週の教え - Page 7

9月4日 ≪聖霊降臨第14主日礼拝≫ 『イエスさまの涙は愛のしるし』 詩編42篇2〜12節 沖村 裕史 牧師

■魂を注ぎ出し

 詩編42篇7節、

 「わたしの神よ。

 わたしの魂はうなだれて、あなたを思い起こす。

 ヨルダンの地から、ヘルモンとミザルの山から」

 紀元前6世紀の前半。新バビロニア帝国によってエルサレムが神殿もろとも徹底的に破壊され、ユダ王国は滅びました。当時、エルサレムに暮らしていた多くの人々が、現在のイラク・バクダードの南方90キロあたりにあった主都バビロンにまで強制的に連れ去られ、半世紀―50年もの間、過酷な奴隷生活を余儀なくされました。この詩は、そのときに歌われた詩であろうと言われます。

 あるいは、かつてエルサレム神殿に仕える身であった人(5節)が、理由は分かりませんが、エルサレムから遠く北方のヨルダン川水源—ミザルの近く、現在も野生の鹿(1節)によく似たガゼルが生息するそんな場所に、追放されていたのではないか、とも言われます。

 いずれにせよ、詩人の心は今、ヘルモンの山から遥か南に望む、都エルサレムへの深い郷愁、哀愁に包まれています。聖書の巻末につけられている聖書地図3をご覧ください。ヘルモン山はキネレト湖、後のガリラヤ湖北岸の町ベトサイダからさらに北60キロあたりにある、標高2814メートルのレバノン山脈中の最高峰です。その頂(いただき)に積もる雪は春になれば溶け出して、北のガリラヤ湖からヨルダン川へと流れ込み、南の塩の湖―死海へと至ります。その湖から西に僅か30キロの所にエルサレムはあります。ヘルモンの頂に立てば、雄大なヨルダン渓谷を一望できると言われます。

 その美しく、雄大な自然の思い出がしかし、詩人の慰めとはならず、彼の魂を引き裂くほどの悲しみと寂しさへと追いやります。彼の願いはただひとつ。あのエルサレムへ戻り、神殿に立って、主なる神を礼拝すること、ただそれだけです。5節、

 「わたしは魂を注ぎ出し、思い起こす

 喜び歌い感謝をささげる声の中を

 祭りに集う人の群れと共に進み

 神の家に入り、ひれ伏したことを。」

 彼はかつて、神の家―エルサレム神殿に住み、そこに集まって来る巡礼の人々と共に、礼拝を捧げ、喜びの声を上げ、感謝の歌をうたっていました。見るもの聞くものすべてが感謝であり、喜びでした。彼は、自らの魂を注ぎだすほどに激しく、そのことを願っています。

 

■お前の神はどこにいる

 ところが、8節、

 「あなたの注ぐ激流のとどろきにこたえて

 深淵は深淵に呼ばわり

 砕け散るあなたの波はわたしを越えて行く。」

 ヨルダン川は、冬の雨によって急激に水嵩(みずかさ)を増します。その激流は川岸を削らんばかりとなります。自然の猛威におびえるように、詩人は襲いかかる不運に身を縮めます。なぜ、わたしはこれほどの苦難に襲われることになったのか。一体いつまで、わたしはこの異郷の地に捨て置かれるのか。砕け散る激流に飲み込まれ、翻弄され、いのちの危機に瀕しています。悲運は悲運を呼び、苦難は苦難を招き、世のあらゆる不幸が取り囲み、彼の魂を滅ぼそうとしているかのようです。

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8月28日 ≪聖霊降臨第13主日礼拝≫ 『きみのこと知ってるよ!』 ローマの信徒への手紙11章25〜36節 沖村 裕史 牧師

説教

■沈黙するとき

 口を閉ざすこと、沈黙とは、単に話すことをやめることではありません。沈黙は本来、積極的で根源的な行為です。

 人は黙ることをやめたとき、最も雄弁に語り出します。しかしそこで語られる内容の多くは、なんと空疎で、冗長なものであることでしょうか。大半は、愚痴か、文句か、弁解か、自慢か、ウソか、お愛想か、です。

 言葉が空しく響くのは、なぜでしょう。それは、語られる言葉が豊饒なる沈黙の世界に根ざしていないからです。人は、きちんと黙るということがなければ、きちんと語れないのです。どのように語ろうかと意気込む前に、わたしたちはまず、豊かに黙することをこそ大切にすべきです。

 沈黙を背後に持たない言葉は、人を傷つけ、争いを生みます。そのような言葉はどんなに重ねられても、人を癒すことはありません。どこまで語り合っても、理解し合えません。いつも孤独を生むのは、沈黙ではなく、言葉です。

 心に渦巻く言葉を鎮めて、沈黙するときこそ、本来の自分自身を見いだすときであり、初めて他者に、それも絶対的な他者に出会えるときです。迷ったとき、行き詰まったとき、最も苦しいときは、言葉でごまかさずに、まず沈黙することです。深く、静かに、ゆったり。その沈黙の中で初めて、わたしたちは神様と出会うことができ、そのとき初めて、神様の愛を知ることになります。

 

■秘められた計画

 今、パウロもまた、深く、静かに、ゆったりと、親しみを込めて「兄弟たち」と呼びかけ、「次のような秘められた計画をぜひ知ってもらいたい」と語り始めます。「ぜひ知ってもらいたい」、どうしてもわきまえてほしい。そうパウロが語り、願っているのは、「秘められた計画」についてです。

 「秘められた計画」と訳されている言葉は、ギリシア語の「ミスチューリオン」。今日のミステリーという言葉の語源となるものですが、もともとは、「閉じる、閉ざす」という意味を持つ言葉です。では一体、何を閉ざすのか。「口を」です。「黙る」ということです。つまり、沈黙の中でこそ知りえることについて、です。

 パウロがここで語る「秘められた計画」とは、誰も聞いてはいけない、見てもいけない、資格のない者は触れてもいけないといった、「秘儀」を意味するものではありません。続く26節に「全イスラエルが救われるということです」とあるように、それは、イエス・キリストによる救いそのものを指し示す言葉です。救いについての知識、と言ってもよいかも知れません。

 だとすれば、黙っていなければいけないどころか、大いに語られるべきことです。喜びをもって、宣べ伝えずにはおれません。ひとりでも多くの人に聞いてほしい、知ってほしい、共にその喜びに触れてほしい、そう思えることです。

 「秘められた計画」とは、わたしたち人間には計り知ることなどできない、隠された神様のご計画、神様の御心のことです。「隠された」という意味で秘されたものですが、しかしそれは、すべての人を救うための神様の不思議な計らい、計画、御心のことを意味しています。

 パウロがここで語る「秘められた計画」とは、単に秘されるべきものとしての奥義のことではなく、神様の御前で、わたしたち人間の知識、知恵の言葉が沈黙せざるをえないような、わたしたちのどんな行いや知識や知恵も何の意味も持たず、誇ることなどできない、計り知れないほどの大いなる神様の愛としての奥義のことです。

 わたしたちには知ることなどできないけれども、神様はわたしたちのことを愛してくださり、だからこそ、よくよく知っていてくださるのだということです。このことは、とって大切なことです。

 

■知られている

 教会に夜遅く電話がかかってくると、ドキッとします。それでも、受話器を取るほかありません。深呼吸して、よしっと気合を入れて取ります。気合いを入れていますから、どんな内容の電話でも大抵はたじろぐことはありません。それでも一度だけ、どうしても腹の虫が収まらなかったことがあります。夜8時過ぎ、年のころ、二十代か三十代の女性が電話の向こうで、いきなりこう切り出しました。「沖村さん?投資の話なんかに興味あります?」

 腹が立ったのは、その女性が、わたしの名前や年齢などの情報を一方的に知っていることでした。知らない人にわたしのことが「知られている」という現実は、気味悪く、腹立たしい…と興奮冷めやらぬわたしでしたが、しばらくして落ち着いてくると、ハテ待てよ、わたしは知らないのに、相手はわたしを知っている、この状況がいつも腹立たしいというわけでもない、と思い直しました。

 例えば、海で遭難して助けを求めているとします。そこに救援のヘリコプターがやってきます。わたしはそれに気づき、叫びます。しかしその声に気づくことなく、ヘリが飛び去ってしまう。このとき、わたしは相手を知っています。けれども、わたしは相手に知られていません。これは絶望的な状況です。

 あるいは、倒壊した家屋の瓦礫の中で、身動きが取れない状況だったとしましょう。暗闇の中、周囲の状況すらまったくつかめません。しかし、GPS機能の付いた携帯がわたしの手にあって、だれかにわたしの所在が正確に知らされているとします。わたしは、「必ずだれかが助けにきてくれる」と信じ、不安と孤独の中にあっても、希望を持ち続けることができるはずです。

 わたしが一方的に知られているという状況。それが投資の勧誘電話であれば、不愉快このうえもありません。しかし自分が心細く迷っているときに、助けてくれるだれかがわたしを知ってくれているとなれば、「知られている」、そのことは、かけがえのない喜びと希望の根拠へと変わります。 Continue reading

8月21日 ≪聖霊降臨第12主日礼拝≫ 『涙のキッス』 ルカによる福音書7章36〜50節 井ノ森高詩 役員

 最近は録画したドラマや映画を2倍速、あるいは4倍速で手早く視聴する人が増えているそうです。限られた時間の中で手っ取り早くストーリーを把握するには便利な方法です。味気ないものだなと思いつつ、毎朝新聞を斜め読みする私と大して変わらないのかもしれません。しかし、世の中のニュースを素早く確認する新聞の斜め読みと、芸術作品である映画やドラマの倍速鑑賞はちょっと違うんじゃないの、と長年高校演劇に顧問として関わってきた私は言いたくなります。セリフがないときの役者の細かい演技や目線・表情、あるいはセリフとセリフの間の意味のある沈黙に込められた作り手の意図や狙いが、倍速鑑賞では味わってもらえません。

 聖書を斜め読みする人は多くはないかと思いますが、これまでに何度も読んだことのある個所は、「わかってる、わかってる」とついつい倍速鑑賞ならぬ倍速読みになってしまうことがあるかもしれません。今日はルカによる福音書7章の36節~50節を、慌てず焦らずじっくりと皆さんと読み直していきたいと思います。「罪深い女を赦す」という小見出しがつけられたこの個所とよく似た話がマタイ26章、マルコ14章、ヨハネ12章にも登場しますが、このルカによる福音書の7章とは別な話だということをご存知でしょうか。まず設定されている場所ですが、ルカの7章がガリラヤであるのに対し、他の3つの福音書ではいずれもベタニヤとなっています。登場人物も違います。ルカでは、ファリサイ派のシモンと一人の罪深い女、とありますが、マタイとマルコでは、らい病の人シモンと一人の女であり、ヨハネでは、ラザロとその姉妹マルタ・マリアです。他の3つの福音書では女性がイエス様の頭に油を注ぎますが、ルカでは頭ではなく足です。まとめるとこういうことになります。マタイ、マルコ、ヨハネがエルサレム近くのベタニヤにおいて十字架につけられる数日前のイエス様が頭に油を注がれ、その行為が埋葬の準備の暗示となっているのに対して、ルカは故郷のガリラヤ地方における宣教活動初期のエピソードを紹介しています。そして、足に塗られた油は罪深い女の悔い改めと愛の表現と捉えられています。
 
 余談ですが、ルカ7章のこの罪深い女の名前は一切語られていないにも関わらず、どういうわけか、マグダラのマリアで娼婦だったという誤解や思い込みがあるようです。直後の8章2節に「七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア」という記述があるせいかもしれません。マグダラのマリアはその後、イエス様が十字架で亡くなるのを遠くから見守った女性たちの一人として(マタイ27章)、またイエス様の復活を弟子たちに最初に知らせた婦人たちの一人として(ルカ24章)登場します。東方教会では聖人として扱われているようです。

 さて、ルカによる福音書7章の「罪深い女を赦す」に戻りましょう。私がもし、映画監督としてあるいは舞台の監督としてこの場面を演出するなら、ここにこだわりたいという個所を何点かご紹介したいと思います。
 まず38節です。女は「後ろから」「足元に近寄り」なんです。真正面から正対できるような立場にないという気持ちの表れでしょう、そして足もとに近づくためには、地を這うように頭を下げて少しずつゆっくりと移動したはずです。「泣きながら」の泣くはむせび泣く泣き方です。そのすすり泣く声、というか嗚咽はイエス様にも聞こえていたのではないでしょうか。彼女の頭部がようやくイエス様の足を覆ったかと思った次の瞬間、彼女の目から大粒の涙がこぼれ落ち、イエスの足の汚れを落とします。今のように道路が舗装されていたわけでもなく、現代のような靴を履いていたわけでもない当時の人々の足は当然土や泥で汚れていたはずです。涙で濡れたイエス様の足、タオルがあれば、足の汚れと水分を拭き取るところですが、彼女はなんと自分の髪の毛で、その汚れと涙をぬぐい、しまいには足にキッスしてしまうのです。そして香油でイエスの足を塗るのです。舞台で演じられているのだとすると、客席から彼女の表情を伺うことは、最前列の席からでも非常に困難です。従って、この女性を演じる役者さんには、地を這うような動きに加えて、イエス様に対する恐れ、悔い改めと赦して欲しいという必死さ、そして赦される喜びや安心感を全身で表現してもらいます。彼女にはなんせセリフがないのです。動きで表現するしかありません。少し飛びますが48節でイエス様は「あなたの罪は赦された」と宣言されますが、37節の段階で彼女がゆっくりと背後から近づいてきていることを、そして自分の涙で足の汚れを洗うだけでなく、その汚れを髪の毛で拭うという行為に出ることを見抜いておられたのではないでしょうか。この時すでにイエス様は彼女の罪をその信仰が故に赦されていたのではないでしょうか。普通、誰かが背後から近づいてきて、足に触ったら、誰だって驚いて顔の表情や体の動きでその驚きを表します。しかしイエス様が驚くこともなく、咎めることもなく、なされるがまま足の汚れを洗わせてくれたのです。この時点で彼女が「赦し」を実感したかどうかはわかりません。彼女は48節の「あなたの罪は赦された」という言葉で初めてイエス様による赦しを知ったのかもしれませんが、イエス様は38節の時点ですでに赦しをお与えになっていたのではないかと思うのです。

 ところで、今日の説教タイトルが、サザンオールスターズのヒット曲「涙のキッス」と同じであることにお気づきの方もおられるかと思います。偶然ではなく、わざとこのタイトルにしました。言葉の遊びです。しかし、サザンの「涙のキッス」は、忘れられない恋心や別れた相手へ未練を切々と歌います。私も好きですよ。サザンの「涙のキッス」。カラオケで歌ったこともあります。今日はやめておきます。というのも、ルカによる福音書7章の女性の「涙のキッス」とは状況に意味もまるで違うからです。

 次に39節以降のシモンさんを見ていきましょう。注目すべきは、シモンは言った、ではなく、思った、なのです。シモンを演じる役者さんにお願いしたいのは、この「思い」を表情で表現してもらうことです。罪深い女の接近や涙のキッスに対し咎めることも何もしないイエス様を見て「いったい、この先生は何を考えているのか」という驚き、困惑、ひょっとしたら落胆、拒絶、軽蔑が入り混じったような複雑な表情が求められます。これはかなりの力量が必要です。シモン役の役者には更なる課題が待ち受けています。金貸しが借金を帳消しにする譬えを聞いているときのシモンの反応もこれまた難しい。41節、42節の例え話を聞きて、イエス様からの問に「額の多いほうだと思います」と答える時、そして「そのとおりだ」と言われたとき、更に44節~47節のイエス様の言葉を聞くとき、シモン役に求められる、演じて欲しい気持ちは何でしょうか。驚きや困惑に加え、納得する気持ちや怒りもそこに同居するような複雑な思いを表す必要があります。

 イエス様を演じる役者さんは一番気の毒です。冷静さ、と言っても冷たさを感じさせない冷静さと安心感、すべての人に対する優しい眼差し、わかっていても罪に飲み込まれていく人類に対する悲しみ、そして赦しの心の広さ大きさを演じ切らなくてはいけません。44節から47節のシモンに向けられた言葉は字面を追うと厳しいものですが、語る役者は厳しさの中に温かさを感じさせなければなりません。古い映画ですが「ベンハー」をご存知の方は多いですよね。チャールトン・ヘストン主演の歴史巨編です。映画の中で何度かイエス様が登場する場面がありましたが、いずれも後ろ姿だけとか、足だけとか、顔は映りませんでした。イエス様の表情を映像化する難しさを製作者も監督も十分にわかっていたのではないかと思います。

 今日のお話の内容について、沖村先生とは何も打ち合わせをしていませんが、準備の過程で、先週14日の沖村先生の説教と、そして来週28日の信徒研修会と何らかの繋がりがあるように思えてきました。

 先週の説教は「扉は開いている」でした。もう一度37節に戻ってみましょう。シモンが軽蔑するこの女性は何故、するすると食事の部屋に入り、そして賓客であるイエス様の背後から接近することができたのでしょうか。現代のセキュリティから考えると大変不思議です。この家の家族は誰も彼女が家に入るのを止めなかったのです。その場にいたであろう弟子たちも、彼女のイエス様への背後からの接近を阻止しなかったのです。警護対象の背後の警備が重要であることは先月の事件でも注目を集めました。しかし、ここで聖書が言わんとしているのは、セキュリティの問題ではありません。悔い改めて罪の赦しを求めるひとをイエス様は拒まないということです。イエス様への扉は、救いへの扉は開いているよ、どうぞお入りなさい、というメッセージがこの37節から読み取れます。それから、彼女が涙でイエス様の足を濡らし、髪でぬぐって足にキッスをした時点でイエス様は彼女の罪を赦していたのでは、と先ほど申しましたが、これは洗礼の一つの型なのではないでしょうか。もし仮に彼女が世間で思われているようにマグダラのマリアだったとして、マリアがその後ずっとイエス様にその死や復活、昇天にいたるまで従って生きていったとするなら、この出会いは彼女の人生な大転換点であったわけです。福音書には、洗礼者ヨハネからイエス様自身が洗礼を受ける場面(マタイ3章)はあっても、弟子たちが洗礼を受けるという場面はありません。

 私事ですが、私の父は、1985年、私とほぼ同時期に教会に通い始めました。私は大学3年、東京で、父は58歳、当時平松牧師がいらした直方教会に田川から通いました。洗礼を受けることなく63歳で急死しました。洗礼は受けないままでした。しかし、亡くなる数か月前に東京在住のドイツ人宣教師ベックさんの家庭集会で「イエスキリストを救い主として受け入れます」と話していたらしいのです。父が亡くなった翌年、東京吉祥寺から家庭集会のために再び北九州にいらしたベック先生から直接その時の様子を聞いた私にとって、父はキリスト者です。大園先生にお願いしてキリスト教式の葬式でクリスチャンとして天国に見送ったことを今も正しい選択だったと思っています。来週の信徒研修会は洗礼について、洗礼式のあり方について改めて学ぶ予定です。私のこの解釈とどうつながるかは全くわかりませんが、ルカ7章の罪深い女は、現代の教会で行われる洗礼を受けていなくても、私はこの時点で洗礼を受けたキリスト者としての人生を歩み始めたのではないかと思えます。

 さて演出者などと偉そうなことを言って、演じる役者さんにあれやこれや注文をつけるという話をしてきましたが、もし私自身がこの7章の中の誰を演じるなら、と最後に考えてみました。答えは簡単です、ある時はシモンであり、ある時は49節の同席者たちの中の一人であり、またある時は罪深い女です。

 いや、ひょっとしたらいつも同時にこの3つの立場を持ちながら人生を歩んでいるのかもしれません。決まりを守らない、あのだらしない奴はけしからん、という言葉を発し、その非難を行動で表したかと思えば、あぁまたやっちゃった、と恐る恐る反省し、神様に赦しを請い、でも時には開き直って、そうは言ってもやってられんわ、と悪態をつき、の繰り返しです。出来ることならば、このルカ7章の女性のもっている謙虚さ、畏敬の念、そして何度でも赦してくださる神様に対する愛情を表現できる信仰生活を、イエス様の足の指先に涙のキッスをする信仰生活を送り続けたいものです。お祈りします。

8月7日 ≪聖霊降臨第10主日/平和聖日「家族」礼拝≫ 『共に苦しみ、共に喜ぶ』 ローマの信徒への手紙8章18〜25節 沖村裕史 牧師

≪説教≫(おとな向け)

■違和感

 ウクライナへのロシア軍の侵攻が始まって2か月が経った4月下旬、こんな報道が耳に飛び込んできました。「ロシアは侵攻以降、占領地域および親ロシア派支配地域の人々をロシアに強制移住させている。ウクライナ当局によると、その数は最大で50万人にのぼる」。これを聞いたとき、9年前の終戦記念日8月15日に、テレビ「奇跡体験!アンビリバボー」で放映された「収容所から来た遺書」というタイトルの番組のことを思い出しました。

 第二次世界大戦が終局を迎えようかという1945年、山本幡男(はたお)は一家で日本を離れ、中国東北区―満州にいました。終戦間近のこと、彼は兵舎にまで面会にやって来た妻モジミにそっと耳打ちをします。「日本は戦争に負けるだろう。子どもを連れ日本に帰るように」。そして「これからの時代、教育が子どもたちの一生の財産になる」と、こどもたちの教育を妻に託して戦地へと向っていきました。

 それから2か月後、日本は敗戦。妻は、夫と連絡がとれないまま、4人の子どもを抱えて何とか帰国を果たし、女手一つでなりふり構わず働きました。

 終戦から7年、安否のわからなかった夫から便りが届きます。そのハガキは、当時のソ連から送られてきたものでした。満州にいた多くの日本人兵士たちは、終戦後、ソ連の捕虜となり、収容所で強制労働を強いられていました。それでも妻は、元気そうな夫の言葉に胸をなで下ろしました。

 ところが、それから3年後のこと。夫が遠いシベリアの地で亡くなったという知らせが届きます。亡くなったシベリア抑留者は現地で埋められ、遺書や遺品も没収されるケースがほとんどでした。何も分からないまま、紙切れ一枚で知らされた夫の死。悲しみの中にうずくまるほかありませんでした。

 それからさらに1年半が経ったある日、突然、夫とシベリアで一緒だったという男が訪ねてきました。見知らぬ男が持って来たのは、亡くなった夫・山本幡男の遺書だと言います。内容は確かに、夫が書いたものに間違いなさそうでした。がしかし、妻にとってその遺書はあまりに違和感のあるものでした。その筆跡が夫の字とは明らかに異なっていたからです。

 

■句会

 ハバロフスクに『ラーゲリ』と呼ばれる強制収容所が立ち並んでいました。冬には雪が吹きつけ、気温がマイナス30度にも及ぶ極寒の地での、1日10時間を超える重労働。しかも、朝夕の食事はわずかなお粥と粗末な黒パンが一切れ支給されるだけ。そんな地獄のような生活を、およそ60万人もの日本人が強いられていました。抑留期間中の死亡者数は6万人を超えると言われていますが、その内の80%の人が1945年から1946年にかけての最初の二年の間に亡くなっています。

 終戦から4年後、ソ連政府は「捕虜全員の帰国を完了した」と公式に発表しましたが、ハバロフスクの収容所には、まだ多くの日本人が残されていました。「ソ連に忠誠を誓えば、帰国できる」、そんな根も葉もないウワサも流れ、日本人同士の密告、裏切りも日常茶飯事。彼らの脳裏には『絶望』の二文字以外、何もありませんでした。

 野島信介も、そんな地獄に送られた一人でした。彼はハバロフスクに移送された直後、知り合いの折田から手製の本を渡されます。著者は、山本北瞑子。収容所内では、日本語のメモ書きを持っているだけで重大なスパイ行為とみなされ、独房に監禁され、いのちを落とす人も少なくありません。そんな中、手製の本を発行することなど、自殺行為に思われました。野島は恐怖心から本を読むことができませんでした。

 ある夜、野島は山本に声をかけられます。山本北瞑子とは、山本幡男のペンネームでした。山本は野島を俳句の句会に誘います。野島は、なぜそんな危険なことをしているのか、と山本に尋ねます。山本の答えは「みんなでダモイ(帰国)した時、日本語を忘れてたら、かっこ悪いでしょ」というものでした。帰国できると本気で思っているのか、野島は驚き、あきれました。

 数日後、野島が句会の様子をのぞき見ると、そこには、見たこともないような光景がありました。山本を中心に、集まった面々が仲良く笑い合っているのです。当然見つかれば、ただでは済みません。山本は、なぜ危険を冒してまで句会を開くのか。なぜ、あんなに嬉しそうにできるのか。野島は山本の本を読んでみることにしました。その本には、「故郷への想い」が切々と綴られていました。終わりの見えない、過酷な収容所生活の中で、野島は空を見上げることなど一度もありませんでした。ただ絶望していたのです。山本の本を読んで、初めて空を見上げる気持ちになりました。

 山本の本を渡してくれた折田は、希望を持つことが大切なのだ、と野島に言います。訝しがる野島に折田は、「まあ、そのうちわかりますよ、あの人に毎日、ダモイ、ダモイって耳元で言われたら…」と呟きます。地獄を見て来た野島は、それでもまだ、山本の言う夢のような話を信じる気にはなれませんでした。

 

■遺書

 そんなある日、彼らの運命を変える出来事が起こります。1953年3月、ソ連の最高指導者スターリンが死去。国家体制がにわかに大きく変化し始めました。それから3か月後、戦犯として収容されていた長期抑留者が日本に送還されることになりました。ところが、帰国が許された者は全体のおよそ半数にしか過ぎません。それでも、山本は希望を捨てず、残ったメンバーを励まし続けました。

 しかしこの時、山本の身体に異変が起きていました。当初、中耳炎かと思われた病状がどんどん悪化。検査の結果、末期の咽頭癌だと判明します。すでに手遅れでした。

 このままでは、大切な家族に何も伝えられないまま、山本は死んでしまう。句会のメンバーは、山本に遺書を書いてもらおうと決意。「万一の時のため、ご家族に伝えたいことがあれば、書いてください」と一冊のノートを渡します。そのとき、山本は何も答えませんでした。翌朝、彼が仲間たちに返したノートには、気力を振り絞って綴られた家族に向けた切々たる思いが、15ページにもわたって記されていました。遺書を書いてからわずか2週間後、山本は45歳という若さで、この世を去りました。

 句会のメンバーたちは、「山本の思いを必ず日本に届けよう」と決意します。しかし、収容所内では頻繁に抜き打ち検査が行われ、遺書の安全な隠し場所などどこにもありません。その時のことです。あの野島が、みんなで分担して全て記憶しようと提案。そして自分もまたそれに参加したいと申し出ます。

 それぞれが、山本の4つに分かれた15ページにもわたる遺書を書き写し、自分が担当した部分を一言一句、全て暗記する。それは危険な賭けでした。もし、遺書の写しが発見されたが最後、スパイ行為を働いたとして、一生帰国できなくなる恐れがあったからです。それでも、彼らは信頼できる人間に秘密を打ち明け、作戦への協力を頼みます。全ては、絶対に遺書を日本に届けなければならない、という思いからでした。半年が過ぎ、1年が過ぎました。いのちがけの闘いでした。すでにシベリアに連行されて10年あまりが経っていました。 Continue reading

7月31日 ≪聖霊降臨第9主日礼拝≫ 『目を覚まして、待っていなさい』 マタイによる福音書24章36〜51節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■未来と将来

 京都学派の一人であり、信濃町教会の教会員であった宗教哲学者、波多野精一の『全集』の中に『時と永遠』という一文があります。愛する妻を亡くした悲しみの中に書かれたものだと言われています。

 その中で、波多野は「未来」と「将来」に触れ、その二つが決して同じではない、と語ります。「未来」とは、その字のごとく「未だ来ていない時」であって、時が過去から現在を経て未来へと至る、一方向への流れとしての時間がイメージされている、と言います。当然、未来はいつでも、時がこちらから向こうへと、今の自分から遠ざかるように流れ去っていく、その先にあるものです。それに対して「将来」とは、文字通り「将(まさ)に来たらんとする時」のことであって、時の流れは、未来とは正反対にあちらからこちらへ向かって流れてきます。将来はあちらからわたしたちの現在に向かって到来する、もたらされる時です。

 わたしたちは今、「小黙示録」と言われる、世の終わり、最後の審判の時、キリスト再臨の時をめぐる24章の言葉をご一緒に味わっていますが、実は、ここに語られている一連のイエスさまの言葉は、波多野の言葉を借りれば、自分とは何のかかわりなく流れ去っていく「未来」のことではなくて、今のわたしたちのところに向って到来する「将来」のこととして語られています。

 シリア地方の教会で何がしかの責任を担っていたマタイは、この教会のために何をなすべきか、この教会に何を語るべきかと案じつつ、23章まで書き進んできたに違いありません。24章を前に、マルコによる福音書と手元にあった様々な資料を前にして、マタイはこう考えていたかもしれません。

 「人の子」の到来としての終末のことを書かなければならないだろう。どのように書くべきか。イエスさまの十字架と復活の後、すぐにやって来ると思っていた「終末」の時は、明らかに遅れている。そのため、教会の人々から緊張感は薄れ、みんな自分勝手に生きているようにさえ見える。どうしても終末のことは伝えておかなければならない。でも、終末の到来を強調するだけでは、教会の人々の心には響かないだろう。そうだ、いつの日か分からない終末の時を語りながら、しかしそれを待ち望むこと、それにふさわしい信仰者としての生き方についてこそ書き記そう。事実、それこそがイエスさまの言われていたことではなかったか、と。

 

■日々の生活の中で

 直前35節、イエスさまははっきりと「天地は滅びる」と言われました。「天地」の中に、被造物のすべてが含まれます。わたしたちも、です。でもこのことが、自分たちが滅びる、死ぬということを受け止めることがなかなかできません。

 そこで、イエスさまは創世記のノアの出来事について語られます。ノアは隠れて箱舟を作ったのではありません。洪水が起こると声を大にして人々に訴え、森のど真ん中、人々の目の前で箱舟作りに精を出しました。しかし、人々は聞いても聞かず、見ても見ませんでした。ノアと人々との違いはどこにあったのでしょうか。神の言葉に対する姿勢の違いにあったのだと言う外ありません。神の言葉、それが警告であれ、約束であれ、そうした神が語られた言葉を額面通り受けるのか、それとも割り引いて聞こうとするのか、そうした神の言葉への姿勢に違いがあったのでしょう。

 しかしイエスさまは今、そのことを責めておられるのではありません。ましてや「食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしている」ことがいけないと脅しておられるのでもありません。そうではなく、「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである」と言われます。その日、その時は、父だけがご存じで、それ以外の者は、たとえ天使であっても、また子であるわたしであっても知らない、ただあなたがたの「父なる神」だけが、と言われます。

 思い出してください。「祈ることを教えてください」と求める弟子たちに、イエスさまは「天におられるわたしたちの父よ」と祈るように教えてくださいました。神を「父」と呼ぶことなど普通はあり得ないことでした。しかしイエスさまは、神を「父」と呼ぶように教えられました。しかも、実際に使われたその言葉は「アッバ」という、とっても砕けた呼び方でした。「お父さん/お父ちゃん」です。イエスさまは、そのアッバ父に、「日ごとの糧を今日、与えてください」と祈るよう教えられました。わたしの分だけ、あるいはわたしの家族だけの糧ではありません。わたしたちすべての者に「日ごとの糧」をお与えください、です。

 そうです。「食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしている」ことがいけないどころか、飲み食いする物を求めるようにと教えておられるのが、他ならぬイエスさまご自身なのです。ですから、飲み食いに意味がないと言われているはずはありません。飲み食いはとても大切です。めとること、嫁ぐことも大事です。ただ、その大切な日々の生活の中でも、いえ、その日々の生活の中でこそ、終わりの日が来ること、またわたしたち自身に、土は土に、塵は塵に帰る時が来ることを忘れないように、と教えておられるのです。

 

■ちょっとそこまで

 終末は、確かにいつ来るか分からない将来のことですが、と同時に、今のわたしたちの生活の只中にもたらされるものです。そのことをルカはこう言い換えます。

 「実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」(17:21)

 では、わたしたちの生活の只中にもたらされる神の国、終末とは終末とは何でしょうか。

 それは、人の死であるかも知れません。また、一日の終りの時であり、別れの時、終了の時、喪失の時かも知れません。はたまた、木々が葉を落とす時、一粒の麦が地に落ちる時、鮭が川に上りその一生を終える時も、わたしたちが目にする終末の時と言えるかも知れません。それら小さな「終末」のすべてが、誰もその日その時を知らない、あの大きな終末、人の子が到来する終末を指し示しているのではないでしょうか。

 わたしたちは終末を生きているのです。イエスさまは、大きな終末の日がいつ来るかについて、エホバの証人や旧統一教会のように、あたかもそれを知っているかのようにふるまい、人々を惑わすのではなく、今ここを、終末に備えてどう生きるのかを、わたしたちに問いかけ、教えておられるのです。

 ヨハネによる福音書16章12節から24節の言葉が思い出されます。

 「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくするとわたしを見るようになる」 Continue reading

7月17日 ≪聖霊降臨第7主日礼拝≫ 『滅びないもの』 マタイによる福音書24章32〜35節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■いちじくの木から

 「いちじくの木から教えを学びなさい」

 「教え」という言葉は、「譬え」と訳すべき言葉です。ただ、これが何を譬えているのかはっきりとしないので、新共同訳聖書はこれを「教え」と意訳しています。「いちじくの木から譬えを学びなさい」。いちじくの木を譬えとして、そこから学びなさい。「終わりの時」について語り続ける中、イエスさまが今、改めてそう語り始められます。

 いちじくの木は、当時のパレスチナではごくありふれた、どこにでもある木でした。その意味で申し上げれば、ルカによる福音書に「いちじくの木や、ほかのすべての木を見なさい」(21:29)とあるように、わたしたちの身近にある木を、例えば、桜の木を思い浮かべてもよいのかも知れません。

 考えてみれば、桜というのはとても面白い木です。花が咲いている時、花見の頃には、葉は一枚もありません。緑が全くない枝に、あの淡い桃色の花が一面に咲き誇ります。そしてその花が散ると、瞬く間に緑の葉が茂り、いわゆる葉桜になります。その葉が秋になると散り、冬場は枝だけの冬枯れの姿になります。そのように木の様が劇的に変わっていくことに、わたしたちは四季折々の風情を感じます。

 イエスさまもここで、いちじくの木の様子が季節によって変わっていく様を思い浮かべておられるのでしょう。それを譬えとして学びなさいとは、移り変わっていくその木の姿から、今がどのような時なのかを知れ、ということでしょう。32節の続き、

 「枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近いことが分かる」

 この「枝」は、「若芽」とも「冬芽」とも訳すことのできる言葉です。直前19節から20節に、「それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。 逃げるのが冬や安息日にならないように、祈りなさい」とありました。

 時は冬です。苦しみがその冬に起こらないように祈りなさい、とイエスさまは言われます。ユダヤの冬は雨の季節です。冷たい雨が降れば、心細く、勇気も失せます。そんな寒い雨の季節にこそ、わたしたちは春を待ち、夏を待ち望みます。ユダヤの春はとても短く、ある書物によれば、春はたったひと晩、一夜が過ぎると、もう春ではなく夏になっているほどに春は短い、と書いてあります。

 あっという間に春を通り越して、夏が近づいたことがわかる。冬の到来に備えて若い芽が吹き出て、緑の葉が幹を隠すように茂ると、夏の到来が、いちじくの木が実る時の近いことが分かる。桜にあてはめれば、葉桜を見れば、もうじき夏が来ることが分かるのだ、ということです。

 

■終わりの時は「今」

 だから、いちじくの葉から夏の接近を知るように、「これらすべてのこと」を見たら、「人の子が戸口に近づいている」ことを悟りなさい、と言われます。

 「これらすべてのことが起こるのを見たら」の「これらすべてのこと」とは何でしょうか。直前5節以下に記されていたことです。戦争やそのうわさ、民と民、国と国の敵対、地震や飢饉などの天変地異、また信仰のゆえの迫害、あるいは偽の救い主の出現といった、様々な苦しみのことです。人の子がもう一度来られる前には、そのような苦しみが起る。それが次第に頂点に達していき、天地創造の初めから今までなく、今後も決してないほどの苦難が襲って来る。そのことです。

 しかし、ここで注意しなければなりません。「これらのことが起こるのを見たら」とは、「将来」そのような苦難が襲って来たら、ということではありません。この福音書が書かれ、読まれた当時の教会の信徒たちはすでに、これらの苦しみの中にいました。「これらすべてのこと」が、彼らにとって将来のことではなく、「今」直面し体験していることでした。そしてわたしたちもまた、彼らとは違った仕方で、やはり「今」直面し、体験していることです。ウクライナを始め、戦争やそのうわさは今も絶えることがありません。民は民に、国は国に敵対するような事態もまた、わたしたちの周囲に多々起こっています。大きな地震や津波によって、ある日突然、すべてを失うということも起こっていますし、「同調圧力」や「忖度」や「炎上」など、自由にものを言うことが憚られるようなムードが強くなっています。香港やミャンマーでは現実、多くの市民が自由を奪われ、迫害を受けています。

 「終わりの時」、「人の子が戸口に近づいている」ことを悟るべき時は、いつかではなく、「今」なのです。教会の歴史の中には、旧統一協会やモルモン教のように、何年何月何日にこの世が終わると言う人が繰り返し現れました。しかし初代教会以来、わたしたちはいつも、「人の子が戸口に近づいている」ことを、つまりこの世の終わりが、神の国―神による救いの完成が、すでに始まっていることを意識しながら歩んできました。

 「人の子が戸口に近づいている」という言葉は、その戸口に立っているイエスさまご自身を指し示す言葉です。イエスさまが再び、扉を開いて入って来られたなら、地上に恐るべき破滅がもたらされ、もはや人の力では如何ともしがたい、まるで闇の中にいるようなわたしたちの現実に、この世界に、パッと光が差し込むようにして、神の救いが満ち溢れるのです。夏を迎えたいちじくの木が実を豊かに稔らせるように、です。そのときに備えて、「今」を生きなさい、イエスさまはそう教えられます。

 

■今日、リンゴの木の苗を植える

 では、どのように生きることが、世の終りに備えて生きることになるのか。マルティン・ルターが語ったとされる印象的な言葉があります。

 「たとえ明日この世が終わるとしても、わたしは今日、リンゴの木の苗を植える」

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7月3日 ≪聖霊降臨第5主日礼拝≫ 『あなたを選んでくださる』 マタイによる福音書24章15〜31節 沖村裕史 牧師

■今なお終わりのとき

 「世の終わり」と聞く時、誰もが知りたくなるのは、「それは一体、いつ来るのか」ということでしょう。弟子たちもそうでした。この質問に、イエスさまは様々な徴について語られました。戦争の騒ぎやその噂、飢饉や地震などの自然災害。教会への迫害、教会内部での争い。今朝の箇所の、大きな苦難や偽メシア/偽預言者の出現などです。ただ、最終的には弟子たちの質問に対してイエスさまは「知らない」と答えておられます。「その日、その時は、だれも知らない。…ただ、父だけがご存じである」(36節)と言われます。

 確かに、イエスさまがいつ戻って来られるのか分かりません。分からなくて当然。それは神様の領域に属することだからです。それでも確かなことは、そのときにこそイエスさまが再び来てくださる、そしてイエスさまをお送りくださるお方は慈しみ深い父なる神だ、ということです。だから信頼して、「目を覚ましていなさい」とイエスさまは諭されます。

 そして21世紀に生きるわたしたちも、今なお「世の終わり/終末」に生きています。終わりの苦しみを今、当時の教会の人々とは別の形で体験しています。戦争の騒ぎや戦争のうわさは、今ひときわ高まっています。集団的自衛権の行使容認が閣議決定されました。戦後の日本が日本国憲法の下で歩んできた基本的な姿勢が大きく変更され、いつ戦争に巻き込まれてもおかしくないという不安を多くの人々が抱いています。「民は民に、国は国に敵対」することも、ウクライナを始めとする世界各地で起り、核兵器使用のリスクはむしろ増大し、この国も周囲の諸国との間にそういう難しい問題をかかえています。大地震が起り、聖書の時代の人々が知らなかった原発事故による放射能被害に今も苦しんでいます。食糧の問題も、飢饉やコロナウィルスさえもが外交的な駆け引きの手段となるような時代になりました。また、信仰ゆえにあからさまに迫害を受けるということはありませんが、政治家が、批判的な報道機関は経済的に締め上げをすればよいとか、「平和憲法を守ろう」と叫ぶ青年を「利己的だ」と批判するなど、次第に自由にものが言えない社会になってきていると感じます。この福音書が書かれた時代に教会の人々が感じていた苦しみは、いつの時代にもあり、今のわたしたちにもあるのです。

 それら苦しみはしかし、世の終わりが、何よりも神の国の到来が今、もうすでに始まっていることの徴です。世の終わり、神の国の完成がいつなのかは誰も知ることができません。だから、これらの苦しみが襲って来た時に「もうこの世も終わりだ」と慌てふためいてはならない、むしろ「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」とイエスさまは教えられました。それは、イエス・キリストの愛の御手の中で、わたしたちも耐えて、しっかりと立ち続けて生きることができる、希望に向かって生きることができるのだ、という「幸い」の宣言でした。

 

■逃げなさい

 そんな幸いを宣言されたイエスさまが、今ここで、世の終わりに「憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つ」ことによって、「世界の初めから今までなく、今後も決してないほどの大きな苦難が来る」その時には、16節、「逃げなさい」と教えられます。

 わたしたちはこれまでずっと、「逃げてはだめだ」、「逃げたらアカン」と教えられ、育てられてきました。ところが、イエスさまは今、「逃げなさい」と言われます。17節、18節でも、家に何かを取りに戻ることなく、一目散に逃げなさいと教えられています。19節、20節には、そのように急いで必死に逃げていく時に、身重の女性や乳飲み子を持つ女性は不幸だ、そのことが寒さ厳しい冬に起るなら、ますます大きな苦しみとなるだろう、と言われます。

 雪降る3月11日、恐ろしい大津波に襲われた東日本大震災では、まさにこの通りのことが起りました。それに加えて、目に見えない放射能からも逃げなければならず、身重の女性や乳飲み子を持つ女性たちは、まさに最も深い恐怖に慄(おのの)かなければなりませんでした。いつも弱い者こそが最も大きな苦難に見舞われる、そういう苦しみが11年経った今も続いていることを、わたしたちは覚え続けなければなりません。

 そうした世の終わりとも思える大きな苦しみに際して、とにもかくにも「逃げなさい」と教えられています。それは、直前13節の、「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」という教えと矛盾しているように思われるかもしれません。苦しみを耐え忍ぶとは、逃げずに踏み止まり、苦しみと戦っていくことではないのか、苦しみに背を向けて逃げろという教えと、苦しみを耐え忍べという教えは相入れないのではないかと思えます。

 しかし、そうではありません。ここで、逃げなさいというのは、自分の力で最後まで戦おうとするな、ということです。自分の力で苦しみと戦って勝利しなければ、神様の救いにあずかることができないなどということはありません。それは「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」という教えと矛盾することではありません。むしろそこにこそ、わたしたちへの神様の大きな愛と恵みが示されています。

 人生には様々な苦しみが伴います。その歩みは苦しみとの戦いの連続であり、そこには忍耐が必要です。耐え忍ぶことなしに、生きることはできません。けれども、その苦しみの中でわたしたちが忍耐することによって、救いがもたらされるというのではありません。わたしたちが苦しみと戦って、勝利して、救いを獲得するのではないのです。そんなことなど、わたしたちにはできません。たとえ今、苦しみの始まりに、ある程度忍耐して持ちこたえることができているとしても、その苦しみは世の終わりに向かってエスカレートしていくのです。その苦しみの頂点では、わたしたちは逃げるしかないのです。「世界の初めから今までなく、今後も決してないほどの大きな苦難が来る」のですから、その苦しみに打ち勝つことはわたしたちにはできません。逃げてよいのです。いえ、逃げるしかないのです。

 

■神の選び

 では、逃げるしかないわたしたちの救いは、どこにあるのでしょうか。22節にこうあります。

 「神がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。しかし、神は選ばれた人たちのために、その期間を縮めてくださるであろう」

 苦しみに打ち勝つことはできない、逃げるしかない、このままでは誰ひとり救われることのない、そんなわたしたちのために、神様が苦しみの期間を縮めてくださり、神様の愛と恵みによってわたしたちを救ってくださるのです。

 そのことは、「神は選ばれた人たちのために、その期間を縮めてくださるであろう」というところにも示されます。神様が苦しみの期間を縮めてくださったのは、ご自分のものとして選んでくださった人々のためだったのです。わたしたちの救いは、神様の選びによるのだということです。

 ただ、この「神の選び」という教えは、間違って受け取られやすいものです。例えば、自分は神様に選ばれているのだと誇って他の人を見下したり、逆に、自分は選ばれていないのではないかと不安になったり、あの人は選ばれているのか、この人はどうかと詮索したり…ということはすべて、「神の選び」の教えを間違って捉えていることから起ることです。

 神の選びの教えが語っていることは、ただ一つ。

 わたしたちは、自分の力や努力や忍耐によって救いを獲得するのではなく、ただ神様の愛と恵みによって救われるのだ、ということです。その救いにあずかった人は、自分の中には救われるべき理由は何もない、自分が他の人よりも立派だったり、信仰が深かったりすることはないし、忍耐強いわけでもない、それこそ逃げることしかできない者だ、ということを知っています。そういう自分が救われたのは、神様が自分を愛と恵みによって選んでくださったからとしか言いようがない、と感じているのです。それが、神の選びの教えです。

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6月19日 ≪聖霊降臨第3主日礼拝≫ 『愛という名の…』 マタイによる福音書23章25〜39節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■外と内

 23章から25章は、十字架の受難を目前にしたイエスさまの教え、「遺言」のようなものです。その冒頭23章に繰り返される言葉が、「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたちは不幸だ」という言葉でした。「不幸だ」、ウーアイという呻くような嘆きの言葉が今日も繰り返されます。25節から26節、

 「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。ものの見えないファリサイ派の人々、まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる」

 ここで問題になっているのは、衛生上のことではなく、どのような器が宗教的な意味で汚れており、どのようなものが清いのかということです。ファリサイ派の人々にとってそれは、あくまでも器の外側に関わるものでした。それら清い器の中に入れられるものが、たとえ、悪辣な手段で手に入れたものであっても、あるいは、自分の貪欲な欲望を満たすためのものであったとしても、器そのものが汚れていなければ、何の問題にもなりません。律法学者、ファリサイ派の人々にとって大切なのは、人の目にどう映るか、外面でした。

 しかしイエスさまは、「外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦に満ちている…内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる」と言われます。

 さらに続きます。27節から28節、

 「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。このようなあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている」

 当時は土葬でした。墓の中で遺体は腐敗します。死体は不浄とされていたので、仮に墓に触れたり、足が付いたりすれば、その人の体も汚れると考えられていました。そこで、ユダヤの人々は、過越の祭のときなど大勢の人々がエルサレムにやって来るとき、誤って墓に触れて汚れることのないよう、その時期、路傍の墓をみな白く塗りました。春の日の光を受けて白く輝く墓は、当時の美しい風物の一つであったとさえ言われます。がしかし、その美しさとは裏腹に、内は死体や骨に満ちていました。そんな墓の有様とユダヤ教の指導者たちの姿が似ている、とイエスさまは言われます。

 イエスさまは今、外面を重んじて内面を問うことをしない、偽善を問題にしておられます。どんなに外面の形式や装いを整えたとしても、内面がそれとは裏腹に「強欲と放縦で満ちている」、見せかけだけのものであることを手厳しく批判しておられるのです。

 そうした外面へのこだわりは、外面によって内面をごまかすことができるという思いから生まれてくるものです。それは、内面を何もかもすべてご存じのお方、神の目を些かも意識せずに、日々を過ごしているということに他なりません。神の目は内面をことごとく明らかにします。その内面が、「強欲と放縦で満ち」、「死者の骨やあらゆる汚れで満ちている」と言われます。他人事ではありません。生ける神の目を畏れる日々がどれほど厳しいものであることか、そう思わずにはおれません。しかしそのことはまた、外面によってしか人を判断しない世間の目が、たとえ、わたしをどれほど悪意に満ちて判断し、誤解することがあったとしても、内面のすべてをご存じの神の目はわたしを正しく理解し、わたしを一切の誤解から守ってくださるのですから、生ける神の目こそが実は、慰めに満ちた確かな歩みを、わたしたちに約束するものであることを忘れてはならないでしょう。

 

■黒い罪の血

 そして最後、七つ目の嘆きの言葉が語られます。29節から30節、

 「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりしているからだ。そして、『もし先祖の時代に生きていても、預言者の血を流す側にはつかなかったであろう』などと言う」

 死んだ預言者の墓を建てたり、正しい人たちの記念碑を飾り立てたりすることを、イエスさまはなぜ非難されるのか。むしろ、よいことではないのでしょうか。たとえば、預言者イザヤは鋸(のこぎり)でひかれて死んだと言われ、エレミヤは石打ちにされたと伝えられています。彼らがその墓を建てたり、記念碑を飾り立てたりするのは、その償(つぐな)いのためでした。償いの礼拝堂と呼ばれて聖者崇拝が行われることもあったようです。ヘブライ人への手紙11章32節以下に、「他の人にあざけられ、鞭打たれ、鎖につながれ、投獄され…石で打ち殺され、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊の皮や山羊の皮を着て放浪し、暮らしに事欠き、苦しめられ、虐待され、荒れ野、山、岩穴、地の割れ目をさまよい歩く」経験をした、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル、また預言者たちのことが語られています。彼らが、先祖の犯した罪の償いとして墓を建て、記念碑を飾り立てるとは、実に感心なことだ、と人々の目には写ったはずです。

 しかしイエスさまは、彼らが墓を建て、記念碑をつくって、「もしも、(わたしたちが)先祖たちの時代に生きていたら、殺人者の側、罪なき人の血を流す側にはつかなかっただろう」と自慢している、そこに彼らの偽善が露わになっている、と言われます。

 この言葉は十字架の死の直前に語られたものです。「殺人者の側、罪なき人の血を流す側にはつかなかっただろう」と嘯(うそぶ)く彼らが、今まさに、罪のない正しい人、預言者中の預言者であったイエス・キリストを十字架につけて殺そうとしています。その偽善が、彼らがあの祖先の子孫であることを証明している。彼らの中には、預言者を殺した先祖の黒い罪の血が流れている、とイエスさまは言われます。

 イエスさまの告発と嘆きは頂点に達します。32節から33節、

 「先祖が始めた悪事の仕上げをしたらどうだ。蛇よ、蝮の子らよ、どうしてあなたたちは地獄の罰を免れることができようか」

 

■わたしたちもまた

 しかしこれほどまでに、十字架を目前にイエスさまが「不幸だ」と激しい言葉を語り、さらに締め括りとして34節から38節の言葉を語られるのは、ただ律法学者やファリサイ派の人々を批難し、裁くためではありません。そうではなく、幸いと災い、いのちと滅びの決断をなおも迫り、悔い改めを期待しておられたからです。35節から36節、 Continue reading

6月12日 ≪聖霊降臨第2主日/こどもの日・花の日「家族」礼拝≫『いっしょに!』 『一緒に喜びなさい』フィリピの信徒への手紙2章12〜18節 沖村裕史 牧師

お話し【こども・おとな】『いっしょに!』

 5月のある日、ひとりの男の子が生まれました。予定より三ヶ月も早く生れたその子は、他の赤ちゃんの半分にもならない944グラム、両手の中に入ってしまいそうなほどの、小さな、小さな赤ちゃんでした。お医者さんはおかあさんに言いました、「いのちがもつか、まず三日ほど待ってください」。保育器の中で、サランラップを巻かれ、管を何本もつけられた、今にも消えてなくなってしまいそうな小さないのち。でも生まれて三日、その小さな心臓は動き続けました。それが凛太郎くんでした。

 凛太郎くんは、体が小さくて、弱かったので、何年も病院に行かなければなりませんでした。頭を強く打つと危険だから注意するように、命取りになるから風邪やインフルエンザには気をつけてください、お医者さんからそう言われながらも、凛太郎くんは四歳になりました。

 教会の幼稚園に入った凛太郎くん。優しい先生たちに見守られて、幸せな二年間を過ごしました。その頃、凛太郎くんはテレビや絵本で俳句という詩があることを知りました。誰が教えたわけでもないのに、気づけば凛太郎くんは、五・七・五の十七文字で詩をつくるようになりました。凛太郎くんの口から次々と溢れだす十七文字を、おかあさんとおばあちゃんは驚きながら、うれし涙を流しながら、ノートに書き留めていきました。

 さて、幼稚園を卒園する頃には、凛太郎くんの体もようやくみんなとおなじくらいにまで大きくなりましたが、足や腕の力は弱いままで、目も悪かったため、交通事故にあわないようにと家族と一緒に学校に行くことになりました。ランドセルを背負う凛太郎くんの後姿を見て、おかあさんは、ここまで育ってくれたことを喜び、神様に感謝をしました。

 ところが、学校で思わぬ目にあうことになります。いじめです。

 凛太郎くんは足が弱かったで、ぎごちない歩き方でした。バランスを取るため、両手をひらひらとさせながら歩くのを、「オバケみたい」とからかう子どもがいました。それからというもの、朝、学校に行くと、「凛がきたあ!」と友だちが教室の戸を閉めて、中に入れてもらえません。ようやく入れてもらえたところで、寄ってたかって、手でつついたり、足をひっかけたり、腕を雑巾を絞るようにして後ろからねじ上げたりして、凛太郎くんがこけたり、泣いたりするのを笑うのです。「凛ちゃん、いじめられて毎日泣いてる。見てられへん」と女の子がある日、おかあさんにそっと教えてくれました。

 入学して一週間目。突然、後ろから突き飛ばされて顔を強く打ち、目が開けられないほどに腫れました。迎えに行って驚いたおかあさんに、担任の先生は、「一人でこけました」と言います。凛太郎くんは勇気を振り絞って言いました、「違うよ、後ろから誰かに突き飛ばされたんや。あんまり痛かったから起き上がれずにいたら、誰かは分からへんけど、女の子が職員室に先生を呼びに言ってくれたんや」。でも、担任の先生は何もなかったことにしました。

 そんなことが何度も続きました。

 おかあさんと一緒にお風呂に入った時、お腹に大きく真っ青な跡を見つけて、おかあさんは悲鳴をあげました。もう少し上なら腎臓。腎臓の弱い凛太郎くんにとっては、いのちの危険があるところです。「どうしたん?」とおかあさんが尋ねます。すると「男の子に突き飛ばされて椅子の角で腰を打った」と凛太郎くん。そのことを、すぐに担任の先生に伝えましたが、「その男の子は自分ではないと言っています。周りの子にも聞きましたが、誰かやったのか分かりません」。

 心配でたまらなくなったおばあちゃんが、ある日、担任の先生とお話をすることになりました。でも、先生はただ黙って下を向いて、おばあちゃんの話を聞くだけ。三十分も経った頃、担任の先生はようやく顔を上げ、初めておばあちゃんと目を合わせ、こう言いました。「凛太郎さんも鉛筆を落としたり、時間割を教えてもらったり、周りに迷惑かけてます」。

 それからしばらくたった日曜日の夜、凛太郎くんが初めておかあさんに訴えました。「僕、学校に行きたくない。友だちが僕の顔を見るたびに空手チョップするねん。僕、机の下に隠れるねん」。心配をかけまいと、決して弱音を言わなかった凛太郎くんの初めての訴えでした。おかあさんとおばあちゃんは、いっしょうけんめいに学校にお願いをしました。でも、光が見えないまま一学期が終わりました。そして二学期に入っても、何も変わりませんでした。

 「先生は、僕がいじめられてる言うても、“してない、してない”言うて、全然言うこと聞いてくれへん」。二年生の秋を迎える頃、凛太郎くんは学校に行かないことにしました。その時、凛太郎くんはほっとした顔をして、まじめな顔でこうつぶやきました。「学校って残酷なところやなあ」。

 その後も、いじめは続きました。友だちの体がさらに大きくなる連れて、小さいままの凛太郎くんへのいじめはますますひどくなっていました。「もう、学校をやめる」。そう凛太郎くんが宣言したのは五年生の時のことでした。

 見るのも嫌になった学校でしたが、凛太郎くんが「一番好き」という友だちがいました。同じクラスのヒロシくんです。祭りの日、凛太郎くんとおかあさんとおばあちゃんと三人で見物に行った時のことです。はっぴ姿で、綱を持って走る子どもたちの中から「凛ちゃん!」という声が聞こえてきます。見るとヒロシくんです。ヒロシくんはおみこしから離れて、見物している凛太郎くんのそばに駆け寄って来て、声をかけてくれました。

 「凛ちゃん、また、学校に来て。いっしょに遊ぼう!」

 「いっしょに」という言葉に胸が熱くなりました。おばあちゃんはヒロシくんを抱きしめていました。(『ランドセル俳人の五・七・五』小林凛、ブックマン社より)

 「いっしょに!」

 いい言葉ですね。今日は、こどもの日・花の日のお礼拝です。みんなの前に、お花がいっぱいに飾ってあります。このたくさんの花には、いろんな色や形があって、ひとつとして同じものはないけれど、どれもみんなきれいです。いえ、違っているからこそ、とてもきれいだとは思いませんか。神様がそうしてくださったのです。だから、みんなも違っていいのです。違っているからこそ、みんな素敵なのです。神様が、イエスさまがどんなときにも、いつも「いっしょに」いてくださいます。だから、みんなも違っているままに、「いっしょに」仲良く遊んでほしい、心からそう思います。

 

説教【おとな】「一緒に喜びなさい」

■苦難の時 Continue reading

6月5日 ≪聖霊降臨第1主日/ペンテコステ礼拝≫ 『喜びで満たしてくださる』使徒言行録2章14〜28節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■嘲笑の中で

 春の桜や秋の紅葉が風に吹かれて、その花びらや葉っぱが一斉に踊るようにして舞うのを見ると、うっとりとします。夏、汗をいっぱいかきながら、自転車をこげば、顔に当たる風が暑さを吹き飛ばしてくれます。白い雪を運んでくる冬の風はとても冷たいけれど、身も心も引き締まるようです。

 誰も、その風を目で見ることも、手でつかむことも、鼻でにおいをかぐことも、口で味わうこともできません。でも、木の枝が揺れ、雲が流れ、花が舞い、葉がざわざわと音を立て、この頬に当たるのを感じれば、風が吹いているのだとわかります。不思議です。神様のようです。神様も、風のように目には見えませんし、手に触れることもできません。それでも、神様がいつも、わたしたちと一緒にいてくださり、どのようなときにもわたしたちを支え導いてくださっている、そう感じることができます。目には見えず、掴めもしないからこそ、いつでも、どこででも、わたしたちに吹いてくる、それが神の働き、神の霊、聖霊です。

 その聖霊が人々に注がれた、ペンテコステの日のことです。

 麦の刈り入れを祝う祭のためにエルサレムに帰ってきていた、つまり異郷に暮らしていたユダヤ人たちは、驚き、そして戸惑います。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか」(2:7-8)。驚きと戸惑い、それは、人知を超える神様の力にわたしたちが揺さぶられる時の自然な反応です。

 その一方、パレスチナを離れたことのないエルサレムの人たちには、ガリラヤの人々が語る外国語それ自体がまったく理解できません。「『あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ』と言って」、皮肉たっぷりにあざ笑います。その皮肉には、ガリラヤの人々に対する特別な感情が込められていました。イエスさまと同郷のガリラヤの人々は、エルサレムに住む人々から見れば、パレスチナの辺境の地で汚れた異邦人の間に暮らす、律法を守ろうともしない、貧しく罪多き人々でした。

 自分たちこそ救いにふさわしいと奢(おご)り、聖霊を注がれたガリラヤの人々を皮肉たっぷりにあざ笑う、そのエルサレムの人たちにペトロはこう語りかけます。

 「この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません」。なぜなら、「今は朝の九時」だからです。

 ユダヤの人々は朝昼晩の三度お祈りをしていました。「朝の九時」は朝の祈りの時刻です。しかも、朝の祈りが済む十時ごろまで一切食事をとりません。ペトロはまず、朝食前から酒に浸るような人がそのような朝の祈りにやって来る筈はないではないかと、エルサレムの人々の皮肉たっぷりのあざけりに何の根拠もないことを示します。

 聖霊―神様の働きは、何か理性を失って酩酊状態になるというようなことではありません。また、聖霊の奇跡を目撃した人々がすべて、それを福音として受け入れるわけでもありません。

 聖霊に満たされたペトロは、人が理解することのできない言葉―異言を語ったり、人を驚かすような奇跡を行ったりするのではなく、誰にでもわかる言葉で、「これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです」と、ペンテコステの出来事が神様の御旨によるものであることを、静かに語り始めました。

 

■三つの大切なこと

 ここで、ペトロは大切な三つのことを教えてくれています。

 その一つは、旧約聖書では、特定の「神の人」だけが神様の霊の賜物を受けると書かれているのに対して、ここでは、神の国が成就する「終わりの日」に、「すべての人に」聖霊が注がれる、と書かれていることです。

 男も女もありません、老いも若きも、つまり、おとなもこどもも関係ありません。ましてや、身分も地位も問われることなく、いのち与えられたすべての人に聖霊は注がれるのです。事実このとき、聖霊は特別な人たちだけに注がれたのではありません。むしろ、誰からも省みられることのなかったガリラヤの人々に注がれました。聖霊は「すべての人に」、しかも、「一人一人の上に」注がれます。それは、聖霊によってわたしたちすべてが、それぞれの言葉で、それぞれの考え方のままに、それぞれの立場とそれぞれの持ち場で、ただ一方的に招かれ、新しく生かされる、神様の恵みを指し示すものでした。

 もう一つの大切なことは、「主の名を呼び求める者は皆、救われる」という言葉にあります。「主の名」とは「イエス・キリストの名」ということです。

 聖霊による救いは、イエス・キリストの名によって神を呼び求める者、つまりイエス・キリストの言葉と行いによって父なる神を知るすべての者に約束されているのだ、ということです。神様は目には見えない、知ることのできない、隠されたお方です。しかしその天の父の御心が、イエス・キリストの言葉と行い、十字架と復活を通してわたしたちに示されたのでした。とはいえ、呪いの十字架の上で殺されたイエスという方を、キリスト・救い「主」と認め、あの死にわたしの罪が関り、あれはわたしの救いのための死であったと受けとめることなど、常識では到底考えられない、およそ自分の力で納得できるようなことではありません。それはただ、聖霊の働きによってのみ知らされることです。そのことをペトロは、イエス・キリストを「主」と呼ぶ者こそ聖霊の注ぎを受ける者なのだ、と人々に教えます。

 そして何よりも、このヨエルの預言で注目いただきたいことは、その「主の名による救いの約束」の前に、「上では、天に不思議な業を、/下では、地に徴を示そう。血と火と立ちこめる煙が、それだ。主の偉大な輝かしい日が来る前に、/太陽は暗くなり、/月は血のように赤くなる」という、およそ救いとは真逆の、暗黒と破滅と絶望のイメージが語られていることです。

 真っ暗闇の絶望するほかないようなところに聖霊が注がれ、イエス・キリストの真実に気づかされる。そのようにしてすべての人々に救いと希望が与えられる。それは、イエス・キリストが十字架の上で死んだことに絶望した弟子たちが、復活、そしてペンテコステの出来事を通して、新しいいのち、永遠のいのちに生かされているという希望に満たされた、その体験をなぞるかのようです。

 天の父は、「聖霊によって」キリスト・イエスを示してくださり、暗闇に光を照らし出してくださり、もはやどうすることもできない絶望を希望へと変えてくださったのです。事実、弟子たちはその時、人々の蔑みの中にあり、十字架の時からわずかに五十日余り、いまだユダヤ人指導者たちによる迫害の危機の中に置かれていました。しかし、父なる神は決して、闇の中に放ったままではおられない、絶望の中に苦しむだけではおかれません。 Continue reading

5月29日 ≪復活節第7主日礼拝≫ 『何が不幸で、何が幸せ?』マタイによる福音書23章13〜24節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■「幸い」と「不幸」

 「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ」という言葉が、13節から36節の間に六回も繰り返されます。16節の「ものの見えない案内人、あなたたちは不幸だ」を含めれば、「七つの不幸」が語られていることになります。

 思えば、イエスさまの福音宣教は5章から7章に記される「山上の説教」から始められました。その冒頭、イエスさまは「心の貧しい人々は…悲しむ人々は…柔和な人々は…義に飢え渇く人々は…憐れみ深い人々は、心の清い人々は…平和を実現する人々は…義のため迫害される人々は、幸いである」と告げ、最初と最後の言葉に「天の国はその人たちのものである」と続けられました。この八つの「幸い」、「祝福の約束」をもって始められた宣教活動が終わりを迎えようとしている今、イエスさまが七つの「不幸」を宣言されます。

 この言葉が語られたのは、過越の祭の時、春の季節でした。ガリラヤ湖畔に集った大勢の人々相手に山上の説教を語られたのも、ちょうどこの季節でした。「不幸」を宣言されるイエスさまの言葉を聞いていた弟子たちと多くの群衆も、山上の説教を聞いて喜びに満たされたその時のことを想い起しながら、イエスさまが宣言される「不幸」の言葉を、訝(いぶか)し気(げ)な表情で聞いていたことでしょう。誰しも、慰めに満ちた言葉、救いの約束だけを聞きたいと願うものです。しかし、豊かな祝福の言葉をもって宣教活動を始められたイエスさまが、寝食を忘れて福音の言葉を語り続けた結果、最後にこの嘆き呻くような不幸の言葉を宣言せざるを得ませんでした。そこに、わたしたち人間の罪の現実が現れていたからです。暗澹たる思いにさせられます。

 しかしそれでもなお、いえ、だからこそ、一体、何が幸せなのか、なぜ、不幸なのかを、考えないわけにはいきません。

 

■ハッピーとラッキー

 聖書に従ってお話しする前に、ご紹介したい一冊の本があります。鷲田清一の『死なないでいる理由』という本です。「消えた幸福論」という章に、こう書かれています。

 「いつごろからだろうか、幸福な気分に包まれたとき、この国のひとびとは「ラッキー」と、Vサインを送るようになった。片手で、そしてもっとハッピーなときには両手で、「今日、なんかついてる」「当ったりぃ」というように。その姿に、幸福もえらく軽くなったものだと、戦中派のひとなどは嘆かわしくおもっているかもしれない。「幸福」と「幸運」、「ハッピー」と「ラッキー」。この二つの外来語は、この国の語感からすれば、あるいは現代人の語感からすれば、意味を異にする。だが、もとをたどれば意味はほとんど重なるらしい。…それが、いつごろからだろうか、かなりニュアンスを異にするものとなった。「グッド・ラック」はたまたま運がよければ訪れるものであるのにたいして、幸福というのはじぶんが努力してたぐりよせるものというイメージが強い。それは、「人生設計」という言葉もあるように、じぶんの存在はじぶんでデザインするものだという近代の思想と深くかかわっているようにおもわれる。そのためには勤勉でなければならぬ、各人が自立した強い存在でなければならぬ、そしてそういうひとだけが幸福に近づける」

 ところが、「いまどきのひとは、ちょっといいことがあるとすぐに「ハッピー」という。じぶんのこの小さな幸福には、歴史も社会も関係がない。たまたま今日は運がよかっただけのことだ、といわんばかりに、だ。…幸福のイメージが、「歴史」、つまりは他者たちとの共同生活の来し方行く末につながらないで、「わたし」ひとりの小さな幸福をしか思い描けなくなった…。それは、人間が幸福になるためにつくった生産装置や社会組織が、ひとりの人間の想像力を超えてはたらきだすようになって、ひとはもはやじぶんの生活のあるべき姿ですら、じぶんひとりのイマジネーションではまとめ上げることができなくなったからではないか。だから、ハッピーはラッキーになる」

 幸福のイメージを思い描くことの大切さを語った上で、こう続けます。

 「そのためには「生きる」ということがまず肯定されていなければならない。生きる理由(動機ではない)がないときにでも、それでも死なずに、生きている、生きつづけるのはどうしてか。生きる理由がどうしても見当たらなくなったときに、じぶんが生きるにあたいする者であることをじぶんに納得させるのは、思いのほかむずかしい。そのとき、死への恐れははたらいても、倫理ははたらかない。生きるということが楽しいものであることの幸福な経験、そういう人生への肯定が底にないと、死なないでいることをひとは肯定できないものだ。そういう生の肯定はしかし、浮遊する孤立的な生のなかでは不可能である。「いいんだよ、おまえはそのままで」―。じぶんがこのままで他者によって肯定されることに渇くひとびと、そういう他者による(条件つきのではない)肯定。そういう他者による〈存在〉の贈与に、ひとは焦がれだしているのかもしれない」

 いかがでしょうか。「あなたのままでいい」「あなたがいてくれて嬉しい」と互いを受け入れ合うことが、幸福のイメージにとってとても大切だと言います。その通りだと思います。しかし、そうしようとしてそうすることがなかなかできないのがわたしたちの現実です。であればこそ、人や自分がどうあろうと、いわば絶対的他者としての神様による「無条件での肯定」と、神様による〈存在〉の贈与、存在の根拠としての「いのちを与えられているということ」が、幸福、幸せを考えるための大切な前提になるのではないでしょうか。この鷲見の言葉を心に留めて、今日のみ言葉を味わってみたいと思います。

 

■なぜ不幸なのか

 「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。人々の前で天の国を閉ざすからだ。自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない」

 「天の国」。そこは、死んでから行く場所ではなく、「神様の支配」のことです。イエスさまが、「天の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と語られた福音とは、「神のご支配が、神様の御手が、今ここにもたらされ、差し出されている。だから、今までの生きる向きを変えて、神様の支配を受け入れ、神様の御手にお委ねするように」というメッセージでした。ところが、律法学者やファリサイ派の人々は、人々の前で天の国を閉ざし、自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない、と言われます。

 天の国は、わたしたちの努力や行いによってもたらされるのではありません。わたしたちは、神様によっていのち与えられ、そのいのちを生かされ生きています。そのいのちゆえに、誰であれすべてのひとが神様に愛されています。その神様の愛ゆえに、天の国の扉は、すべての人に開かれているのです。鷲見の言う、「無条件の肯定」「〈存在〉―いのちの贈与」です。

 それなのに、律法学者やファリサイ派の人々は、自分たちのように律法のすべてを正しく守り、厳格に行っている者だけに、天の国の扉は開かれ、救いはもたらされると信じ、教えていました。鷲見の言う「幸福というのはじぶんが努力してたぐりよせるもの」ということです。彼ら自身、そう信じ、教えることによって、自分たちだけでなく、人々が今ここにもたらされている天の国を受け入れる道をも閉ざし、神様の支配を、神様の御手が今ここにさしだされていることを認めない、認めさせないのです。そのことを指して、彼らは「不幸であり、災いだ」、と深く嘆き、呻くようにしてイエスさまは言われたのです。

 続く15節も同じです。

 「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。改宗者を一人つくろうとして、海と陸を巡り歩くが、改宗者ができると、自分より倍も悪い地獄の子にしてしまうからだ」

 熱心がいけない、余り熱心にならずにほどほどが良いというのではありません。問題は、熱心さが何のためのものか、どこに向かっているのかということです。パウロが「割礼を受けている者自身、実は律法を守っていませんが、あなたがたの肉について誇りたいために、あなたがたにも割礼を望んでいます」(ガラテヤ6:13)と言っているように、彼らの熱心さは、ただ自分を誇るため、自分の業績を上げるためでした。改宗者を得ることは、人々を救いに導くためでもなく、ただ改宗者を得ること自体が目的となっていました。そうして改宗者が出ると、自分よりも倍も悪い地獄の子にする、その熱心さが不幸なのです。 Continue reading

5月22日 ≪復活節第6主日礼拝≫ 『何もかも知った上で』ヨハネによる福音書21章15〜19節 沖村裕史 牧師

≪説 教≫

■椎名麟三のこと

 大学で妻と出会い、親しさを増し始めた頃、互いが読んでいる本を交換し、その内容について語り合うようになりました。その時に妻から紹介された作家に、椎名麟三がいます。読んで魅せられ、すっかり嵌りました。

 椎名麟三は、1911年(明治44年)、兵庫県姫路に生を享けました。生まれた三日後、母親が、夫や夫の家族との間がうまくいかず、自殺を図ります。幸いにもいのちを取り留めましたが、9歳の時、両親は別居。父は別の女性と大阪で暮らし始めました。父親からの送金も途絶えがちとなり、母親、麟三、ふたりの妹たちは極貧の生活に苦しみます。母に言われ、大阪の父のもとへお金の無心に出かけますが、断わられた彼は家に帰らず、そのまま家出をします。母もまた別の男性と暮らし始めていました。姫路中学も中退することになり、職を転々としました。彼の人生、彼の作品の根っこには、そんな幸薄い、愛に飢え、生きることの不安にいつも捉われていた、辛い体験があります。

 18歳の時、彼は山陽電鉄の社員となります。当時の多くの勤労青年がそうであったように、彼もまたマルクス主義に理想を抱き、労働運動に身を投じ、共産党員になります。しかしその2年後、検挙され投獄された彼は、厳しい拷問を受ける中で自分の同志愛の弱さ、もろさを痛感し、転向します。釈放された後も職を転々とし、生きる希望を失った彼もまた母親と同じように、自殺未遂を図ります。

 その彼が27歳になったとき、ロシアの文豪ドフトエフスキーの作品に出会い、衝撃を受け、文学の道を志します。10年後、それは敗戦の翌々年にあたりますが、彼は『深夜の酒宴』を発表。以後、敗戦直後の廃虚の中にあって、人間存在の意味を真っ向から問う作家として、話題作を次々に発表することとなります。その頃、日本キリスト教団上原教会の牧師であった赤岩栄と出会い、1950年39歳の時に洗礼を受けますが、48歳の時、信仰の非神話化を強める赤岩と対立し、三鷹教会に転会します。その彼が、自分の信仰体験について記した著作の中で、「愛」について触れています。

 わたしは、愛する人、妻や恋人から、わたしのことを本当に愛しているかと問われれば、愛していると答えるだろう。重ねて、本当に、本当に愛しているかと問われると、しばらく躊躇しながらも愛していると答えるかもしれない。しかし、三度重ねて、本当に、本当に、本当に愛しているかと問われると、わたしは愛していると答えることができない。人間には、結局のところ「本当に、本当に、本当に」と問われて、こうだとはっきりと言えるものは何もないのだ。

 牢獄の中で、労働運動に身を投じる仲間たちへの同志愛が揺らぐ自身への嫌悪、何も信じるものを持たない、確かなものが何もないというニヒリズムに捉われていた、彼の苦悩が重なって見えてきます。そんな苦悩の中、獄中で出会ったひとりの売春婦のことを、彼は回想しています。金のために、生きていくために、自分の体を切り売りして暮らさざるを得ない、およそ愛とは程遠いところにいる女性の、しかし懸命に生きるその姿に、彼は深い感動を覚えます。

 わたしたち人間は、本当の、本当の、本当の意味で、人も、自分も愛することのできない存在、何一つとして確かなものをもたない存在だけれど、そのようなわたしたちのために、イエス・キリストが自らのいのちを捨ててくださった。イエス・キリストは、そんな何の価値もないわたしたちをそのようにまでして愛してくださっている。どこまでも相対的な存在でしかないわたしたちの虚しさ、人間のヒニリズムは、そのような、絶対的な神、イエス・キリストの愛によってのみ克服される。わたしたちの愛、自由、生きる意味は、十字架と復活に示された主の愛の中にこそある。真実の愛も知らないし、そんな愛などあるはずもないと思っている者にとって、わたしたちにとって、神様が、イエスさまが示し、与えてくださった愛は、驚くべきものであり、まさに希望ではないか。椎名はそう書きます。

 

■悲しくなった

 この椎名の言葉は、今日の場面、イエスさまとペトロとの間に交わされた会話に基づくものです。

 イエスさまがペトロに向かって、三度、「あなたはわたしを愛しているか」とお尋ねになり、そのたびにペトロが「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と答えます。そして三度目に問われた時、「ペトロは、イエスが三度目も、『わたしを愛しているか』と言われたので、悲しくなった」と書かれています。

 「悲しくなった」という言葉をニュアンスのままに訳せば、「情けなくなった」となるでしょう。自分の言うことを信じてもらえないのか、という思いからでしょうか。あるいは、イエスさまに問われ、イエスさまに答えている間に、ペトロは、かつて自分がイエスさまに語った言葉、そして自分のとった行動を思い出していたのかもしれません。

 それは、イエスさまが十字架につけられる前の晩のこと、最後の食事を弟子たちと共にとっていた時のことでした。イエスさまはペトロに向かって、「わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる」と言われました。それに対して「ペトロは言った。『主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます。』イエスは答えられた。『わたしのために命を捨てると言うのか。はっきり言っておく。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう』」(13:37-38)。

 事実は、イエスさまの言われた通りであった、と聖書は証言します。

 「イエスさまを知らない」と言ったのが三度。

 「わたしを愛しているか」と問われたのも三度。

 「ペトロは…悲しくなった」というこの言葉には、そのことを思い出したペトロの、身のすくむような思いが込められているのかもしれません。

 「この方は覚えておられる」

 自分が今、イエスさまによって「裁かれている」という思い、イエスさまに「試されている」という思いであった、と言ってもよいでしょう。 Continue reading

5月8日 ≪復活節第4主日/母の日「家族」礼拝≫ 『欠けてなんかない!』ルカによる福音書4章1〜13節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■母の日の意味

 「母の日」は、アメリカではクリスマスイヴやイースターに次いで、たくさんの人が礼拝に集う日です。ただわたしは、この「母の日」の礼拝の準備をするとき、いつも一抹(いちまつ)の不安と危惧を覚えざるをえません。

 「母」という言葉に対して、誰もが良いイメージを持っているとは限らないからです。母親から虐待を受けた経験を持つ人がいるかもしれません。自分が良い母親になろうとして、苦しみ、傷ついている人がいるかもしれません。母になることを望みながら、そうできない人もいるかもしれません。母になることを望まない人もいるかもしれないからです。

 そもそも、「母の日」はどのようにして祝われるようになったのでしょうか。

 起源は、17世紀初頭、イギリスやアイルランドで、レントの第4日曜日に祝われていた「マザリング・サンデイ」と呼ばれる日に遡ります。これが広く「母の日」として祝われるようになったのは、ウエストバージニアのアンナ・ジャーヴィスという女性が、1907年5月12日、亡き母が長年にわたって日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもったとき、白いカーネーションを贈ったことがきっかけであった、と説明されます。

 しかし実は、最初にこの日が公にアピールされたのは、それよりも30年以上も前の1872年、ジュリア・ウォード・ハウという女性によって、でした。南北戦争中に北軍兵士たちの間で歌われ、後に教会の讃美歌となった「リパブリック賛歌」―Glory, glory, hallelujah! ―の作詞者として良く知られている人ですが、その彼女が、南北戦争終結直後の6月2日、さきほどのアンナ・ジャーヴィスの母アンが敵味方を問わず、負傷兵の衛生状態を改善するために始めた「母の仕事の日」に刺激を受け、夫や子どもを再び戦場に送ることを拒否しようと立ち上がり「母の日宣言」を発表しました。平和を祈念し捧げる日としてこの日を祝いたいとの願いからです。これが母の日の始まりです。

 母の日は、ただ母性をたたえる日というのではなく、愛する者を戦いで失った女性たちの悲しみから生まれた平和への切なる祈りの日でした。そして今も、イギリスやアメリカでは、人の母だけでなく、あらゆるいのちを育むものに感謝を捧げる日となっています。母の日は、いのちを育んでくださる方の、その計り知れない愛に感謝する日なのです。

 愛が、神様の愛が、いのちを育み、人を生かす。このことを心に刻んで、今日のみ言葉に耳を傾けて参りましょう。

 

■何ひとつ欠けていない

 イエスさまが繰り返し教え示してくださっていることは、ただひとつ。「あなたは愛されている」という福音、良き知らせでした。そして今日の聖書の言葉もまた、様々な試練や誘惑に遭って苦しみ悩むあなたへの、神様からの福音です。

 今、「試練や誘惑」と言いましたが、聖書では両者に大切な違いがあります。苦しみが「誘惑」となるのは、苦しみに打ち負かされそうな自分に気づいているときです。しかし、この苦しみを自分の揺るがぬ確かさを示す機会とすることができれば、それは意味をもった「試練」となります。

 イエスさまも様々な誘惑を受けられました。イエスさまは、その誘惑を試練に変えて、そのすべてに打ち勝たれました。その勝利は、十字架と復活によって完成するのですが、イエスさまは、ご自分の歩みを始めるにあたってまず何よりも、悪の本質と向かい合われます。

 悪魔がやって来て、イエスさまに三つの誘惑を持ちかけます。そのひとつひとつにいろいろな説明がされますが、ここでは、ひとつのことを強調したいと思います。それは、この三つともが要するに、「あなたには今、欠けたものがある」という誘惑だ、ということです。あなたは足りない、あなたは持っていない、あなたは愛されていない、と。だから、それをパンで満たせ、権力や富で満足しろ、本当に愛されているのか試してみろ、そう誘惑するのです。

 それはまさに、わたしたちが今まで、そして今も受け続けてきている誘惑です。「わたしは足りない」、「わたしは欠けている」、「わたしは値しない」。悪魔は、その欠けをあおり、その欠けをこの世の富や力、虚栄心や偽りの心で満たさせよう、と誘惑するのです。

 それに対するイエスさまの答えは、とてもシンプルです。

 欠けは、神様が満たしてくださる。いや、もうすでに神様はあなたを満たしておられる。あなたは何ひとつ欠けていない。神様からいのち与えられた神の子どもなのだから。あなたは何も求めなくても、試さなくても、もうすでに神様の愛の中を生きている、と。

 そんな、言うならば、全面的な神様の愛への信頼こそが、信仰によって与えられる恵みです。

 

■「よし、よし」

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5月1日 ≪復活節第3主日礼拝≫ 『キリストの福音』マタイによる福音書22章41〜46節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■二つの主

 イエスさまを罪に陥れようと仕掛けられた一連の論争も、今朝最後の「もはやあえて質問する者はなかった」という言葉によって終わりを告げようとしています。最後のこの場面で、イエスさまは自分の方からお尋ねになります。

 「ファリサイ派の人々が集まっていたとき、イエスはお尋ねになった。『あなたたちはメシアのことをどう思うか。だれの子だろうか』」

 「メシア」と訳されている言葉は、ギリシア語の「クリストス」、救い主「キリスト」のことです。ファリサイ派の人々は即答します。

 「ダビデの子です」

 彼らは、ダビデの末からキリスト・救い主が出ると教えていましたし、多くのユダヤ人もまたそう信じていました。旧約聖書の多くの箇所にも、メシア・救い主はダビデの子として生まれる、と預言されています。そのことは、旧約聖書に親しんでいるユダヤの人々にとっての常識でした。

 ところが今、イエスさまはその常識を覆すようなことを言われます。

 「では、どうしてダビデは、霊を受けて、メシアを主と呼んでいるのだろうか。『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着きなさい、/わたしがあなたの敵を/あなたの足もとに屈服させるときまで」と。』このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのであれば、どうしてメシアがダビデの子なのか」

 いったい何のことか。分かり難い言葉です。イエスさまがここで引用しているのは詩編110篇です。王が即位するときに歌われていたこの詩編を、ユダヤの人々はダビデの作と信じていました。その冒頭、

 「わが主に賜った主の御言葉。『わたしの右の座に就くがよい。わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう』」

 救い主の勝利とその支配を主なる神ご自身が告げておられると歌われていますが、問題は、イエスさまの「主は、わたしの主にお告げになった」です。詩編では「わが主に賜った主の御言葉」となっています。いずれにも「主」という言葉が二度使われています。イエスさまが語られた「主」と訳されている言葉は二つとも同じギリシア語ですが、詩編の原文、ヘブライ語ではこの二つは全く別の言葉になっています。「主の御言葉」の方の「主」は「ヤハウェ」あるいは「ヤーウェ」と読まれる、イスラエルの神の名を指す固有名詞です。それに対して、「わが主に賜った」の「主」は「主人」という意味の普通名詞です。つまり元の詩編では、「イスラエルの神ヤハウェが、わたしの主(あるじ)にこうお告げになった」となります。

 この詩を歌ったのがダビデ自身だとすれば、ダビデ自身が、来るべき救い主のことを「わたしの主」「わたしのご主人様」と呼んだということになります。イエスさまはそのことを指摘しておられるのです。このように、ダビデが救い主キリストを「わたしの主(あるじ)」と呼んでいるなら、キリストはダビデの子ではなく、ダビデの主(あるじ)であるはずではないか、と。

 

■十字架のキリスト

 イエスさまは、何のために、このようなことを言われたのでしょうか。

 すぐに考えられるのは、ファリサイ派の人々が「キリストはダビデの子なのだから、イエスはキリストではあり得ない」と言っていたのではないかということです。

 この福音書の冒頭にある系図は、アブラハムからダビデを経て、父ヨセフに至るものです。ルカ福音書3章の系図もやはり、ヨセフからダビデ、そしてアダムまで遡っていくものです。父ヨセフはダビデの末裔です。しかしマタイもルカも、イエスさまが厳密な意味では、ヨセフの子ではないことを証言しています。ヨセフの許嫁(いいなずけ)であったマリアは、ヨセフによってではなく、聖霊によってみごもってイエスを生んだ、そう語っているからです。「聖霊によって」、そのことを信じようとしない人々にとっては、イエスさまは不義密通による子どもです。ファリサイ派の人々もその噂を盾に、イエスという男はダビデ家の子孫などではない、どこの馬の骨とも分からない者が神からの救い主キリストであるはずはない、と言っていたのでしょう。そういう批判、疑いに対して、イエスさまはこのように反論なさったのではないか、ということです。

 でも早合点をしないでください。「お前はダビデの子ではないからキリストではない」と批判されたイエスさまが、「ダビデ自身が言っているじゃないか。救い主キリストはダビデの子じゃないよ」と開き直りとも言える弁明をされたというのではありません。イエスさまは、神殿にいた大勢の人々に、ファリサイ派の人々がキリストについて抱いている根本的な思い違い、姿勢の間違いをはっきりと指摘し、教えようとしておられるのです。では、キリストについての根本的な思い違いとは何でしょうか。

 先程の詩編110篇1節の先に、こう記されています。

 「主〔ヤハウェ〕はあなた〔キリスト〕の力ある杖をシオン〔エルサレム〕から伸ばされる。敵のただ中で支配せよ。…主〔ヤハウェ〕はあなた〔キリスト〕の右に立ち/怒りの日に諸王を撃たれる」(2,5節)

 詩編が描くキリストの姿は、権力と武力を揮(ふる)ってユダヤ人の周辺の敵国を撃破し、かつてのダビデ王国の独立と栄光を取り戻す戦士の姿です。イエスさまの時代のユダヤ人の間では、キリスト理解をめぐって様々な見方があった中で、最も有力だった「ダビデの子」という見方は、まさに軍事的、政治的、民族的なものでした。 Continue reading

4月24日 ≪復活節第2主日礼拝≫ 『最も大いなるもの』マタイによる福音書22章34〜40節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■好きと嫌い

 電車やバスに乗っていると、こんな女学生の声が聞こえて来ることがあります。

 「だって好きなんだもん、しょーがないじゃん」

 「嫌いなものは嫌い、わたしはあんなのゼッタイいや」

 何も確かなものが見当たらないように思えるこの時代、好きか嫌いかだけは大声で叫ぶことが許されているかのようです。好き嫌いをはっきり言えることはよいことだ、そう育てられます。

 しかし、「好き」「嫌い」なんて、そんなに胸張って言えるようなことでしょうか。少なくとも「ゼッタイ」なんて使わない方がいいはずです。好き嫌いほど、一見確かそうに見えてその実、いいかげんなものはないからです。死ぬほど好きだったあの人のことを、手のひらを返すように遠ざけたり、嫌っていたはずのものの虜(とりこ)になったり…。なんとも見苦しい、そう言われても、やはり好みは変わります。変わるのが人間です。そんな自分の曖昧さやいい加減さを見つめることもなく、無邪気に好き嫌いを振りかざして世界を切り裂いていく姿は、あまりに悲しく、とても愚かです。

 とりわけ「嫌い」は質(たち)の悪い言葉です。物であれ人であれ、嫌いの一言で切って捨てる。だってしょうがないじゃない、あの人、生理的に合わないのよ、と言ってのける。嫌いに理由なんかない、相手のせいだと思っています。

 そんな好き嫌いによって切り裂かれた世界に生きるわたしたちの誰もが、多少なりとも「自分は愛されていない」と感じる体験をし、「自分は愛されるに値しない、その価値がない」という不安を抱え込んでいます。だからこそ、人は、自分を愛して全面的に受け入れてくれる相手を求めて、切ない求愛を繰り返すのではないでしょう。ときに親に無意識に反抗してみたり、ときに社会に過剰に適応したり、ときに友人に幼稚な甘え方をするのは、結局のところすべて、本当の愛を求めてのことです。けれども、現実の世界は決して、人を完全には受け入れてくれず、わたしたちはただ好きと嫌いを繰り返しながら、不安と孤独、傲慢と自己卑下に囚われ、苛まれるばかりとなります。

 そんなわたしたちに、今朝、驚くべき愛の言葉を告げ知らされます。

 

■律法の中心

 「ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった」

 イエスさまを十字架に架けようとするファリサイ派の人々が「一緒に集まった」、そのきっかけは「イエスがサドカイ派の人々を言い込められた」と聞いたことでした。利害関係や主義主張の違いから、同じユダヤ教の中にありながら激しく対立していたサドカイ派とファリサイ派の人々が、イエスさまを十字架に架けるために手を結びます。そして「一緒に集まった」その中から、ひとりの人が立てられます。

 「そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた」

 「試そうとして」。「試す」「試みる」というこの言葉は、荒れ野でイエスさまが悪魔によって誘惑された時に出てきた「誘惑する」と同じ言葉です。この時、律法学者が準備した問いは、イエスさまを陥れるための、悪い方向へと誘う毒の入った質問でした。

 「律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか」

 実は、律法の中心は何かというこの問いは、決して特別なものではありません。当時、人々がよく、律法の教師であるファリサイ派や律法学者たちに尋ねていたものでした。ユダヤ教の聖典はもちろん旧約聖書ですが、それ以外に、聖書の中心となる律法を時代に適応させた613にも及ぶ行動指針としての戒め―ミシュナと呼ばれる口伝律法があり、そのミシュナについての様々な議論や解釈を記したタルムードと呼ばれるものがありました。そこに記される膨大な条文をすべて正確に記憶し、具体的な場面すべてに正しく適応することは、まず不可能です。「律法の中心は何ですか」という問いが出てくるのは、至極当然のことでした。

 タルムードに、当時の最も高名な指導者であった二人の教師―シャンマイとヒレルと、ひとりの異邦人とのこんなやり取りが記されています。異邦人が尋ねます。「わたしが片足で立っている間に、トーラー(律法)の全体を教えてください」。厳格に律法を守ることを求めるシャンマイは、棒切れを振り回してこの不遜な質問をする異邦人を追い払いましたが、比較的自由な律法解釈をしていたヒレルは、「あなたが好まないことを隣人にしてはならない。これがトーラーの全体で、残りは、この教えの注解である。行って学びなさい」と答えた、とあります。

 「律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか」というこの問いは、そうしたファリサイ派内の二つの学派の対立を背景に、あなたの立場はどちらか、とその立場を鮮明にするよう迫ることで、イエスさまを「試そう」とするものでした。何を一番大切にするかによってイエスさまの本質が明らかになり、批判の糸口がつかめる、そう考えたのです。

 

■神を愛すること

 ところが、イエスさまの答えは、彼らの考えをはるかに超えるものでした。イエスさまは、ふたつの掟について教えられます。そのひとつ、 Continue reading

4月17日 ≪復活節第1主日/イースター「家族」礼拝≫ 『さあ、新しくやり直そう!』ヨハネによる福音書11章17〜27節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■ラザロは、今もここに座っている

 島崎光正という詩人をご存じでしょうか。日本現代詩人会会員である彼が、八十歳になった自分の生い立ちを書き残しています。

 「私は1919年、大正の半ばに福岡の市(まち)でこの世に誕生をみた者である。父は、そちらの大学を出て間もない若い医者だった。ところが、父はそれから一か月後には早くも世を去っている。患者から感染したチブスが原因だった。それからの私は、長崎から嫁いできていた母とも生別れとなって、父親の遺骨と共にその郷里であった信州の田舎に帰り、祖父母によって、ミルクで育てられた。厩(うまや)の跡が平屋の一角に残っていた農家である。

 父の私への遺産とては何もなかった。ただ、…どうしたわけか父が使っていたらしい医療器具のメスのセットが福岡から誰かが持ち帰り残されていた。それは大正時代の古い様式のもので、柄(え)は木製のものだった。少年時代となってそれを見つけた私は、生れつきに負った二分脊椎(にぶんせきつい)の障害から、変則的な歩行がもとで足の裏に出来やすかったマメを、玩具(がんぐ)がわりのそのメスを使って削った。ふとそれも、父の遺産を感じた。

 こうして、足を引きながら成長した私だったが、村の小学校に通うようになってから、そこでキリスト者の校長と出会い、村人の言い慣わしに従えばヤソの名前を知った。厩の跡に近い軒下(のきした)には季節になると燕(つばめ)がしきりに出入りしては雛(ひな)を育て、歳月をつもらせる。のちに、松葉杖と長靴に頼ることとなり白樺人形を刻むようになった私は、育ての親であった祖父母とも死に別れた時期に遭遇する。つくづくと人間の弱さと頼りなさを味わったあげくを、ヤソの校長がなお健在でそこにいた松本の教会で洗礼を受けた。敗戦後の、三年目の夏のことである。

 それは私にとって、古い罪の人間に死に、墓から呼び出された出来事であったに相違なかった。

 けれど、それからの歳月の中で、いくたびその墓の中に帰ってゆくことを繰り返しがちであったことだろうか。人からは見られない、洞穴(ほらあな)の心安さもそこにはあったからである。だが、その都度呼び戻されたのは、よく気がつかないままに、先達(せんだつ)としてのラザロの姿が重なっていたためかも知れない。

 私は今も、足の裏のマメが何時しか褥瘡(じょくそう)にかわって包帯に親しむこととなり、治療のためにそれをほどきながら、そのことを思う。ラザロが布をほどかれた時にも、そのように墓の外で、光にさらされていたのだと。」

 島崎は、自らの詩を記した後、こう付け加えます。

 「ラザロは、今もここに座っている。」

 その島崎が七十七歳の時、ドイツで開催された二分脊椎国際シンポジウムで講演し、その締め括りにと作った詩があります。

 「自主決定にあらずして/たまわった/いのちの泉の重さを/みんな湛(たた)えている」

 この詩が大切なことを教えてくれます。

 わたしたちは「みんな」、「自主決定にあらざるもの」―自分で決めることのできない様々なもの、思いもよらない災害や事故、どうしようもない人間関係のもつれやいろいろな失敗、与えられたと言うほかない出会いやいのち―を負って生きている。そのようにして、「いのちの泉の重さを湛えている」。「自主決定にあらざるもの」を受け止めて生きるのが、人間の本来の姿なのだ。それなのに、わたしたちはそれが分からなくて、それを避けて生きようとして、かえって苦悩を呼び込み、救いを求めている。救いは、「自主決定にあらざるもの」を避けるところにではなくて、それを「たまわったもの」として受け止め、そこを生き場所として、そこで咲こうとするところにある。それは、諦めの弱い生き方ではなく、生かされていることに対する誠実な生き方なのだ。

 島崎の言葉が、ラザロの姿と重なってきます。

 

■あなたの兄弟は復活する

 そのラザロの物語です。

 ベタニアに暮らしていたマリアとマルタが人を遣わして、弟ラザロの重病をイエスさまに知らせました。ラザロのいのちを救いたい。藁(わら)にもすがるような切実な思い、願いでした。

 しかしイエスさまは、すぐには動こうとはされませんでした。イエスさまがようやくベタニアに着いた時、ラザロはすでに死んでいました。「墓に葬られて既に四日もたっていた」とあります。ラザロが葬られたその墓からは、死臭があたりに漂い始めていました。今はもう悲しみを受け入れるべき時、慰めを受けるべき時…。たくさんの人がそのために集まっていました。イエスさまのあまりにも遅すぎる到着に、人々は冷(ひ)ややかな、そして非難を込めた視線を向けます。マリアは家の中に座ったままで出迎えようともしません。誰も、何も期待をしていませんでした。もうすでに終わってしまったことでした。

 今日の出来事は、その「終わった」ところから「始まり」ます。 Continue reading

4月10日 ≪受難節第6主日/棕櫚の主日礼拝≫ 『それでもあなたはわたしの愛する子』マルコによる福音書1章9〜11節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■愛の神の子

 マルコによる福音書の特徴は結末にあります。最後16章9節以下の箇所が括弧で括られているのは、それが後の時代に付け加えられたものであることを示しています。他の福音書がそれぞれに復活の出来事を印象深く書き留めているのに対して、マルコによる福音書は復活に何ひとつ触れません。復活は仄めかされるだけで、十字架で終わっています。十字架こそがこの福音書のクライマックスであり、最も伝えたいことだということです。

 このことから、最後の十字架の出来事まで読み終わって、もう一度振り返ってみたときに初めて、一つひとつの事柄の本当の意味が分かるように書かれた福音書だ、と言われます。この福音書が「イエス・キリストの福音」を洗礼(バプテスマ)の場面から描き始めているのも、単にそれが歴史的事実であったからというのではありません。イエスさまの洗礼のときに一瞬垣間見えたこと、密やかに聞こえてきたことを、十字架の出来事からもう一度読み直すことを、わたしたちは期待され、また求められています。

 では、イエスさまの洗礼のときに垣間見え、密やかに聞こえてきたこととは何だったか。ここに、天が裂け、聖霊が鳩のようにくだり、天から「あなたはわたしの愛する子」というみ声が聞こえてきた、と記されています。

 「あなたはわたしの愛する子」

 聖霊と共に宣言されたこの言葉が、最初のこの洗礼の時にも、中ほどの山上の変容の時にも、そして最後の十字架の時にも記されています。神様が愛の神であること、そしてイエスさまが父なる神に愛される神のひとり子であり、わたしたちに父なる神の愛を注ぎいでくださり、その愛に生きることの幸いを教えるために来られたお方であるということが、繰り返し、繰り返しわたしたちに示され明かされます。この福音書がわたしたちに語っていることは、そのことでした。

 ところが、イエスさまのもとに押し寄せていた群衆も、また弟子たちでさえ、イエスさまのみ言葉とみ業に直に接しながら、イエスさまを信じることができず、その真実の姿に気づくこともありませんでした。そしてついには、愛そのものである神様のひとり子であるイエスさまを、どこまでも愛し抜いてくださるイエスさまを、人々は、そしてわたしたちは、十字架につけてしまいました。

 なぜか。なぜ、わたしたちは愛の神の子を殺してしまったのでしょうか。

 

■その人こそがまことの愛のお方

 今日は棕櫚の主日。イエスさまが、十字架につけられることになるエルサレムへと到着し、沿道に敷き詰められた棕櫚の葉の上を、人々の歓呼の声の中に入城された、そのことを記念する日です。「ホサナ―主に栄光あれ」という勝利を賛美する、凱旋の声に包まれるイエスさまの姿はしかし、奇妙なものでした。勝利者らしく、たくましい馬に跨って威風堂々と進んで来たというのではありません。地面に足がつきそうなほどの小さな驢馬に乗って、とぼとぼと、いかにも頼りない格好で、人々の歓呼の声の中を進み行かれます。まるで、痩せこけた馬ロシナンテに跨り、従者サンチョ・パンサを引きつれて遍歴の旅に出かけたドンキホーテのように、イエスさまの姿は、とても滑稽なものでした。

 しかし、滑稽と見えるその人こそが救い主、まことの愛のお方でした。

 その滑稽な姿を冷ややか見ていた人たちがいました。彼らは心ひそかに嘲笑っていました。「驢馬に跨ってやってきた、あのみすぼらしい男が、救い主であるはずがない、その正体を白日のもとにさらしだし、歓呼の声を上げている人々の目を覚ましてやろう」。律法学者やファリサイ派、祭司長たちです。

 彼らのもくろみは成功し、イエスさまは、衣服をはぎ取られて裸にされ、その上に赤いマントを着せられ、いばらの冠を頭にかぶり、右手に葦の棒をもたせられて、「ユダヤ人の王、万歳」という歓呼の声の中を歩まされました。栄光をたたえるその声は、エルサレムに入られるときとは全く異なる、嘲りと侮蔑以外の何ものでもありません。

 ゴルゴダの丘へと引かれて行くイエスさまにぶどう酒が差し出されます。それは、当時しばしばなされていたように、罪人に与えられる気つけ薬でした。十字架の上で受ける槍の痛みがもっと強いものとなるように、という悪意から与えられるものでした。「ユダヤ人の王」という罪状がイエスさまの首にかけられ、二人の強盗と同じところへ引き出されます。それは、まことの王だ、救い主だとあなたたちが信じたこの人は、ただの強盗と同じ者だ、ということを意味していました。これらすべてことが、嘲りと侮蔑以外の何ものでもありません。

 しかし、嘲りと蔑みに包まれたその人こそが救い主、まことの愛のお方でした。

 イエスさまのみじめで、弱々しい、無力なその姿を見た人々は、期待が大きかっただけにその失望も大きく、祭司長たちと一緒になって、イエスさまに嘲笑と侮蔑の言葉を投げつけます。

 「神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い」

 「他人は救ったのに、自分は救えない。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから」

 この言葉にハッとさせられます。神様が「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言われた、その言葉を嘲笑し、否定する言葉そのものだからです。

 しかし、罵倒、嘲笑、侮蔑に満ちたこれらの言葉を投げつけているのは、イエスさまを歓呼して迎えて人たちであり、そしてわたしたち自身だと思わざるを得ません。自分のことをさておいて、他人のことを愛し、他人のために祈り、他人のために持っているものをすべて差し出す人を、わたしたちは愚かな人だと考える、そんな世界に生きています。他人の借金の保証人になって財産を失ってしまった人を同情はしても、心の中では、なんてお人好しだろう、と呟いています。海でおぼれかけている人を助けようとして死にでもすれば、運が悪かったねと言いながら、一人で助けようとしたその人が愚かなのだ、と思ってはいないでしょうか。路上生活をしているけども立ち直るために故郷に帰るお金がないから貸して欲しいという人に、その度、大切なお金と時間を費やす人をいい人だねと言いながら、でも戻ってくることのないお金と時間をそんなに使うなんて信じられない、と馬鹿にしてはいないでしょうか。 Continue reading

4月3日 ≪受難節第5主日礼拝≫ 『生きている者の神』マタイによる福音書22章23〜33節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■死ぬこと

 今、ここを生きているわたしたちの誰も、自らの死を経験した者はいません。経験したこともないわたしたちが、死をどのように理解し、受け入れることができるのか。それは、愛する者の死を通して、です。それ以外に方法はありません。

 愛する家族を、かけがえのない友を失った。大切なものをなくしてしまったという経験は言葉にならない大きな悲しみ、苦しみです。わたしたちはその痛みから容易に解放されません。時に生きる気力、生きる意味を奪い去ってしまいそうになります。

 その一方で、天に召された方たちの「記憶」は、時とともに確実に削ぎ落とされていきます。寂しさと後ろめたさを感じるとしても、そのことはどうしようもないことです。いえ、むしろ大切なことだとさえ言えるでしょう。記憶が徐々に削ぎ落とされていくことで、逆に、一緒に暮らしていたときには隠されていたものが見えてきて、本当に大切で、かけがえのないことだけが、わたしたちの心の底に、深く、さらに深く沈み込んでいくように刻み込まれていくからです。

 先に天に召された方のことを思い起こすことでわたしたちは、誰も避けることのできない死を、自らの死をしっかりと見つめるようになります。そして、生きていることの意味、神から与えられた「いのち」の、生かされ生きている「いのち」のかけがえのなさに気づかされ、真実の希望に導かれます。死や苦難ゆえの疑いや苦しみのただ中にあってなお、そのすべての思い煩いを神のみ前に投げ出し、いのちの神にすべてを委ねる、その信仰に生きることの深い恵みを味わうことができるようになるはずです。

 とは言いながら、神にすべてを委ねることは決して容易なことではありません。そうできないばかりか、苦難や死の出来事に直面するとき、わたしたちは、目に見えるものに囚われ、自分の経験に縛られて、果ては、神などいないと言わんばかりに、現実をただ自分たちに都合よく解釈し、ただ自分の理解できる枠の中で説明し、何とかしてやり過ごそうとするばかりです。

 

■復活はあるか

 そんなわたしたちに、イエスさまが今、こう語りかけられます。29節、

 「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている」

 「思い違いをしている」プラナーオーという言葉は、もともと「迷い出る」「横道にそれる」という意味で、単なる勘違いというのではなく、大いに誤っている、大きな過ちを犯している、といったニュアンスを持つ言葉です。よくご存じの、百匹の羊の内の一匹が「迷い出た」というたとえ話の「迷い出る」という言葉が、この「思い違い」と訳されている言葉と同じです。「いのち」「復活」について、とんでもない思い違いをしているために、とんでもないところまで迷い出てしまっている、大きな過ちを犯している、そう言われます。ここでイエスさまとやり取りをしているのは、もちろんサドカイ派と呼ばれる人たちですが、この言葉は、今ここにいるわたしたちにも向けられています。

 「復活」という教えほど、つまずきとなるものはありません。イエスさまの言葉や行いは感銘深い、考えさせられ、また聞き従うべきものだと思うけれど、「復活」ということだけはどうもいただけない。これさえ外してもらえれば、イエスさまの教えを学び、生き方を模範として歩もうということなら、自分もクリスチャンになれるのだが、と思っている方は少なくないでしょう。すでに洗礼を授けられた方の中に、今もそう思っている人がおられるかもしれません。

 サドカイ派の人々も復活などないと考えていました。サドカイ派はファリサイ派と並ぶ、ユダヤ教の主流派の一つです。二つの派閥はもともと対立関係にあり、その対立点、争点が「死者の復活はあるか」ということでした。

 サドカイ派は、「モーセ五書」と呼ばれる旧約聖書の最初の五つの書物、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記だけを信仰の規範としていました。その後成立した父祖伝来の口伝を受け入れず、預言書すら二次的な価値しか認めません。そして霊の存在も、天使の存在も、死後の裁きも、復活も否定していました。モーセ五書に何一つ触れられていないから、彼らはそう主張しました。言われて見れば確かに、創世記もそうですが、死とは人の存在が消えてしまうこと、滅びるようにして土に帰ることだ、と書かれています。

 それに対しファリサイ派は、モーセ五書以後に書かれた歴史書や預言書、また父祖以来の数々の言い伝えを受け入れていました。それらの中には、死者の復活を語っているものが数多くあります。そのことを根拠に、ファリサイ派は復活があると主張していました。

 

■つまずく本当の理由

 しかし、復活をめぐる対立の根本には、何を正典、信仰の基準とするのかということだけにとどまらない、彼らが生きていた世界の違い、見つめている事柄の違いがありました。

 サドカイ派は、「祭司職」を担う貴族階級です。祭司たちは、神殿での定められた祭儀をきちんと行なうことを第一に考えました。また自ずと支配者、権力者とのつながりも深く、保守的で、現状維持の姿勢を持つようになります。彼らは、今、自分たちが得ている高い地位や豊かな生活を守るために変化を嫌います。そんな彼らにとって、復活によって与えられる新しいいのちよりも、現在の生活と秩序の方が大切です。彼らが復活を否定するのは、それが聖書に書かれていないからというよりも、関心が現在の生活と秩序にあって、死後の復活に興味がない、いえむしろ、この世の生活、現在の秩序ではなく、死後の世界、新しい秩序を期待する復活信仰を危険視さえしていたからでした。

 一方、「律法学者」でもあったファリサイ派は、律法を研究すると共に、律法に基づく生活を人々に教え、民衆が神の民イスラエルとしての自覚と誇りを持って、神に従って生きる者となることを目指していました。イスラエルの民は、何世紀にもわたる様々な大国による支配の後、今はローマ帝国の支配による苦しみと屈辱の中にありました。その人々に神の民としての誇りと自覚を持たせようとする彼らの目は自然と、将来の救いへと向けられます。今は、神の力が隠されているけれど、来るべき世にはそれがあらわになり、イスラエルの救いが完成する。そういう将来への希望を抱く彼らは、救いの完成のときに死者が復活することを信じ、受け入れるようになりました。

 復活をめぐる問題は、その人がどこに身を置いて、何を大切にして生きているかという問題だということです。サドカイ派が復活を否定するのは、それが非科学的だからではありません。現世の生活と秩序を優先し、この世における人生のことだけを考えているからです。信仰も、この世での幸福に役に立つかどうかという目で見ています。そういう現世主義、この世の利益だけを求める信仰であれば、死者の復活など受け入れられるはずもありません。

 わたしたちが復活のことを避けて信仰を考えようとする時にも、そういう現世中心の思いが働いてはいないでしょうか。復活が信仰のつまずきになるのは、わたしたちの思いがこの世の人生だけ、目に見えるものだけを見つめているからです。死者の復活など科学的にあり得ないというのは、実は本質的な問題ではありません。自分にとって、それが本当に必要なことだ、それこそが真実だ、なくてはならないものだと思えば、科学的であるかどうかということとは全く関わりなく、わたしたちは信じるのです。復活が信じられないのは、復活などいらないと思っているからです。この世の人生が、目に見えるものがすべてだと思っているからです。 Continue reading

3月27日 ≪受難節第4主日礼拝≫ 『すべてを神に返す』マタイによる福音書22章15〜22節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■仕掛けられた罠

 21章23節に「イエスが神殿の境内に入って教えておられると、祭司長や民の長老たちが近寄って来て言った」とあります。その場面が続いています。過越の祭りでごった返す神殿の境内で、祭司長や長老たち、ファリサイ派の人々に、イエスさまは三つのたとえを語られました。「二人の息子」のたとえを聞き、また「ぶどう園と農夫」のたとえを聞いた彼らは、イエスさまを捕らえようとしますが、イエスさまを預言者だと信じる群衆を前にすぐには実行できません。さらに「婚宴」のたとえの最後に、「『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」という言葉を聞いたとき、彼らははっきりと殺意を抱いたに違いありません。

 「それから、ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた」

 「罠にかけよう」。イエスさまを捕え、殺すためにです。それも合法的にやらなければなりません。自分たちが法を犯すわけにはいきません。どうするか考えるために一旦、イエスさまの前から姿を消したかれらは、相談の結果、自分たちの代わりに弟子たちをヘロデ派の人たちと一緒にイエスさまのもとに遣わし、狙いを定めた猟師が銃を撃ちやすい所に獲物を誘うように「言葉じりをとらえ」、罠を仕掛けることにしました。

 遣わされたのは「ファリサイ派とヘロデ派」です。驚きです。

 そもそもヘロデ派は領主ヘロデ・アンティパスと結びつくことで利益を得ていた人々です。ヘロデはローマ帝国からガリラヤとペレアの統治権を委ねられていた人です。当然、親ローマの立場です。一方、ファリサイ派はその真逆の立場にありました。律法を厳格に守ろうとする彼らは世俗的なヘロデ派には批判的で、言わば、水と油のような両者です。その彼らが結託して、イエスさまのところにやって来たのです。普通であれば、まずあり得ない組み合わせです。それだけイエスさまの存在が我慢ならなかったのでしょう。目の前にいる共通の敵であるナザレのイエスを葬り去ることで意見がまとまり、手を携えてやって来たのでした。

 「敵の敵は味方」ということです。皮肉にも、イエスさまを前にした時、対立していたはずの人間どうしの間に一致が生まれました。しかしそこで明らかになるものは、神を神として受け入れることなく、自分が神となり、自分の思いによって生きようとする罪の姿です。誰であれ、すべての者に神の愛が、赦しが、救いが差し出されていると告げるイエスさまの福音は、自分だけを愛し、自分が主人となり権力を握って生きようとしている者にとっては、神からの挑戦、告発となります。その告発の前で人は、様々な不和や対立を超えて一致していきます。

 「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです」

 慇懃無礼なほどの陰湿な言葉で、仕掛けた罠から獲物に誘い込み、逃れられないようにします。

 

■律法に適っているか
 
 そして、こう問いかけます。

 「ところで、どうお思いでしょうか、教えてください」

 毒を盛った杯をイエスさまの口元に差し出すようにして、用意してきた質問を投げかけます。

 「皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか。適っていないでしょうか」

 「律法に適っているか」は意訳で、本来は「許されているか」です。ユダヤ教の信仰からは「正しいことかどうか」、「可能かどうか」ということです。「税金」は人頭税の意味です。ラテン語では「住民登録」を意味します。その調査に基づいて人頭税が課せられました。ユダヤ、サマリア地方では、ローマの直轄領になった直後、シリア総督キリヌウスが指揮して住民登録を行っています。紀元6年のことです。それに基づいて人頭税が徴収され始められます。

 ローマ帝国によって人頭税が徴収されたとき、その地方に反対運動が起こりました。人頭税は一人1デナリオン、まる一日分の労賃に相当します。所得税とは別に、収入に関係なく納めなければなりません。貧しい人々にとっては重い負担です。そして何よりも、それは民族としての存立を否定され、奴隷になることを意味しました。ガリラヤ出身のユダとファリサイ派のサドクが中心になって始められた反対運動は、この後、66年の第一次ユダヤ独立戦争まで続くことになります。

 税金はどの時代にあっても、自分たちが望んだ支配体制によるものであれば、多少の我慢はできても、それが押し付けられた体制・権力によるものということになれば、到底耐えられるものではありません。しかもその反抗、抵抗を支える信仰がありました。ファリサイ派の人々を支えていたメシア信仰です。神がイスラエルの民を救うためにメシア—救い主を送ってくださる。そのメシアがもうすぐ来られる。事実、イエスさまは自分がその救い主であると弟子たちに繰り返し告げ、そのことが周りの人々にも聞こえていました。

 人々は、メシア・救い主の到来によってローマ帝国の支配から解放されると期待していましたから、イエスさまが皇帝に税金を納めることは正しいことで、神の道に適っていると答えれば、人々のメシアへの期待を裏切ることになります。イエスさま自身が自分はメシアでないと言うようものです。つまりここに仕掛けられた罠は、単にローマに人頭税を払うことは許されるのかどうかといったことではなく、イエスさまとは何者なのか、メシアであるかどうかを試そうとする、そんな問いかけでした。

 しかもそこで、仮にイエスさまが、わたしはユダヤ人をローマの権力から解放するメシアだ、もうローマ皇帝に税金を納めなくてよいのだと言えば、それこそ望むところとばかりに、この人はローマ帝国への反逆者だと直ちに訴えて死刑に処することができる。自分たちの手を汚さないで、自分たちの思惑通りとなる。周到に準備された罠でした。

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3月20日 ≪受難節第3主日礼拝≫ 『婚宴の礼服』マタイによる福音書22章1〜14節 沖村裕史 牧師

■十字架のたとえ

 都エルサレムに入城されたイエスさまは、「何の権威でこのようなことをしているのか」と詰め寄った祭司長や民の長老たちに向って、「『二人の息子』のたとえ」「『ぶどう園と農夫』のたとえ」に続いて、3つ目の「『婚宴』のたとえ」を語り始められます。

 「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている」

 イエスさまが教えられた「天の国」とは、死んだ後に行く場所というよりも、「悔い改めよ。天の国は近づいた」とあるように、もうすでに訪れている王なる神様の支配、今ここにもたらされている神様の愛の御手を意味します。その天の国は、王子の結婚のために王国が開く祝宴のようなものだ、とイエスさまは言われます。

 この「婚宴」という言葉は複数形です。当時のユダヤでは、婚宴が一週間も続いていたからです。その準備は大変です。そこで、招待する人々にはあらかじめ招待状を出しておき、いよいよ婚宴の会場や食事の準備がすべて整ったところで改めて、「準備ができましたので、さあ、どうぞおいでください」と呼びに行かせた、と言います。

 このたとえでも、王は家来に、「牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています」と言わせています。婚宴の様子が目に浮かぶようです。しかも、これは王子のための婚宴です。一生に一度あるかどうかのことです。どんなに豪華なものか計り知れません。これを断ることなどとてもあるはずがないように思われるのに、それが起こったと言います。

 誰も「来ようとしなかった」。

 家来たちの招き方に問題があったと考えたのでしょうか。王はわざわざ、招くときの言葉まで伝えた上で、もう一度、別の家来を遣します。王の熱い思いが伝わって来るようです。しかし結果は同じ。招かれたはずの人は誰一人やって来ません。どうしてか。招かれた人は何を考えていたのでしょうか。

 「人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった」

 自分たちの都合を優先したのです。仕事をしたほうが得だと考えました。そればかりか、王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺す人までいました。

 人々は王が送った家来の話を聞いたはずです。家来たちは王の熱い思いを知っていましたから、心を込めて丁寧に、「すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください」と王から聞いた言葉のままを「王からの声」として伝えたはずです。

 しかしそれを「うるさい」と感じたのです。煩わしく、耳障り、いい迷惑だと感じたのでしょう。「さあ、婚宴においでください」というその声を消すために、声を発する家来を捕まえ、殺してしまいました。

 それこそ、イエス・キリストの十字架でした。

 なぜ、イエスさまは殺されたのか。それは、イエスさまが「さあ、婚宴においでください」という神様の招きを伝えたからです。神様の言葉をそのままに語ったからです。神様の言葉は、わたしたちを救いに導く「よき知らせ」、福音のはずです。招かれた側はその招きに応じて、「本当にありがとうございます」と知らせてくれた方の手を握り、心からの感謝をもって応えてもいいはずです。しかし、そうはしませんでした。

 なぜか。招きに応じれば、自分の都合を脇に置かなければならないからです。自分の思いのままに生きる、その生き方を変えなければならないからです。それで、その声が聞こえないよう、その声を無視し、その声を伝える者を殺したのです。

 

■すべての人を招かれる

 さて、王はどうしたでしょうか。

 「王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った」

 「ぶどう園と農夫」のたとえが思い出されます。しかし、「ぶどう園と農夫」のたとえと今日のたとえには決定的に違っているところがあります。ここでたとえ話が終わっていないことです。今日のたとえには続きがあるのです。

 「そして家来たちに言った。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい』」

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